担当 いと

 

 

今回の大まかな流れ

 

0-1魔力・権力といった観点から髪と社会の関係を見ていき、どれほど髪は影響を及ぼす価値のあるものだったかを説明する

 

0-2 本日の我々に馴染み深い理髪店・理髪業・美容室といったものが、いかにして移り変わってきたのかを述べる

 

髪と魔力

 

1-1 髪に存在するパワー

1-1-1 現在私たちの生活において「髪の毛」は、容姿を整えるためなどファッションアイテムとしての役割が大きい

1-1-2 国や地域によっては、毛髪は人体のパーツの中でも予想以上に大きな価値を持つ部分であると考えられた

1-1-3 古い時代から人々の関心を集めて、魔力を持つものとして恐れられてきた

 

1-2 南チリのインディオ

1-2-1インディオの髪の毛は長髪である (図1-1)

1-2-2 インディオとはアメリカに住んでいた先住民のこと

←彼らは髪の毛を切るという行為を絶対にしない

1-2-3 髪の毛には感覚を鋭くすることができる機能が備わっており、断髪によってその機能が失われてしまうと考えた

1-2-4 実際に長髪が社会において大きな役割を果たしている

1-2-5 ベトナム戦争時 (1965年〜)、アメリカ陸軍の特殊部隊はインディアンの男たちを軍にスカウトした

1-2-6 彼らは戦争においてレーダーなどを持っていなかったが、なぜか仕掛けられた罠を避けていくことができ、追跡能力にも優れていた

1-2-7 ある時、軍の規則によって、髪の長いインディアンたちを強制的に短髪にカットしてしまった

1-2-8 彼らのパワーは半減し、今まで見せていた驚異的な能力がなくなってしまった

1-2-9 疑問を抱いた政府は、「髪を切ったインディアン」と「髪の長いインディアン」をさまざまな能力テストにおいて比較した

1-2-10 明らかに髪の長いインディアンの方が高い身体能力を発揮した

←プラシーボ効果 (思い込み) もあると考えられているが、彼らインディアンたちにとって髪は第六感を司る役割を果たしていたと考えられる

1-2-11 敵の髪の毛を手に入れて、それを木の上から落として相手を呪おうとする行為も行った

 

1-3 スコットランドの習慣

1-3-1 ヨーロッパでは、切られた髪の魔力に対する恐怖心が民衆に存在した

1-3-2 スコットランドの漁村の女性たちは夫や兄弟が出漁している間は髪を切らなかった

←髪が抜けて火で焼かれることで、大嵐が起きて沖合が荒れると考えていた

 

1-4 チロル地方

1-4-1 チロル地方はオーストラリアとイタリアにまたがるところにある地域で、魔女の街として有名

1-4-2 14世紀からは魔女狩りというものも頻繁に行われていた

1-4-3 魔女は魔術を行うために他人の髪の毛を盗むと恐れられた

←この髪を使って嵐や吹雪などを呼ぶと考えられていた

 

1-5 呪いを防ぐ手段

1-5-1 髪は敵や悪者の手に渡ってしまうことで、悪用される危険性がある

1-5-2 呪いを解く方法として、切られた髪に三度唾を吐きつけるという方法が古代ギリシアにおいて伝わっていた

1-5-3 唾は髪の呪いに限らず、様々な呪いを打ち消す力を持っているとされている

a 「マルコ福音書」において、イエス=キリストは目や耳が不自由な人に自分の唾を用いて治癒をさせたと記されている

←新約聖書の中の一書

b  中国や日本では、夜間にタヌキに化かされないおまじないとして、眉に唾を塗る習慣があった

→髪を捨てる際や呪いの対策として、唾が重要視された

 

1-6 オークションにおける著名人の髪

1-6-1 現代においても、髪が価値を持つものとされていることを確認することができる

1-6-2 2007年10月、テキサス州ダラスでチェ・ゲバラ (図1-2) の遺体から切り取った黒髪が出品された

←キューバで革命を起こし、社会主義国家の実現に貢献をした人物

1-6-3 偉大な人物だったため、彼の髪は11万9500ドル という大金で出品され落札された

←日本円に換算すると約1400万円である

1-6-4 入札したのはビル・バトラーという書店経営者であった

←彼は1960年代の著名人や出来事に関する記念品を収集するという趣味があった

1-6-5 同じ年に、アメリカの大統領であったリンカーン大統領の髪が1万1095ドル (日本円で約127万円)でオークションにかけられている

1-6-6 著名人の髪は高値で取引される

←著名人たちの髪は、彼らの魂が宿っているものであり、その人物の一部を所有している気分になれるため

 

1-7 髪には力があると考えられ、このような考えは過去から現在に幅広く存在している

 

髪と権力

 

2-1 髪型はその人物の社会的地位を表していることが多い

 

2-2 飾り立てた髪型

2-2-1 飾り立てた派手な髪型は、ほとんどの社会において地位や権力、富を保有していることを示している

2-2-2 髪を飾り付けるには時間がかかり、最低でも一人は髪を整える使用人が必要になる

2-2-3 原始時代のアフリカでは、ビーズと王冠型の髪飾りを絡めて束ねたりした

2-2-4 手の込んだ髪型にする余裕があるのは、それに要する時間や人員を持った、権力と富を持つ地位の高い人物だけである

→派手な髪型はその人物の社会的地位が高く、経済的に豊かであることの象徴である

 

2-3 剃り上げた頭

2-3-1 剃り上げた頭が人物の立ち位置を表すこともある

2-3-2 軍隊の隊員は、古代から現代まで時代を問わずに短髪であるべきだとされてきた

2-3-3この慣習を始めたのはアレクサンドロス大王 (在位前336年〜前323年) と言われている (図2-1)

←ギリシャの北方にあったマケドニア王国の王子として生まれ、様々な国と戦争をして勝利を収めた

2-3-4 当時の戦闘では剣と盾を用いていたため、頭髪でも顎ひげでも長い毛は大きな危険をもたらすと考えられていた

2-3-5 髪やひげを掴まれたら、重武装の歩兵でも武装を解かれて動きを封じられてしまう不安があった

→彼は全ての兵士に短髪を義務付けたとされている

2-3-6 短髪の慣習はこのような危険性を考えなくなった今日も続いていて、今では秩序や規律を追求するために行われている

 

2-4 中国の辮髪

2-4-1 中国を起源とする儒教の教えでは、民がそれぞれ与えられた地位や場所にいることで、社会の平和が保たれるとされた

2-4-2 古代の中国においては、一般に広まった手順で編まれた髪によって社会階層と年齢層を区別した

2-4-3 17世紀に入ると、漢民族は辮髪を強制させられるようになる (図2-2)

←頭頂部の髪の毛を少しだけ残し、残りは全て剃り上げてその残したものを三つ編みにする

2-4-4 20世紀になり孫文 (1866〜1925年) が指導者になると封建制度からの脱却を目指すべく、旧体制の象徴である辮髪をやめることを推奨した

2-4-5 辮髪を切る行為は都市部では広く受け入れられたが、農村部では強硬に反対をされた

2-4-6 辮髪を守るために殺人や自殺まで起こる事態となった

←辮髪が象徴している自分たちの社会的な立ち位置を、自らの命よりも重要だと感じていた

 

理髪店の登場と拡大

 

3-1 理髪店と美容院

3-1-1 理髪店

a 主な業務は理容師法に基づいて行われ、頭髪の刈り込み、髭剃りなどによって容姿を「整える」ことを目的とする

b 別名では理容室、床屋、散髪屋ともいう

3-1-2 美容院

a 美容師法に基づいて行われ、カラーやパーマなどによって容姿を「美しく」する

b 別名では美容室ともいう

 

3-2 理容業の確立

3-2-1 現代人にとって、理髪店というものは馴染み深いものであり、今ではさまざまな場所で遭遇することができる

3-2-2 800年頃から1214年までは散髪したり、整髪したりするといったことは修道士が行っていた (図3-1)

←キリスト教で、清貧、貞潔、服従の3つの誓いを立てた男性のこと

3-2-3 修道士たちは髪の手入れだけではなく、腫れ物を切開したり、歯を抜いたりなど様々な領域の治療を行っていた

←今の理髪店と外科医、歯医者がそれぞれ専門として行っている仕事が、全て同じ人々によって行われていたことを表す

3-2-4 1215年のラテラノ公会議で、修道士などの聖職者(神様に関わる者)が外科的な処置を行うのは不適切だと判断された

3-2-5「このような瀉血(しゃけつ)などの治療を行ったものは教会内においての昇進を正式に禁止する」と裁定した

←瀉血とは治療目的で血液を体の外に排出させることを表す

3-2-6 この裁定を受け、「職人として」外科医を兼ねる理容師(理容外科医)がヨーロッパ中に出現して成功を収めるようになった

←理容(理髪と美容)と外科どちらも扱うこと自体は禁止されていない

3-2-7 理容外科医の社会的な重要性を認めたイングランド王は、初めての組合である「理容師・外科医組合」を設立させた

←外科医の仕事を兼ねている理容師のこと

3-2-8 1745年に組合は「理容師組合」、「外科医組合」の二つに分裂することになる

a 毛と体は分離可能であり、別々のものとして扱うべきだという考えが出てきた

b 理容、外科それぞれの分野において必要となるスキルや仕事内容に差が出てきた

c 理容分野においては散髪や腫れ物の切開などの簡単な治療、外科分野は火傷や骨折などの複雑な治療を行っていくようになった

3-2-9 これら二つの組織は、現在どちらも活動を続けている

 

3-3 理容店の変遷

3-3-1 1860〜1880年頃、世界的に見て理容師という職業は黒人 (アフリカ系アメリカ人) が大幅な割合を占めていた

3-3-2 チャールストンでは理容師の96%、コロラドでは全体の66%であった (図3-2)

←アフリカ系アメリカ人 (黒人)の奴隷としての立場が大きく関わっている

3-3-3 17世紀から18世紀にかけて、大半の奴隷は主に農作業に従事していたが、少数の奴隷たちは個人につく「使用人」として家事をしていた

←主な仕事内容としては主人の髪を切ったり髭を剃るなど、身だしなみを整えることだった

3-3-4 奴隷でありながらも、これらに秀でている奴隷は衣食住、教育の面において他の奴隷とは別格の好待遇を受けることが多かった

3-3-5主人は彼ら自身のために理容店をリッチモンドといった大きな街に出してあげたりもした

←この理容店はサービスや内装、衛生管理面においてもしっかりしていて、高級であった

3-3-6 奴隷理容師の中でも野心のある者はこの施設をうまく使い、自分だけではなく家族も養っていけるほど裕福になっていった

←多数の黒人奴隷の中で、少数ではあるが成功者が誕生した

3-3-7 奴隷の所有者 (白人) は彼らが経営している店の売り上げから利益を得て、富を増やした

3-3-8 黒人理容師には辛い一面もあった

a顧客に白人が多く居たため白人に従順で、いつも接客の際に機嫌を取らなくてはならなかった

b白人客が黒人の客と同じ店で整髪・接客されることを嫌ったため、黒人客を追い出したりしなくてはならなかった

←自分と同じ人種を排除しなくてはならない屈辱を抱えていた

3-3-9 その後、貴族的な白人の減少によって様々な人種が理髪店を経営するようになる

←理髪業というものの地位が高まり、人々に認められてきたことを証明している

 

3-4 日本における理容業の歴史

3-4-1 昔の日本においては、男女問わず髪を結う文化があった

3-4-2 明治時代、日本は様々な国と交易をし、主に西洋の文化を積極的に取り入れた

3-4-3 日本でヘアカットが誕生するのは「断髪令」が出された後になる

←断髪令とは1871年に政府が出した散髪の自由を決定した法律

3-4-4 この法律は断髪をすることを半強制的にさせるものであった

3-4-5 都会には理髪店はすでにあったが、地方にはあまりなかった

→理髪店に対する需要の高まりから全国に「理容業」というものが拡大していった

 

3-5 理容店のサインポール💈

3-5-1 街中で理髪店を通るとサインポールが設置されているのを見かける (図3-3)

3-5-2 かつての理髪店では、瀉血(治療目的で血液を体の外に排出させること)を行っていた

←サインポールはこの瀉血の処置の状態を表現している

3-5-3 皮膚を切開している際、患者に棒を握らせて腕を固定し、その棒を伝って血が受け皿に流れ落ちるという仕組みをとっていた (図3-4)

3-5-4 棒に血がついてしまい、見た目的にも衛生的にも良くないため、最初から棒を血の色に似せて赤く塗ることにした

3-5-5 ある時赤い棒と包帯を洗って干していたところ、包帯が赤い棒に螺旋状に巻きついた

←サインポールの起源となる

3-5-6 後にサインポールは我々に馴染みのある赤、白、青で構成されたものが誕生するようになる

3-5-7 1745年に理容師と外科医の組合は分裂することとなった

3-5-8 この時に、理髪店は青を含めた3色をシンボルとするように定められる

←諸説あり

3-5-9静静脈を表す青色を加えようということで追加されたとも言われている

3-5-10 いずれにしても、この3色のサインポールは今では理髪店の象徴となっている

 

美容院の誕生

 

4-1 社会で認められなかった美容院

4-1-1 現在、理髪店を利用するのは男性が多いというイメージがある

←歴史的にみた場合も、男性の多くが主に理髪店などの自宅以外の場所で髪の手入れをしていた

4-1-2 女性の場合は召使いや家族、友人の手を借りて人目につかないように自宅で行った

←ヨーロッパにおいて、17世紀になるまで男性は女性の髪を扱うことがローマカトリック法によって禁じられていた

4-1-3 美容院は、マルセル・グラトーという人物がカールの手法を開発した1870年代に本格的に受け入れられるようになる

 

4-2 拡大する美容院

4-2-1 マルセルは元々馬の毛並みを手入れする係として、毛に携わる仕事に就いていた

4-2-2 彼は仕事の合間に友人の美容師に頼んで手伝いをさせてもらった

4-2-3 これによって彼は女性の髪を熟知していき、自分の美容院を開いた

4-2-4 彼は、圧力、熱、コテの3つの組み合わせによって自然なウェーブを作り出せることを発見し、「マルセル・ウェーブ」と呼ばれるようになる

←カールアイロンともいい、主に巻き髪を作るのに適している

4-2-5 その魅力さに女性たちが心を奪われ、グラトーの予約を取ろうと客が殺到する

4-2-6 彼の成功によって、美容院は幅広い顧客を獲得することができた

←女性が家の中ではなく自宅の外の美容院へ行く習慣ができ、堂々と通うことが可能になった

4-2-7 今では、「美容院」は女性だけでなく男性の生活の一部にもなっている

 

まとめ

 

5-1 昔は髪の毛には魔力があると考えられており、国や地域によっては今もその考えが残存している

 

5-2 髪型によってその人物の立ち位置を示したりすることがある

 

5-3 宗教的な意味を失いながらも、髪は社会において大きな役割を果たし、関与してきた