9/7~9/9まで、清平に弔問に行かせて頂いた。
忙しい日常の中、お父様が呼んでくださったのだろう。
予定や金銭的な問題で、一時渡韓にとまどったものの、行くと決めれば全部神様と霊界が整えてくださった。本当に感謝であった。
聞けば、ご聖体にお会いできる最後の機会だという。
基元節までに日本にお迎えしようという想いや、基元節には韓国に行ってご父母様にいい報告をしようという想いはよく抱いていたが、まさかご聖体にご挨拶にいくとは微塵も思っていなかった。
ほとんどの食口がそうだろう。。
清平に着いて、初めて見る完成したワールドセンター。
聞くところによると、お父様の聖和の為に造られたそうだ。
屋根が広げた翼に見える。なるほど、霊界に飛んでいくにふさわしい雄々しい建築だ。
左翼と右翼を統合し、頭翼となって世界を霊界を駆け巡る、まさにWORLD CENTERである。
原理講論を手にされたお写真が大きな絵になっている。
写真ではなく、絵なんだ、、とふと思った。
午後は天正宮でご聖体にお会いする予定だが、バスの待ち時間が内外ともに半端じゃない。
バスを待ちながら、目の前のワールドセンターの弔問の列が、階段を越えて、道路にまではみ出しているのが見える。
何時間も待つのも厭わずに弔問に並ぶ食口のお父様を慕う心情もずば抜けているが、お父様は、これだけの人の命を救って来られたんだ、と思うとまさに救い主のご苦労と栄光の両方を目の当たりにしているような気がした。
天正宮に入ったその神々しさといったら、表現のしようがなかった。
純白に輝く建物と、背後の山と庭の木々の緑、頭上に広がる空の青さが、美しい太陽の光を中心に見事な調和を見せてくれていた。
天国とはこのようなところなんだ、と直感的に思った。
霊界がお父様の聖和を祝福し、私たちの参拝をお父様が迎えてくださっているかのような、喜びと恍惚感に満たされながら、天聖宮に入宮した。
階段の下で5列になって、ご聖体の安置されている部屋に入るのを待つ。
涙を流しながら階段を降りて来られる女性もおられる。
自分といったら冷静なもので、天正宮の建物内部の装飾の美しさや雰囲気の神聖さに、ずっと惹きつけられていた。
これほど高貴な建物に住むには、人格的にも高貴でなければならない。そうでなければ逆に居心地が悪いだろう。
柱や床の大理石から、扉に使われている木まで、本当に立派な物が使われいて、一切手抜きがない。
当然といえば当然かもしれないが、この建物の神聖なたたずまい自体が、真のご父母様が本物であることを証明しているような気がした。
そして、荷物を降ろし、靴を脱いで、ご聖体の安置されている部屋に入った。
少し離れたところに横たわったお父様が見える。
小さくなられた。。
あれほどの霊力と眼光を放っておられたお父様はそこにはおられない。
ただ、防腐処理された肉体が横たわっていた。。
そうか、本当に行かれたんだな。と思うと同時に、
あれほどの霊人体が霊界に行かれたことの影響のとてつもない大きさを考えた。
肉体は静かだ。死は肉の眼で見れば、あまりにも明確だ。動かない事実としてそこにあった。
目の前数メートルにまで近づいて対することができた。
近づいた一瞬、涙が出そうになったが、出なかった。
横たわった聖体を目の前にして、私がなぜ、今、ここに、こうして立っているのか、不思議な気持ちになった。
もちろん、考えてもわからない。言葉も出てこない。
祈れといわれても、何も言葉が出て来ない。
昨年おじいちゃんが亡くなった時は、出棺の時、涙が止まらなかった。。家族全員が涙した。
なのに今は、涙すら出ない。
ただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。言葉を探したが、どんなふさわしい言葉も見つからなかった。
国進さまが険しく切ない表情でお辞儀をされた。
お辞儀をお返しし、部屋を出た。
階段を降りながら、一緒に入った同じ教会の兄弟とも何も話さなかった。いや、話せなかった。
喪失感とも、申し訳なさともいえない、大きく深い事実を我々は引き受けた、という衝撃が自分たちの小さな心の器を駆け抜けていることを暗黙のうちに共有した。
天正宮の真珠門を出ようとしたとき、ひらひらと何かが舞い降りて、真珠門の柱の下にとまった。
「トノサマバッタだ!」
思わず叫んだ。
何十年振りに見ただろう。力強い後ろ足を曲げながら、若々しい緑色の体が光り輝いていた。
「お父様が来られたね!」
隣の兄弟が笑っていた。
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