高山右近研究室のブログ

・右近についての、Q&A (質問を受け付けています)
・右近研究こぼれ話 など

監修 右近研究家・久保田典彦
http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/

管理 高山右近研究室
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Q. 髙山右近の遺言の記事の中に出てくる “ 聖トビアス ” とは、

どんな人なのですか。

 

A. 髙山右近の遺言の中に出てくる人ではありません。

 

 髙山右近が 孫たちに遺言する場に 同席した モレホン神父が、その時のことを記している文章の中に登場してきます。

 

 「 ドン ・ ジュストは、肉体的にも 精神的にも弱っていたから、航海の疲労が最後の病いの原因となった。

 非常に重態になったので、明らかに最後の時の来たことを悟り、たびたび告解をし、その他の秘蹟を受けて 思慮深く必要な処置をし、

 

 聖トビアスが息子に為した如く、

 

 彼の遺言は、説教であり 孫に対する忠告であった。

 孫がみな若かったから、言い遺したことの一つは、

 りっぱなキリシタンになるように努力し、教会や イエズス会のパーデレに従順であること、

 もし これに背く者があれば 勘当し、孫とも親族とも思わぬ、という

ことであった。

 

 彼らが泣くのを見て、 『 なぜ泣くのか? 私が死んだら 困るとでも考えているのか? お前たちは 間違っている。神は、お前たちを保護することを考えてい給うし、神が お前たちの父である。』 と言った。」

 

 

● “ 聖トビアスが 息子に為した如く ” ━━ と ありますが、

 「 トビアス 」 ではなくて、 「 トビト 」 の間違いだと思われます。

 “ 神父 ” である モレホン神父にしては、ちょっと 考えられないこと

ですが ・・・・・。

 

 「 聖書 」 は、旧約39巻 ・ 新約27巻、計66巻が 正典ですが、

 それ以外に、「 アポクリファ ・ 外典 」 と呼ばれたり、カトリック教会で 「 第二正典 」 とされている書に 「 トビト記 」 があります。

 

 トビト は、112歳で 安らかに息を引き取っていくのですが、死に臨んで、息子の トビア ( トビアス ) を呼んで、こんこんと諭して、遺言するのですが、その場面を思い起こさせるような、右近の姿だった

 ━━ と、モレホン神父が記しているわけです。

 

●  「 さあ イスラエルの民よ。あなた方に命じる。

 心から神に仕え、神が望まれる事を行いなさい。あなた方の子ども達が いつも正義を行い、慈善のわざに励み、神に従い、どんな時でも 力を尽くして、心から神の御名を ほめたたえるように教えなさい。

 

 トビア。よく考えてみなさい。慈善のわざをすることが、どんな利益を生み、不正を行うことが、どんな害をもたらすか。不正を行うことは、死に ほかならないのである。私の命も、もう終わりだ。」

 

 人々が トビトを床に寝かせると、彼は息を引き取った。そして、手厚く葬られた。

 

 

※ 今日 ( 8/18 ) は、孫の一人の 誕生日。 “ 誕生日プレゼント ” は

欲しいものの発売日が 秋とかで、先送り。

 でも、何もないのも 寂しいので、“ 桃と カード ” を届けましたよ!

 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12213384249.html

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12212866865.html

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  【 阿波おどり 】

        毎年 8/12 ~ 15 までの 4日間 行われます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=7Y1A5dkqzyU

 

 

 

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Q. 天正遣欧 少年使節が、豊臣秀吉の前で 演奏した曲の名前は、

わかっているのですか。

 

A. 1591年3月3日。京都 ・ 聚楽第において、

 関白 ・ 豊臣秀吉と、インド副王使節としての ヴァリニャーノが謁見

した時に、帰国した 四人の 天正遣欧使節たちも同行し、秀吉の面前で 西洋音楽を演奏しました。

 

 その時の様子が、「 フロイス 日本史 」 第5巻 26章 に記されています。

 

 「 関白は、四名の公子に音楽を奏でて 聞かせてもらいたいから、

自分の前に出るようにと 命令した。そして、そのために用意されていた楽器が ただちに届けられた。

 

 クラヴォ ( ヴァージナル ・ チェンバロの前身 )、アルパ ( ハープ )、ラウデ ( リュート?)、ラヴェキーニャ ( ヴァイオリンの前身 ) の楽器を演奏し始め、それに歌を合わせた。

 彼らは、イタリアと ポルトガルで それを十分 習っていたので、りっぱな態度で、実に品よく 軽やかに奏でた。

 

 関白は、これらの音楽を 非常に注意深く、かつ 珍しそうに聞き、彼らをして もっと歌を歌わせた。

 というのは、公子らは、関白への敬意から、彼を煩わせてはいけないと思い、少しく楽器を奏でた後は、弾奏を中止したからであった。

 

 関白は、同じ楽器で 三度、演奏し 歌うことを命令した。

 

 その後、楽器を一つずつ 自らの手にとって、それらについて 四名の

日本人公子に 種々 質問した。

 

 なお その他、彼は ヴィオラ ・ デ ・ アルコと レアレージョ ( 携帯 風琴 ) を弾奏するように命令し、それらのすべてを きわめて珍しそうに観察し、彼らに種々 話しかけ、

 “ 汝らが、日本人であることを 大変 うれしく思う ” と述べた。」

 

● この時、関白 ・ 豊臣秀吉の前で 演奏された音楽の曲名は、記されていませんので わかりませんが、

 

 その内の一曲について、皆川達夫さんは、

 彼ら 遣欧使節が ヨーロッパ旅行中に 盛んに演奏されていた

 「 Mille regretz ・ ミル ルグレ 」 ( 千々の悲しみ ) に違いないと、

推察されています。

 

 ルネッサンス期の作曲家 ジョスカン ・ デプレ の曲ですが、

 スペイン国王 ・ カルロス一世 が こよなく愛したことから

 「 皇帝の歌 」 とも呼ばれるようになった 美しい曲です。

 

 歌詞は、当時 音楽先進国であった フランドル ( 今の ベルギー辺り ) の言葉の、フランス語です。

 

 天正遣欧使節が、関白 秀吉との 聚楽第での謁見の際、天下人に

ささげるのに 最も ふさわしい曲として 演奏されたのではないかと推定されています。

 

 

 ※ どんな曲なのでしょうか。

 

https://www.youtube.com/watch?v=8WuQ0FFo8xA

 

https://www.youtube.com/watch?v=gArCoxd5QPA

 

https://www.youtube.com/watch?v=uv-LgLq_wmY

 

 

 

 ※ 楽譜は こちら。

   2段目と 6段目の ♪ファ は、 ♪♯ファ が、よいようです。

 

http://chris.art.coocan.jp/gleewiki/?%A1%DA%B8%A6%B5%E6%A1%DB%A3%C1%A3%C2%A3%C3%C9%E8%A4%CB%A4%E8%A4%EB%A1%D6Mille%20regretz%A1%CA%C0%E9%A1%B9%A4%CE%C8%E1%A4%B7%A4%DF%A1%CB%A1%D7

 

 

 ※ 曲に合わせて、歌詞を 私訳 してみました。歌うことが出来ます。

 

        千々の悲しみ

        あなたを残し 別れるゆえ

        千々の悲しみに 暮れてゆく

        この悲しみと苦しみ

        あまりに大きすぎて

        私は まもなく 消え果ててしまう

        千々の悲しみ

 

 

 

   ※ 昨日 ( 8/16 ) の、 思い出の 一枚 【 初めての 登山 】

 

 

 

 私 ( 久保田 Ukon 典彦 ) は “ 四人きょうだい ” ですが、

 昨日、みんなが集まった時に、6歳上の兄が、

 「 珍しい写真が 出てきた!」 と言って、思い出の写真を持ってきて

くれました。山好きの兄が、大学生だった私を 「 木曽駒ケ岳 」

連れて行ってくれた時のもので、

 私には、初めての 登山らしい登山でした。 感謝!

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12102298415.html

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12135683847.html

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ > 

     Paula Bar - Giese 演奏の 【 古楽器 ピアノ演奏 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=bbuhGJmMTYg

 

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● 髙山右近の 地上での最後の時期ののことを、私たちは、残されている史料によって、くわしく知ることが出来ます。

 

 並み居る戦国武将たちで、このような くわしい記録が残されている人は いません。

 “ 髙山右近は 幸せな人だった ” ━━ と言えると思います。

 

 この時期のことを、リアルタイムで 経験されていて、記録を残して

くださっているのは、

 

① モレホン神父。

 髙山右近とは、長崎から マニラまでの 追放の船旅でも一緒でしたし、右近の最期の時を共にすごし、遺言を聞かれ、聴罪司祭として 魂を導き、最期まで看取られた神父でした。

 

② もう一人、レデスマ神父。

 1613 ~ 18年までの 6年間、フィリピンの イエズス会の管区長を

されていて、右近のマニラ到着 ・ 滞在の 貴重な目撃者であって、その最期の死までを見届けておられて、

 1615年 ( 1614年度 ) の 「 フィリピン管区 年報 」 で、ローマの

イエズス会総長に 報告されています。

 

 モレホン神父 ・ レデスマ神父、この お二人の記録が、髙山右近の

最後の時期を記録している “ 第一級史料 ” になります。

 

● 髙山右近の遺体が納められた棺は、王宮 ・ 総督官邸 から

聖アンナ教会に運ばれた後、埋葬されましたが、その時の様子を、

レデスマ神父が 記録されています。

 

 「 最も盛大に、埋葬の儀式が行われ、遺骸は、当管区で死亡した

管区長たちが 通常 埋葬される 本祭壇の近くに納められた。

 

 死者のために 墓が掘られることになった時、皆は、何か少しでも手伝いたいと望み、尽力した。

 遺骸を埋葬の場に運ぶ時、一同は争って、その足に接吻し、修道者の最も おも立った人さえも これをした。」 

                 ( 1614年度 フィリピン管区年報 )

 

 

 

 ※ 今日 ( 8/16 )、祈り会 がもたれた 阿武山福音自由教会の

   【 ステンドグラス 】 地球 ・ 月 ・ 太陽 ・ 星 を表現しています。

 

 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12069021708.html

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12057148217.html

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  ソン ・ ソニ 歌 【 美しい国 】

 

 

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  「 右近の誕生 」 高槻手づくり絵本サークル いろえんぴつ ・ 画

 

 

Q. 髙山右近が生まれた年は、1552年と言われていますが、どの

文献に記されているのですか。

 

A. 髙山右近が生まれた年が、1552年であると記された史料は、

残念ながら、どこにもありません。

 

 1552年 という年は、3年前に 日本にキリスト教を伝えた宣教師

フランシスコ ・ ザビエルが、中国 ・ 上川 ( サンショアン ) 島で 召されていった年でもあります。( 12月2日 )

 

 右近も、そのことは、いつの日か 知らされていて、知っていたことでしょう。そして、自分の誕生の年であることと重ねて考え、感謝していたことでしょう。

 

 右近自身が召されていったのは、1615年2月3日の真夜中のことで、この年月日については、

 右近と共に 同じ船でマニラに向かい、右近の最期の時を導き、看取られた モレホン神父の 確かな記録が残されています。

 

 この時の 髙山右近は、

 「 63歳 で、洗礼を受けてから 50年になる。」

 

 この “ 63歳 ” という年齢のことは、右近も 日頃から 口にしていたのでしょうし、モレホン神父との会話の中でも、話題になっただろうと

思われます。

 

 ザビエル神父が召された年と、自分が生まれた年が 同じ年だったことも、語られていったことでしょう。

 

   1615年 - 63歳 = 1552年

 

 断定は出来ませんが、限りなく正確に近い 誕生年 ・ 1552年 と言えると思います。

 

 幼名が 「 彦五郎 」 であったことは、

 ルイス ・ フロイス神父の書簡 ( Ficogonro ) や、日本側の史料の

 「 故事雑記 」 ( 彦五郎 ) にも 記されています。

 

 

 

  ※ 今日 ( 8/15 ) の 買い物。 子どもや孫が来るというので、

     【 麦茶 と アイス 】  スーパーのレジは、どこも一杯!

 

 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-11784972098.html

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-11240223502.html

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >   【 流れ星 】

 

 

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 ※ これまでの分は、左列の 【 テーマ 】 のところの

 「 福者 ・ 髙山右近と行く マニラの旅 」 をクリック してくださいネ!

 

 

 

 

 

● 髙山右近は、金沢追放以来、過酷な、長崎までの旅の日々。

 つづいて、熱帯地方への 国外追放の船旅。

 これまで 経験したこともないような、熱帯地方の気候風土。

 食べ物も、日本での食事とは同じではありません。

 飲み水も、まったく 変わってしまいました。

 

 

 

 

       マニラに着いた頃の 右近さんを表しています。

 

 

 マニラに着いた頃の右近は、厳しい キリスト教大禁教 ・ 大迫害の

日本をはなれ、キリスト教信仰が大事にされている フィリピンのマニラに迎え入れられ、霊的には、大きな慰めを経験する中で、喜びと平安のうちに 感謝な日々を過ごしていたのですが、

 右近の体の方は、限界に来ていたようです。

 

 

 

 

 

 マニラに着いて、40日ほどして、高い熱病にかかり、2週間ほどして、天に召されていきました。

 マニラでの生活は、50日余りという 短いものでした。

 

 

 淀川キリスト教病院の 柏木哲夫先生が よく言われています。

 先生は、ホスピスで、たくさんの方々の最後に立ち合って来られましたが、このように言っておられます。

 

 「 その人が どのような最後の時を迎えるかは、

 その人が どのような生き方をして来たかによって、決まります。」

 

 ━━ ということです。

 

 

 

 

 

 髙山右近の最期の時は、どのようなものだったのでしょうか。

 

 髙山右近の 遺言 です。

 最後まで、そばにいてくださった モレホン神父に対しては、

 

 「 パーデレ。私は、まもなく 召されると思いますが、

 神が それを希望し給うのですから、私は喜び、慰められています。

 

 今ほど、幸せな時が、これまでに あったでしょうか。

 

 私は、妻や娘 ・ 孫たちについては、何も心配してはいません。

 彼らと私は、キリストのために、追放されて、ここに来ましたが、

 彼らが 私について、この土地まで来てくれた愛情に、深く 感謝しています。

 

 神のために、このような境遇になったのですから、

 神は、彼らにとって、真実の父 となり給うでしょう。」

 

 

 

 

 先に 天に召されていった 長男 ・ ジョアン十次郎 の子ども達

( 右近さんにとっては、若い 5人の孫たちになりますが )

 又、他の 遺された者たちに対しては、

 

 「 泣いては いけない。お前たちにとって、私が必要だ、とでも思って

いるのか。考え違いに 気づきなさい。

 お前たちの身の上は、神が お引き受け下さるのだ。

 

 今まであったことを 考えてみなさい。

 私たちは、苦しむために 外国に来た、と思っていたのに、

 自分たちの祖国よりも 良い所にいて、自分たちの生まれた所よりも

恵まれ、愛され、栄誉を与えられているではないか。

 

 これは、神の御わざであり、これは 決して無くなることはなく、私の

召された後 ( のち ) も、かえって 増していくだろう。

 

 お前たちは、りっぱなキリシタンになって、聖なる教会や、その教役者 ( きょうえきしゃ ) である パーデレ方の教えに、従順でありなさい。

 

 もし、このことに背くならば、勘当し、子や孫、あるいは 親族とは認めない。」

 

 

 

 

 

 そして、臨終の時には、

 「 わが魂 ( アニマ ) は、天地万物の 御 ( ご ) 作者なる 御主 ( おんあるじ ) 、主を、ひたすら 慕い奉る 。」

 

 そのように祈り、主の御名 ( みな ) を くり返し 呼び求めながら、

安らかに、天に召されていかれたのでした。

 

 1615年、今から402年前の 2月3日。 右近 63歳。

 洗礼を受けたのが、12歳の時でしたから、

 受洗後、51年の 信仰生涯でした。  ハレルヤ!

 

 

● 右近の死は、弔鐘が鳴らされて、全市民に 告げ知らされました。

 

 右近の遺体は、りっぱな棺に納められて、まず 総督官邸の広間に

置かれました。

 

 そして、聖アンナ教会まで、棺が運ばれていくわけですが、

 運ぶ名誉に あずかりたいと、多くの人たちが願い出ましたので、

交代して、リレーする形で 運ばれていきました。

 

 国会議員 ・ 市会議員 ・ ミゼリコルジヤの会員 ・ 諸修道会の会長 ・

大司教座聖堂の主任司祭 などによって、運ばれていきました。

 本来、イエズス会の管区長が葬られる場所である、聖アンナ聖堂の

主祭壇の傍らに 埋葬されました。

 

 そして、つづく9日間、追悼のミサが ささげられていきました。

 これは、王侯貴族の葬儀に 準ずるほどのものでした。

 

 語られた メッセージの中で、右近の霊名が、「 ジュスト ・ 義人 」

でしたから、聖書 ・ 詩篇 91篇 12節 の みことば、

 

 「 義人 ( ジュスト ) は、なつめやし の木のように栄える。」 

 

という みことばが 引用され、その死を悼み、その信仰を偲んだの

でした。

 

 

 

 

 これが、なつめやし の木です。

 1本の木に、たくさんの量の、食用果実が実ります。

 

 この実は、甘くて、乾燥したものは、「 デート ・ デーツ 」 と呼ばれて、

砂糖漬けしたのかと 疑うほどで、そのまま 甘い お菓子になります。

 

 「 義人 ( ジュスト ) は、なつめやし の木のように 栄える。」

 

 今も、右近さんは、栄えつづけて おられます。

 

 

 

 ※ 今日 ( 8/14 ) の 逸品。 信州みやげ の 【 くるみ の コンサート 】

 
 
 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12292486034.html

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12276909051.html

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  【 満天の星空 ・ 天の川 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=uoiCalUgg7o

 

https://www.youtube.com/watch?v=7iIUJMlC2fY

 

https://www.youtube.com/watch?v=RSeWN79rCno

 

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● 現在も 発行が続いている 月刊総合雑誌の 「 中央公論 」 ですが、

 1887年 ( 明治20年 ) に創刊された時は、

 西本願寺系の学校の 学生有志で組織された 「 反省会 」 の機関誌でした。

 

 1903年 ( 明治36年 ) 7月発行の [ 論公央中 ] に “ 公論 ” として

興味深い論説が 掲載されていますよ!

 

 

●        敬 虔 日

 

 敬虔日、語を換えて言えば、礼拝の日なり。懺悔の日なり。黙想の日なり。訓誨の日なり。

 暫らく 浮世の塵念を離れて、霊界の修養に 専 ( もっぱ ) らなるの日なり。

 而 ( しか ) して、現在の 我が国民は、全く この日を欠く。

 

 日曜日は、基督教 ( キリスト教 ) 国民の 敬虔日なり。

 徒 ( いたず ) らに、形式と 嗤 ( わら ) ふ勿 ( なか ) れ。虚偽と

斥 ( しりぞ ) くるを止めよ。

 

 基督教国民が、この日 あるがため、其の家庭の平和を保ち、其の

肉欲の奔逸を制し、其の向上の精神を養ひ得ることは、否む能 ( あた ) はざるの 大事実なり。

 

 欧州の日曜日、

 其のうち、商人の戸を鎖 ( とざ ) す者少なく、酒屋の特に繁盛する 伊太利 ( イタリア ) 西班牙 ( スペイン ) 等の羅馬教 ( ローマ教 ・

カトリック教 ) 地と雖 ( いえども )、

 其の 午前は、其の家庭に祷 ( いの ) り、其の教会に詣で、国民

一般に 敬虔日たるを失はず。

 

 若し夫れ ( もしそれ ) 、宇内第一 ( うだいだいいち ・ 世界一 ) の

敬虔国民たる 英国民の如きに至 ( いたっ ) ては、日曜の市内、

ロンドンの中心地すら、水を打ちたるが如く 寂 ( しず ) かに、汽車も郵便も 交通機関すら、往復回数を減ずるなり。

 

 唯 暁来 聞ゆるものは、教会の鐘と、オルガンと、讃美歌の響きのみ。

 天涯 遠征の軍隊も、太洋航海の船船も、日曜日には 礼拝祈祷を行はざるは無し。

 

 社会の制裁 この如きを以て、一点の宗教気無き、極端なる無神論者も、猶且つ 一週一度 神前に跪 ( ひざまず ) くの 止む無きなり。

 我が国民は、果して この種の制裁ある 一定の敬虔日を有せるや

否や。

 

 我が国の日曜日は、お祭り 又は 記念日と共に、娯楽の日なり。

 否 寧 ( むし ) ろ、罪悪の日なり。紳士が家庭を打ち壊すの日なり。

 細民 ( さいみん ・ 下層民 ) が 喧嘩を売買するの日なり。

 待合に入るの日なり。遊郭に入るの日なり。

 借金日なり。賭博日なり。警察事故の 最も多き日なり。

 

 六日の勤勉 一日の休養、適当の娯楽に心身を休養する。素より

不可なし。

 只 ( ただ ) 其の日に、敬虔の分子 全く欠けて、娯楽のみの日と

なすは、不可なり。娯楽の日たる、猶 不可無しとせん。

 

 これを以て、罪悪公行の日となすが如き、以ての外の事なりと 言うべし。

 罪悪に向かふの遠心力のみ有て、良心に環 ( か ) へるの求心力

全く欠けたる我が社会が、其の軌道を脱して 滔々 ( とうとう ) 病的

国民となれる。豈 怪 ( あにあやし ) むを要せんや。

 

 この 敬虔日、国民品性の陶冶に就 ( つい ) て、是非 無かるべからざるものなり。

 而して、この日たる、家に依り 地方に依り 宗教に依り、区々別々に

之を定め 之を行はんとするは 不可なり。

 

 一般社会の制裁力を作らんとするには、是非とも、同一の時日を以て せざるべからず。

 

 精進と云ひ 潔斎と云ひ、年忌と云ひ 法事と云ひ、先祖のお祭りと云ひ 五節句の儀式と云ふ。かかる 旧日本の旧儀は、只 一部分に保存せらるるに過ぎずして、

 到底 之を再興し、一般国民の敬虔日となす 能はざるなり。

 

 茲 ( ここ ) に於てか 吾人は云ふ。

 日曜日の午前を以て、我が国民全般の 敬虔日とせよ  と。

 

 敢 ( あえ ) て 家を鎖 ( と ) ざし 交通機関までも減ずるの 極端に至るの 必要なし。

 

 只 宗教を信ずる者は勿論、宗教無き者と雖も、

 其の日を以て、教訓の日となし、修養の日となし、反省の日となし、

 以て、浄 ( きよ ) き半日を送れ。

 宗教家は、仏教も 神道も 悉 ( ことごと ) く 其の日を以て、説教

礼拝の日とせよ。

 

 言う者あらん。

 日曜日は、基督教の記念日なり。

 他教徒 又は 無宗教家の 之に倣ふは不可なり と。

 

 或いは 然 ( しか ) らん。

 然れども、已 ( すで ) に、日曜は休日として、一般に 我が国民に

普及し、世界共通の休み日たらんとする 今日の有様なり。

 

 一般国民 共通の敬虔日として好都合なる この日を措 ( おい ) て

他に これ無しとせば、かかる枝末の感情に拘泥すべきに非 ( あらざ ) るなり。

 

 敬虔日の制定

 世の 心有る 政治家 教育家 宗教家

 乞ふ この提議に 一考を払へ。

 

 

 

 ※ 今日 ( 8/13 ) の 一曲   坂本九 【 心の瞳 】 

    昨日 ( 8/12 ) は、 “ 日航機墜落事故 32年 ”

    坂本九さん他、520人が 亡くなられました。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=oMFndI-sSpA

 

https://www.youtube.com/watch?v=NPILRKAA8cc

 

 

 

    ※ 今日、プレゼントしてもらった 【 バンダナ ・ bandana 】

 

 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12218785063.html

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12236862782.html

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >   【 The Dying Swan 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=e3yQxFdbJHo

 

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   ※ 「 新約聖書 」 ペテロの手紙 第一 3章 1 ~ 7 節

 

 

● キリスト教式の 結婚式で、よく 朗読される聖書の言葉の 一つ

ですネ。

 

 直接的には、妻たち ・ 夫たちに語られていますが、

 あるべき “ 夫と 妻との関係 ” を さし示しています。

 

 見落としてはならないのは、

 「 同じように、妻たちよ。」 「 同じように、夫たちよ。」

と語られている “ 同じように ” です。

 

 何について、 “ 同じように ” なのでしょうか。

 

 その直前の 2章に記されている、イエス ・ キリスト のことです。

 

 「 キリストは、その 足跡に従うようにと、あなた方に 模範を残され

 ました。」   ( 2 : 21 )

 

 ご自分から、十字架の上で、私たちの罪を その身に負ってくださり、

主なる神のもとに 立ち帰ることが出来るように、愛を示してください

ました。

 

 そのことと  “ 同じように ”  妻たちよ ・ 夫たちよ ━━ と 語りかけ、

勧めています。

 

● 私は 男性ですので、 「 夫たちよ。」 ━ の勧めを見てみますと、

 

 「 妻が 女性であって、自分よりも 弱い器だということを わきまえて、

 妻と共に生活し、いのちの恵みを共に受け継ぐ者として、

 尊敬しなさい。」

 

 “ 私は別に 弱い器ではない!” と おっしゃる方のことは、ご本人に

おまかせすることにして、

 

 社会的に見ても、

 “ 女性は 弱い立場に 置かれている ” ━ というのが 実情だと思います。

 “ 敬われている ・ 尊敬されている ” ━ という姿ではないのが 実態

だと思われます。

 

● 使徒ペテロは 勧めます。

 「 クリスチャンの夫である、あなたには そのことが わかるでしょう?

 私たちは、主イエス ・ キリストによって、 “ 永遠のいのち ” の恵みを

同じように いただいている者です。

 

 “ 神の似姿として、神の かたちに創造された 女性 ” ━ である妻

です。

 大切にされ ・ 尊敬され ・ 尊重されるのが、当然の姿であるはずです。

 

 しかし、社会を見ても、実情では、なかなか そのような姿には なって

いません。

 それでは いけません。

 

 神の前にあって、女性である妻が、当然 受けるべきものとして、

 [ 尊敬 ] ( 尊重 ) のこころを、彼女に、正当に与えなさい。

 

 主イエス ・ キリストも、そのように、女性に対して されましたよ。

 足跡に従うようにと、模範を残されましたよ。

 

 それと “ 同じように ”

 夫たちよ。妻と共にある生活の中で、

 いのちの恵みを 共に受け継ぐ者として、

 妻を 尊敬しなさい。

 

 そのような 基本の基 であることが 出来ていなければ、

 主なる神さまに対して、平気な顔をして、 “ 祈る ” などというような

ことは 出来ませんよ! 」

 

● 「 妻たちよ。」 ━━ 女性の皆さんに対する勧めも、記されています。それについては、ご自分で、聖書を開き、お読みになって、考えてみてくださいネ。

 

 

    ※ 今日 ( 8/12 ) の、 近くの畑の 【 紅葉あおい 】

 

 
 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12175590034.html

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12174370428.html

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  【 シェーン ・ Shane 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=lOmsbhqs95s

 

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● 2017.8.11 ( 金 ) [ 午前十時の映画祭 ] で、

 オードリー ・ ヘプバーン 主演の 「 ローマの休日 」 を、

 [ 高槻アレックスシネマ ] で、上映していますが、今日までですので、

 是非、 “ この映画は、映画館で見てみたい!” と思って、夫婦で

出かけて行きました。

 

 < モノクロ ・ 118分 ・ スタンダードサイズ ・ 1953年作品 > を、

多くの人たちと一緒に 鑑賞しました。

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ローマの休日

 

 

 終了後、見ず知らずの人と、

 「 やっぱり、いいですネ。名画ですネ。」

 ━━ などと、話しましたョ。

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=YZqzEkRqm_I

 

https://www.youtube.com/watch?v=TZax-jtk0Kw

 

https://www.youtube.com/watch?v=jMhiANPJlmk

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=None37_vatw

 

https://www.youtube.com/watch?v=kIxNV9DSEwA

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >

        【 Hepburn - From Baby to 64 Year Old 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=f2I-fPrKoe0

 

 

 

     映画鑑賞後は、 “ 王将 ” で お昼ご飯  [ 餃子セット ]

 

 

 

   ※ 今日 ( 8/11 ) の、 バス停のそばの  【 ハイビスカス 】

 

 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12235144857.html

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12234208144.html

 

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    今日 ( 8/10 )の、JR 学園都市線 ・ 住道駅前の 【 むくげ 】

 

● 11月に開催されます、

 [ 全国かくれキリシタン研究会 ・ 大阪 河内大会 ] の < 巡検 > の

チェックのために、住道 ( すみのどう ) 駅前に集合して、実行委員の今村さん ・ 鹿島さんと 3人で、車で出かけて行きました。

 

 “ 隠れキリシタン ” 関係の場所は、道幅が狭かったり ・ 不便な所に

あったり ・・・・・ しますので、

 マイクロバスが通れるのか ・ どこに停車するのか ・ どこで待機してもらうのか ━━ など、細かい点検が必要です。

 

 解決しなければならない課題も、はっきりしてきました。

 

 マイクロバスの運転手さんも大変で、無理をきいていただかなくてはならないことも ・・・・・ ありそうです。

 

 

 

 

● もう一つ、大きな課題がありました。

 

 今回の < 巡検 > の 目玉とも言うべき、四條畷 歴史民俗資料館が所蔵されている 【 田原礼幡 墓碑 】 です。

 

 大体は、常設展示されているのですが、

 11月は、各地の博物館で、秋の 展覧会シーズンです。

 

 他の場所での 展覧会のために、希望があれば、貸し出されていきます。 ━━ ということは、せっかく 資料館に出かけて行っても、実物を見ることが出来ないのです。

 

 そういうこともある ━━ ということは、前回、下見に伺った時にお聞きしていました。

 

 今日 ( 8/10 )、立ち寄って、館長さんに確かめましたら、

 「 今年の秋は、貸し出しの希望は ありません。」 とのこと。 ホッ!

 

 ところが です。

 資料館にとっても、秋は、別の [ 特別展 ] が催される時で、

 常設展示されているものは、[ 田原礼幡 墓碑 ] も含めて、収蔵庫に収納されてしまいます。 ━━ というのです。 がっかり!

 

 でも でも、3人で 事情を話して、特別に ・ 別室で、見せていただく

ことになりましたよ!

 

  【 田原礼幡 墓碑 】

  【 壁に塗り込められていた 銅製 クルス 】

 

 礼幡墓碑 の発掘に、直接 関わられた 館長さんの話も、お聞かせ

いただくことが出来るとのこと。 感謝!

 

 

 

 

 

http://www.shijonawate-rekishi.jp/iseki/kirisitan/2.htm

 

 

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● ヨーゼフ ・ ハイドン ( 1732 ~ 1809 ) は、

 永年、< 交響曲の父 > と言われ、交響曲 ( 104曲 ) や 弦楽四重奏曲 ( 68曲 ) などの名曲を数多く作曲してきましたが、

 

 1791年 ( 59歳 ) に、イギリスの ロンドンに 演奏旅行をした時に、

 ヘンデルの、「 メサイア 」 などの オラトリオ曲に触れ、

 言葉を使用した楽曲が、いっそう広く 聴衆に訴える力を持つことを

認識したのでした。

 

 その後、周りの人たちからの 積極的な働きかけもあって、

 ハイドンにとって、これまでとは 異なった作曲技巧を必要とするものでしたが、何曲かの 習作的作品にも取り組みながら、

 1796年に、「 天地創造 」 の 作曲スケッチ を始め、

 1797年の 1年間を、この曲の作曲に 没頭したのでした。

 

 初演は、1798年 4月29日 ・ 30日。 ハイドン 66歳の時。

 

 

 

 

● [ 第三部 ] で、創造された 最初の人間 ・ アダムと エバ によって

歌われる “ デュエット ” は、愛と 幸せに 満ち溢れています。

 

 アダム  やさしい妻よ。あなたのそばにいれば、

        時は 静かに過ぎてゆく。

        ひととき ひとときが 喜びとなり、不安に曇ることはない。

 

 エヴァ   かけがえのない夫よ。あなたのそばにいれば、

        私の心は 喜びに満たされる。

        私の命は あなたのもの。

        あなたの愛があれば、何もいらない。

 

 アダム   露にぬれた朝は、

        なんと 元気づけてくれることか!

 

 エヴァ   涼しい夕べは、

        なんと 生気を与えてくれることか!

 

 アダム   熟した果実の 甘い汁は、

        どんなに 元気を回復させてくれることか!

 

 エヴァ   芳しい 花の香りは、なんと 魅惑的なことか!

 

 エヴァ と アダム

        しかし、それさえ、あなたが いなかったら、

        それが、なんだと 言うのでしょう!

 

 アダム   朝露も

 

 エヴァ   夕べの そよ風も

 

 アダム   果実の 甘い汁も

 

 エヴァ   芳しい 花の香りも

 

 エヴァ と アダム

        あなたと いればこそ、喜びは増し、

        あなたと 一緒なら、喜びは 二倍になり、

        あなたと 一緒なら、人生は 至福、

        命の すべては、あなたのもの!

 

 

合唱     すべての声よ、主を讃えて 歌おう!

        主の御業 ( みわざ ) に 感謝せよ!

        主の御名 ( みな ) のために、

        競って、賛美の歌を 響かせよ!

        主の栄光は 永遠に!

              アーメン! アーメン!

  

      

https://www.youtube.com/watch?v=6zclkTIfrkQ

 

 

 

※ 2017.8.9 ( 水 ) 被爆から 72年となる 「 長崎 原爆の日 」

 

 8月は、6日 ・ 9日 ・ 15日 と、 「 平和 」 について考え、祈るとき

ですよね。

 “ 平和をつくる者 ” Peacemaker となっていきましょう !

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=R-MJEr00_KY

 

 

  【 長崎の鐘 】 藤山一郎

https://www.youtube.com/watch?v=_Tclsl5WgxQ

 

 

 

 ※ 今日 ( 8/9 ) の、 近くを流れる 女瀬川 べりの 【 芙蓉 】

 

 

 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12258429335.html

 

http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12270630334.html

 

 

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