たまに強制退館させられます。

上司がとにかく早く帰れっていうから全員帰らされちゃうわけです。


今日も。


仕事終わってないけど。

たぶん、私の最近の帰社時刻がいいかげん遅すぎるからだと思われます。

昨日は2時、その前3時。

翌日は朝から。


肌も髪も魂も死んじゃいます。だからかな。



ウェディングプランナーの仕事は、手を抜けばどこまでも楽になるし、

手をかけることに限界はないです。


自分の時間管理もしつつですが、私は全てのお客様に全力で相対していきたい。

だからといって、残業することが良いことでは全くないけど。




今年も早いものであと半年。


体が壊れちゃったら元も個もないよと最近さかんに言われますけど、

今年はいろいろ挑戦の年なので、もうちょっとがんばります。


自分がどこまでできるか楽しみでもあり。


お父さんお母さん、心配かけてごめんねー。

今日は3ヶ月ぶりくらいに、ちゃんと休んでます。


ゆっくり起きて、テレビ見て、お昼寝して・・・


という自堕落な生活を送ってみました汗



私、ヒマだなぁ・・・と思いつつ、なんか幸せ音譜


 

今はCNN見て英語の勉強してます。


あ、お部屋の掃除でもしようかなひらめき電球

1ヶ月4件ペースで担当パーティーがある。

1週間に1件。


キツくはないけど、ギリギリかなという気がしてる。

これ以上増えると、きちんとお客様に向き合いづらい他社のウェディングみたいになっちゃいそう。

せっかくオリジナルウェディングなのに、
オリジナリティが出せなくなったら、お客様がここを選んだ意味がない。


という思いと、

とはいえ、休めていない現状と。

今日もまた休日出勤してしまった。


時間をかければ必ずしも良いものが生まれるわけではないけれど、

手抜きの中に良いものは絶対生まれない。


限りある時間でいかに良質のアウトプットをしていくか。


時間管理が引き続き課題です。
お客様から、結婚式そのものにはあまり関係ない悩みの相談を受けた。


悩んで、困って、どうしよう‥と思った先に自分がいたことが
なんだか無性に嬉しかった。


わざわざ会場まで相談しに来てくれて、こちらこそありがとうでした。


大変なことも山ほどあるけれど、

なんだか素敵なお仕事です。
仕事が

やってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやっても

終わらないので、

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
働いてみるわけです。

で、結局、労働に見合うリターンが実感できないときに
人は辞めてくわけです。

また何人か同期が辞めていきます。

さみしいけれど、仕方ない。


労働の対価(リターン)=お金、ステイタス、夢、幸福感、成長、安定、自信‥


人によって求めるものはさまざまです。


私の場合は、経験。

キャリアとしての経験というより、人生経験。


今も、今までも、全力で人生の思い出作りをしているような気がします。


そんなことのため?と思う人もいるかもしれないけど、

やっぱり、富や名声や地位や見栄えやお金のために仕事はできないです。


キャリアアップしたい、とかもやっぱり全然ない。


そもそもキャリアアップの定義って何だって話ですが。


いろんなことを感じながら、考えながら、
笑ったり泣いたり傷ついたり喜んだり
好いたり嫌ったり反省したりムカついたり感謝したりしながら、


深い意味で、楽しんで生きてたいですね。
接客時のイメチェンをたくらんでいます。


ヘアメイクを変えて、姿勢正して、あと眼鏡かけようかと思ってます。

近所のメガネスーパーに立ち寄り、
さんざん試してみたらとってもすてきなメガネに出会いました。


ピンク系ゴールドのフレームで、サイドのデザインもかわいいんです。

でも、

¥27,300‐

高っ‥


基本はコンタクトだから、伊達メガネでよかったのだけど、
度つきでもなしでも値段は変わらないそう。


にまんななせんえん。

どうしよ。
今日からまた新年度!

これまでの一年は今までで一番速くすぎた年でした。

と、毎年言ってる気がするから、今年度はもっと早いんだろうなぁ。

この3月はちょっと大変なお仕事を抱えていたのもあって、
身も心もぼろぼろだったんですが、

「本当にありがとうございました!」の一言で、結局救われちゃいました。


あきらめないでよかったなって、やっと落ち着いて振り返れるようになりました。


正直、すべてが負のスパイラルで、毎日「辞めます」の四文字が頭の中をスクロールしてました。
一種のスランプだったのかなー。

最近、ヤンキースの松井の本『不動心』を今さら読んでるんですが、
スランプ脱出法よりスランプにならない方法のほうが大切だって書いてありました。


その通りですよね。


さ~明日からまた黒スーツ着てがんばろう。
事務所で泣いてしまった。悔しくて。

お客様を守れるのはプランナーしかいないし、お客様が頼るのもまたプランナーしかいない。


そんなことを考えた。
ずっと、書こう書こうと思ってて、書けなかったエピソード。


先日担当した結婚式のお話です。


それまでは、特に問題なく順調に準備が進んでいた結婚式でした。

強いていえば、ある打ち合わせにお母様が同席したときのこと、
大安の日にちをお二人押さえられたのラッキーでしたね、という私に、お母様は

「本当にそうよね、二人の人徳よね」

と、仰天発言をしていたくらいで。


初対面で、実の娘のことを裏表なく褒める親に初めて出会ったので、とても驚いたのを覚えています。



そんな彼女から挙式10日前に連絡がきました。

「私のお父さんが入院して、来れるかどうかわからない」


聞けば、一年前に余命3ヶ月と宣告されていたそうです。

お父様のモチベーションは一人娘の結婚式だったそうです。

入退院を繰り返しながら一年間がすぎ、小康状態を保てるようになって、一安心していた矢先のことでした。

挙式10日前に突然の吐血。即入院し、点滴の日々が始まりました。

彼女が自分の両親をすごくすごくすごく大事にしていたのは、お父様の病気も大きく影響していたようです。


挙式3日前、
朝、私が出社すると、彼女からのメールが届いていました。

『結婚式のこと、お父さんのこと、もう不安で寝れなくて‥こんなこと言ってもどうしようもないのに‥ごめんなさい‥』

朝の4時すぎに届いていたメールでした。


私は、毎日のように彼女にメールや電話をすることしかできなくて、
どこまで支えになれたのか今でもわからないけど、
とにかくお父様が来れると信じて励ますことしかできませんでした。


当日。

お父様は元気な姿で来てくれました。

びっくりするくらい、食欲もあって。


もちろん、通常のメニューは食べられないから、シェフ特製のアレンジメニュー。

実は、10日前から毎日欠かさずシェフにお父様の病状を報告して、お料理の相談をしていました。

彼らがシェフとお料理のお打ち合わせしたとき、わざわざお父様も来てたくらい、お料理に情熱をかける方なのでした。
珍しい鹿料理のコースを誰よりも楽しみにしていたのはお父様でした。

だから、私はできるだけお父様が選んだ料理に近い状態で食べさせてあげたかったんです。

シェフはまた違う観点だったのかもしれません。

一度だけ、ぽつりと私に言ってくれました。

「最期の食事になるかもしれないんだね」

だから、いち料理人としてなおのこと思い入れがあったのかもしれません。


シェフのスペシャルメニューは大当たりで、
当日、お父様は見事に完食されてました。

前日までお粥しか食べられなかったのが嘘のように、食欲旺盛でした。


ハプニングもたくさんあったけれど、とても素敵な結婚式でした。


今振り返ってみても、とても愛情に包まれたご家族でした。


人の前でも、常に、堂々と、見栄も誇張もなく、自分の子をあるいは親を自慢できるのって素敵なこと。

あの時あの場にいたゲストたちに彼らのそんなメッセージが伝わっていたらいいなと思います。
今日、一通の手紙を受け取った。

挙式を終えたお客様のお母様からだった。


達筆な文字で便箋にたっぷり5枚、感謝の言葉が綴られていた。


嬉しくて、思わず泣いてしまった。



彼らの結婚式は、
彼のお父様のためにあったようなものだった。

10年前に他界された新郎のお父様。
10年経っても、毎月の月命日にお墓参りを欠かさない家族。


彼らに出会った頃、「今までで一番嬉しかったことは?」と聞いた私に、彼はこう答えた。


「父の形見の時計を、彼女が内緒で直してくれたことですね」


特殊な部品を使う時計だったため、どこに行っても修理を断られていたそう。

彼女は、彼にとってその時計がどんなに大きな意味を持つのか知っていたから、
何軒も時計屋をはしごしたという。



結婚式の一週間前、私は彼から何枚かの写真とメッセージが書かれたメモを受けとった。


一人っ子の彼にとって、もはや唯一の家族となったお母様のために、
天国のお父様からメッセージビデオを届けたかったのだ。


私の手作りだから、プロの出来映えにはなれないけれど、
どうしてもお二人の想いを届けたくて、必死になった。


結婚式当日。

メッセージは無事流れ、
そのあと彼はお父様に手紙を読んだ。

そして、彼女が選んできた鉢植えをそっと遺影に捧げた。


会場中が涙したのは、

単にそのストーリーに感動したのではなく、

父への感謝や家族の愛情、それを素直に言葉にできる彼らの姿に感銘を受けたからだろう。



私自身、彼らから学んだことがあった。


自分の家族を大切にすること。

相手の家族も自分の家族同様に大切にすること。



亡くなった方が、本当に人の心の中で生き続けられること。



私は、彼のお父様に会ったことはないし、これからもない。

でも、今まで出会ってひょっとしたらもう一生会わない人よりも、私の心に残っている。


あの時、あの場に集ったゲスト全員の心の中で、彼らの想いとともにお父様の記憶が残っていくといいなと思う。