昨年 夏、シアボジが亡くなって10
月までの2ヶ月間
ジュニ君とわたしは、ほぼシデクで住んでた。

突然夫を失ったシオモニのさみしさを埋めるために。

わたしもシアボジの看病 (正式にはシアボジを看病するお母さんの看病)
に毎日早朝からシデクや病院に通い、その疲労の表れか、
生理が3ヶ月以上止まってしまったの叫び

初め妊娠かと病院に行ったら、閉経後の女性の子宮の薄さになってるとのこと・・・

治療してもいつ生理が来るか分からない状況だと思ってって言われたの。。。


子どもはまだ要らないとは思ってたわたしでも流石に焦ったわ。

いつか子ども欲しくなった時、
作れない可能性もあるって思うとちょっと怖くなった。。


ジュニ君は10月で仕事を始めて丸3年になり、
勉強の為に一年仕事を休むことにしていた。

わたしたちは夏休みに計画していたハワイ旅行をお父さんの様態が悪化したためキャンセルし、
替わりにジュニ君が仕事をやめた後、10月から期間未定でヨーロッパ周遊に出た。


とりあえずは1ヶ月の予定でロンドンから入り、フランス、スペイン、イタリア、スイスでそのまましばらく日本滞在の計画でいたの。

ところが、旅行も半分に差し掛かった頃わたしが今まで味わったことのない酷い体調不良汗


そこからはご飯も食べられず、身体中だるくて見学もロクに出来ず、
勿体無いことにお部屋のベッドでほとんどを過ごした。

仕方なく日程を若干早めての日本帰国、、、

そして分かったこと。





妊娠。



まさかの妊娠。



正直 嬉しいというより突然のことでわたしもジュニ君も心の準備が出来ておらず、、


医者「妊娠してますね。
旦那さんもこちらの部屋で超音波を見ましょう。
このチカチカ動いてるのが赤ちゃんの心臓です。」


ジュニ君、うりえぎ
「は、はぁ。」


ドラマでよく見る、

「おめでたですよ!」

「あなた!!赤ちゃんができたって」


みたいな感動はあまりの衝撃で無言に消えさった。


あまりにも長い間生理が来ないから、
とりあえず次の生理が来てリセットされないと排卵は起こらないと思ってたんだよね。


医者もこの状態での妊娠にビックリ。

正確な排卵日は分からないので、
赤ちゃんのサイズからおおよそ計算し
妊娠に気がついたのが既に妊娠3ヶ月でつわりもはじまっており

それから日本滞在中、
どんどん酷くなるつわりに悩み、

ジュニ君は学校が始まるため、つわりのわたしを日本に置いて予定通り先に帰国。

そこから年末までの1ヶ月半以上の日本滞在中、
ほとんど全ての匂いと食べ物を受け付けなくなったわたしは、電車にも乗れず、日本にいるのに友達ともロクに会えず ただ引きこもっていた。

年末からパパ達が旅行に出てしまうので一旦韓国に帰ったけど、
ひどいつわりで拒否反応するものは、

油、匂いがするもの全て、お肉、お魚、温かいもの。

今まで大好きだったものが見るだけで吐いてしまうようになり

果物以外はほぼ喉を通らない状態だった。

特に韓国料理は最悪で、寝室に居るのにジュニ君が冷蔵庫開けただけで吐いてる状況だった。


体重も3、4キロ落ち、
つわりが終わるまでせめて再び日本にいなさいと、
パパママが旅行から帰ってきたのに合わせて日本に再帰国した。


食べ物の嗜好は戻らないまま、
超肉食女が突然、ベジタリアンになってしまったけど(性格は肉食のままね)

何とか吐かなくて食べられるようになり、元の体重に戻せたのが妊娠6ヶ月、2月に入ってから、

韓国へ帰国した。



わたしは、、


子どもがまだ想像出来なかったこと。
一人でつわりで動けないのがつらいこと。
せめて赤ちゃんが女の子なら、って望んだのにその希望も儚く消え去ったこと。
自分だけ日々変わっていく不安。


それをマタニティブルーというのかもしれないけど、

「欲しくて子どもが出来たんじゃない!!もうやだ」

と、何度もジュニ君を責め続けた。


そんな風に、
わたしがお腹の赤ちゃんを愛せずに
母親の資格がないと神様が思って
天罰が下されたんだよね。















2012年の旧正月、ジュニ君の家族ではじめての家族旅行 inハワイ。

NYから、お義兄さん夫婦と 1歳の息子も合流し

これが 最初で最後の家族旅行となった。


ハワイ旅行から帰ってまもなく、4月にシアボジの還暦祝いがあった。

還暦に子供たちから、旅行をプレゼントしなさいと強いられたわたしたち・・・。


ところがその4月に健康診断で引っかかり

検査入院して 肺がんが発覚!


突然の癌宣告に、現実を受け入れられない義父は

癌になった原因は 家族がストレスを与えたからだ!


と、、周りに当たり散らしていたわ。

4月の発見時 肺がんステージ3で 手術は不可能。
 通常平均1年半~2年の寿命。


特別出来る治療がないと言われた時、

今後の治療をどうするか、家族で話し合うことになった。

手術不可能で治らないのであれば、ジュニ君とお義母さんは


「もし同じ立場だったら、治療して1年半の寿命を患者として病院で過ごすより

 寿命が一年になっても、残された時間が1年になっても家族で旅行に行ったりしたい。」



うん、わたしでもそうするだろうなぁ。

でも、お義父さんは

 「ヒト事だからそんな風に言えるんだ。

そうやって治療もしないで、早く死ねばいいと思ってるんだろう!!」


なんてキレてたヨ。

どうしたらいいか家族の意見が聞きたいって言ってたハズなのに。



そんなんで少ない可能性に賭けて、5月から1カ月半、毎日放射線治療で通院することにした。



まぁ。
そんな風にキレキャラは、癌で一層磨きが掛かって、

お義母さんのことも心配で毎週シデクに通ったよ。


無事に放射線治療は何の副作用もなく終わり、ステージ3の癌を持ってる人には思えない義父と

毎週家族で食事をしに出かけた。


途中、NYから出張を作ってはお義兄さんも帰ってきた。


でも6月に治療終わってから7月まで、ほとんど食べなくなって一気に10キロ近く痩せて

貧血も心配だからと8月頭に入院をした。

その時、既に全身に癌が転移してしまい、余命半年と言われた。


ところが日に日に 様態が悪くなり、


癌の発見から4ヶ月、入院してから10日目でお義父さんは亡くなった。


入院中も色々あったけれど 亡くなった人を悪くは言えないので

わたしのブログでのシアボジの悪口ももうおしまい。

2ヶ月前まで何ともなかった人が、、人間の命なんて儚いものなんだと思ったわ。


今を大事に生きていくわ。

遅ればせながら、
新年明けましておめでとうございます。

わたしは 12月から約1ヶ月
日本に一時帰国してました[みんな:07]


年末年始の3日間はジュニ君も日本に来て
初 日本のお正月を味わってもらいたかったし、

一番大きい理由は、韓国では新年を迎えたくなかった からなんだけどね[みんな:02]



韓国は新年は1月1日だけが休みで、
旧正月がメインのお正月。


だけど、ジュニ家はシオモニの親族で普通の元旦に集まるんだよね。


で、旧正月はシデクでジュニ君家族で過ごす。

お正月が二回もあるのに、
両方とも家族行事で終わるなんて
正月嫌いになりそうだから
親族集まる新正月は日本に逃げるコトに去年から決めていたの。


シオモニも1月1日は自分の家族と集まってるんだから、
わたしも出来るだけ毎年年末年始は日本に帰ろうと思うわけ。


でもお正月にしては出発が早いから
口実を準備したところ、

家族が重要視される韓国で通用するよう、
12月10日がお兄ちゃんのお誕生だからその前には帰りたいってことに目

結局お兄ちゃんは予定があわず、当日は集まっても無いけどね[みんな:03]


結婚して、1ヶ月もジュニ君と離れていたのは初めてだったの。

もしかして寂しくなるかな~
なんて期待はずれどころか、
忙し過ぎて、あっという間で短いくらいで
このまま別居もありだわってマトモに考えちゃった[みんな:03]


毎日お友達との約束と
買い物してるだけで、
パパからお小遣い貰ってる
30歳目前の嫁いだ娘としてはバチが悪くて、
形だけでも5日間短期バイトをしたのよ。

でもお給料は一ヶ月後だから、
バイト分は次回日本訪問時のお小遣いになるけど
韓国でバイトした場合と比べると何倍にもなるから、
わたしの単身赴任をイメージしてみた。



冗談抜きで、
わたしは日本で適当にバイトでもして暮らして
ジュニ君は韓国で働いて暮らして
たまに会えば喧嘩もしないし
ラブラブになれるし
わたしは韓国で寂しい思いも
ストレス貯めることも無くなって
ジュニ君も自由に出来る
ものすっごいイイ案じゃないかと!


つぎ大喧嘩したり、ストレスピークになったら考えてみよう。うん[みんな:04]


クリスマスも、もちろん別々だったんだけど
すごいコトに25日ピッタリにジュニ君からクリスマスカードが届いた。


年に1、2回しかカードなんてくれないのに、
離れてるから気が利くのかな??
なら 離れてる方が全然いいじゃん
なんて、思ったり。


それか パパとママにいい旦那のフリしたいだけなのか。

本心はどうであれ、今年最後の嬉しいコトだったわ[みんな:06]


photo:01

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韓国に帰国して、数日。
今のところ、平穏な日々を過ごしています。


今年の目標は、
ジュニ君にあまり怒らないコト。
結婚時の体重に戻すコト。
自分の道を探すコト。

もう若くないので、
波乱の人生よりも
そこそこ平穏な幸せを求めようかと。


来週末、旧正月はジュニ君家族とハワイで過ごすコトに、、、
もちろん兄嫁家族もニューヨークから[みんな:08]

また、一波乱起きそうだけど[みんな:07]

今年も一年、韓国から頑張ります。

iPhoneからの投稿
先日ジュニ君の20代最後のお誕生日クラッカー

去年は、結婚後初だったから

義両親をウチに招待してパーティーしたの。

でも今年は別。

今年もわたしが作って招待すると、

今後 毎年ジュニ君のお誕生日は

家族を呼んでウチでパーティーが

当たり前になってしまい、

恒例行事ほど怖いことはないわ、と思ってた。。


去年はイタリアン料理で準備したら

5人分をコースで出すのは大変で

しかも韓国人食べるの早過ぎだから

わたしは食べるどころか席に着くことすら出来なかったわ。


だから今年は普通にお外でパーティーかなって思ってたら、

ちょっと前 シオモニに

ジュニ君のお誕生日はどうするの?
当日は二人がいい?

家族とのパーティーは、うりえぎが準備してくれるんでしょ??


と、言われ

ヤバイ~叫び
家でやるものだと思われてる叫び


今月はジプトゥリもあって 忙しくて
まだ何も考えてなかったんです。

ジュニ君に何食べたいか、
聞いてみますね。


と流しておいて

後日、 ジュニ君からシオモニに電話を掛けて


美味しいお肉を食べいきたい、

と、伝えてもらうことにした。


わたしはケーキだけを準備し、

ブンダンで、

いや、

わたしが韓国で食べた中で上位に入る程

極上なお肉を出してくれる

焼肉屋さんに行くことになっていた。



すると当日の朝、シオモニから電話で


兄嫁が昨日アメリカ行きをキャンセルしたから、
今日のジュニ君のお誕生日会に兄嫁も参加することになったわ。

兄嫁を夕方迎えに行くから、
パーティーの時間まで 兄嫁と子どもと
うりえぎ宅で待機したいけど都合は平気?


と。




ワザワザ 3ヶ月オープンの帰国日の中から、
わたしの旦那様のお誕生日を帰国日に選んだのも理解不能だったけど、

もうNYに帰って会わないなら
それに越したことはない

と思っていた、ヒョンス(兄嫁)。




美味しいお肉屋さん行くことになってたから、
気分変えたのか???

ヒョン(兄)と夫婦喧嘩でもしてやめたのか。

もしくは、さすがに一度も過ごしたコトない義弟の誕生日に気を遣ったのか。

どちらにせよ、人騒がせだから
巻き込まれたくない、と思っていた。


そして、いつもの如く

シオモニに偉い偉い兄嫁様は
お車でお迎えが当たり前、、、

何度も言うけど、
兄嫁の実家と兄嫁は車で1時間半以上の距離。


ウチで待機の話、


シオモニは大歓迎だけれども、
ヒョンスにウチの敷居をまたがせたくなかったわたしは、

ジュニ君のお誕生ケーキを作っているから、
お家の中が汚いから 赤ちゃんには不衛生だとか、
仕上げに足りない材料を買いに行くからバタバタしている、
とか 遠回しに断ったら

じゃ、万が一時間が余っちゃって、
子どもが大変だったらお願いするわね。


とお義母さん。


ところが、
パーティー直前に 再びシオモニから電話。

あー結局ウチで待機ってコトかと
電話に出たら、


迎えに行こうとしたら
ヒョンスが 体調が悪いから
今日は参加出来ないって
電話があったわ。
お母さんは会場に直接行くから
気にしなくてイイよ



ありえない、、、


韓国では "シ" がつく、旦那の家族たちを

法律の如く絶対だと 思っていたんだけど。

さすがに日本人のわたしでも、
ジュニ君のお姉さんのお誕生日会だったとしたら、

入院や救急車で運ばれる病気じゃない限り

風邪程度でドタキャンは 無しだわ。。

せめて 具合悪いからと、
ご飯だけして早めに切り上げるなり

最低限の礼儀が出来ないのかと。


ましてや、最初で次はまた会えない可能性の高い シ弟のお誕生日会。

わたしは今年のお正月、
1月1日の明け方、

十二指腸潰瘍と食道炎による激痛で

新年早々救急病院に駆け込んだのに、

午後の家族の集まりには 手作りケーキを準備して 挑んだのよ。

それが嫁なのかと思ってたわたしが
馬鹿に思えて来たわ。


会えば それもストレスだけど、

会わずにしても 最悪な存在感、、、

もう関わりたくないと

思い続けてるけど それを許さない現実に イラつくわぁ。


ヒョンスへのイラつきは

まだまだ続くんだけどね。


ともかく、ジュニ君のお誕生日会は
無事はてなマーク終えることが出来たんだわ。
photo:01




iPhoneからの投稿

先週末は ジュニ君を懲らしめる為に

シデクにお泊りしたんだけど

お陰で 喧嘩には至らず。

流石に焦ったジュニ君は

土曜日早朝に 私を迎えに来て、

優しくされて 懲らしめた甲があり


逆にお義母さんには、

シオモニ想いのとてもいい嫁で感謝され

一石二鳥だったわドキドキ


赤ちゃんをシオモニ一人でみるのは大変だからと

手助けをする為に 泊まったことにし、

赤ちゃんを寝かしつけた後は、

おんぶしっぱなしで腰が痛いというお義母さんに

マッサージをしてあげて。

もちろん断られたから、



今日は ジュニ君の代わりに

お義母さま孝行しに来たんですよー。

わたしはお義母さまを

本当のお母さんみたいに思ってるのに

他人行儀に断られたら淋しい。



と言って、マッサージして点数稼ぎ。


翌日、ジュニ君やジュニ君のお姉さんに

昨日はうりえぎがオンマにマッサージしてくれたのよ


って、すごい嬉しそうに話すから

してあげて良かったぁって思ったわ。



人の良過ぎる姑に 何の気も使わず、
人見知り盛りの一歳の子を
ほとんど会ったことないおばあちゃんに預ける兄嫁。


そんなお義母さんを手助けしに来る嫁のわたし。


勝利。


とは言え、シオモニは

わたしと兄嫁は平等にと

いくら兄嫁のあり得ない行動を目の当たりにしても、

わたしの前ではいくら聞き出しても、

兄嫁を決して悪くは言わないんだけどね。


でも心の奥底では勝ちたいと思ってしまう。


孫を産んだことで、わたしは勝ち目ないかもだけどね汗


普通、お嫁さん同士って仲がイイものなのかな~??


ウチのママはお嫁さん同士、

とても親しくお付き合いしてるのに

兄嫁がマトモな人だったら仲良くしたかったわ。


ってお互い思ってるかもね。


明日っていうか今日?はジュニ君のお誕生日ドキドキドキドキ

初の一緒に祝うジュニ君のお誕生日を

兄嫁がどうするか見ものだったんだけど、

月曜日に日本から帰ってきて、

明日の金曜日にNYに帰国するらしいDASH!


しかも兄嫁は実家から帰るのに、

何故か シオモニが空港まで車で送るって言ってたから 謎過ぎる。


ちなみに兄嫁の家はソウルの南上の方にあって、

シデクからは50キロくらい1時間半は掛かる距離ね。


ウチだったらパパが仕事お休みしてでも、

姑に送り迎えを頼むわけないなぁ

と思うと、兄嫁の家族は全員頭がおかしい。


明日帰ってしまって
もうしばらく会わないとイイんだけどね。


そう言えば、お義母さんとお話してる時

赤ちゃんをみながら、

女の子ならいてもイイかなぁ


って シオモニに言ったら、

うりえぎが昔言ってたハワイ出産したいなら、
させてあげるから本気で考えたら言いなさい。


と 言われたので さっそく

このチャンスを逃すまいと

シオモニの韓国人独特の気がコロコロ変わる前に

ジュニ君に伝えたら

ねね、子ども作りたいと思う~??


ジュニ君はまだ子どもが めんどくさいから要らない~

と、即却下。


でもこれで子ども作らないのは

わたしじゃなくて、ジュニ君のセイに堂々と出来る音譜


ウチはやっぱり生涯二人きり家族かしらね。

少なくとも韓国に居る内はね。


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