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diagnosis was depression


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雨の音を聞きながら椅子に座って机に向かっています。

同時に今この場所に自分のパーソナルな部分を書くべきか否かという

ふたつの道の分岐点に立っています。




誰が、そして何人が、この文章を読んでいるのかは把握できませんが

この活字に触れてくれているのはおそらく、少なからず僕のことを知っている方々なのでしょう。

僕のことを知らない人も中にはいるかもしれませんが、あしからず。

読み手に対して明確に伝えたいことはありません。しかし書くことに意味があると感じたので

分岐の片側へ踏み出そうと思います。




僕は今年の3月に国家資格を取得して、精神保健福祉士として5月2日から精神科の病院で働いていました。

800人の認知症の高齢者が入院している病院はとても興味深い環境でした。




そして2ヵ月後が過ぎた今日、7月7日。

僕は患者として家の近くにある精神科の門を叩きました。

医師からの診断の結果は、うつ状態のために1ヶ月間の静養が必要ということでした。




離れて暮らす母親は僕が中学生のとき拒食症になり、それ以降も抗うつ剤を処方されているので

母親の血を引く自分にも、うつの傾向があることは自覚しています。

自分も18歳のときに1度絶望を感じてからは絶えず不安や孤独が消えることはありません。

しかしそれらの感情は決して排除すべきものではなく

植物が求める水のように、自分の中に必要な要素であり

自身のパーソナリティを構成する上でも重要な因子です。




自分の対人関係、その根底にあるのは外向性を求める内向的な意識と

バンコク在住時にタイ人から学んだコミュニティへの帰属意識です。

それは一般的な日本人のモラルとは少し異なっているかもしれません。

それでも無条件にそれは自分自身であり、今後も大切にしていきたい感覚です。




対極のものを同時に抱えるということは、しばしば苦痛を伴います。

それでもアンビバレント、両価性を克服するのではなく、それらと共存しながら生活をしてきました。

これからもそうしていくのでしょう。




自分自身の生活がこれからどこに向かうのか

それを知るためには時間が必要のようです。

確かなことは、VIVARTAのベーシストとしてこれからも音楽に向き合っていくだろうということです。

自分の行動や表現を通して他者と関係するということはとてもわかりやすく、大きな喜びをもたらしてくれます。

そして自分がこの時代、この場所にいることの意味を知るきっかけとなります。

できるならばその運動の中で一生を終えたいと願っています。




明日、7月8日は京都木屋町CLUB GHOSTにて演奏を行います。

年内に計画している全く新しいイベントの布石となる一夜です。

何が起こるかは自分でもよくわかりませんが、どうぞおこしください。

そしてお会いしましょう。




最後まで読んで頂きありがとうございました。

7月8日

京都で音楽の演奏をします。

play to live, live to play.


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Joe Lally


あなたの言葉を思い出しています。


またお会いしましょう。


http://sound.jp/hardlistening/interviews/joelally_1.html