ただいま、おかえり

山田花畑の番外編


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自分と向き合い、勇気を持って心の痛みを追体験しながら、その痛みを持って、改めて自分の心を癒しつつ F さんは、非常に健全に自身の生き方に勢いをつけていた。

道のりは、泥沼から2度と這い上がれないのではと思う落胆との戦いだった。
どれほどの自己嫌悪に、心引き裂かれ、自身を責め続けてきたことか。
ネガティブな感情は、抱いた自分が人間的に未熟だからいけないのだと思っていた。

ところが、ある日のカウンセリングの時間に、すべてのネガティブな感情は、一つも残らず、すくいあげて、寄り添って、癒されて良いものだと知った。




悲しい気持ち、寂しい気持ち、悔しい気持ち、やきもち、妬み、どんな感情も、悪ではなく、抱いた F さん自身も悪ではなく、すべて癒され、寄り添ってあげて良い気持ちだったのだ。

ネガティブを抱いたままの自分自身を、大きく抱きしめるように、「悲しかったね、寂しかったね」と、心に届くように何度も何度も、語りかけてはその心に寄り添い続けて数ヶ月。

気がついた時には、不安の渦が消失し、心に穏やかな音楽が流れているような、自分の中に小さな芯ができたような心境になっていた。
そんなある朝、Fさんは首を寝違えたような痛みを覚えた。
すぐに治るだろうと思っていたところ、首から肩、肩から腕へと痛みが広がり、息苦しささえ感じることもあり、恵美子先生に相談に行ってみた。

恵美子先生は、
「それね、多分すぐには治らないわよ。
あのね、トラウマにガチガチに縛られていた人の心の緊張がほぐれる時、全身に痛みが生じることがあるのよ」
と。

Fさんは、物心ついた頃には、両親の顔色を覗き込んでは、父親に殴られないよう、母親から罵倒を浴びせられないよう、常に心身ともに高い緊張の中で生きて来た。
いつ殴られるかわからないので、体には思い切り力が入ったまま日常を送っていたのだ。

そんなことを思い出しながら、
「よく我慢してきたね。あなたはちっとも悪くないからね。もう安心して大丈夫」と、心に染みとおるよう、言葉をかけてあげた。

体に走る痛みを感じ、呼吸の苦しさを感じながら、ふと F さんは、喘息の発作で入院した時のことを思い出した。

いくら大きく息を吸っても、空気が入ってこない。
苦しくて、気持ちが滅入りそうになり、べそをかくと、決まって両親から怒られる。
「泣くともっと苦しくなるぞ!」
八方塞がりの苦しさだ。
小さな体は、抱きとめられることもなく、一人石のように孤独に硬直するしかない。太ももを掴んで、ちぎり取ってしまいたい、気の狂いそうな気持ちのやり場はどこにもない。
死んで苦しみから逃れたい。
でも、死ぬのはもっと苦しいの?
じゃあ寝たい。
苦しくて寝られない。

のたうちまわっていると、明け方、両親のどちらかが救急に連れて行ってくれる。
大人の足で10分ほどの道のりを、ぜーぜー言いながら、拳を握りしめて、目だまがひっくり返りそうになりながら、歩くのだ。
手は引いてもらえない。
一人で病院まで歩いたのだ。
年に何度か発作を繰り返すたびに、寒い明け方、病院に駆け込んだ。

病院に着いて、当直医より
「入院しなさい」
と言われると、Fさんは心からホッとする。

とにかく病院は安心だ。
殴られない。
お腹が空けば、ご飯が出てくる。
布団は温かい。
時折、看護師さんが優しい声をかけてくれる。

一人でじっと黙ってやり過ごすしかなかった苦しさを思い出しながら、 F さんはさめざめと泣いた。
何が辛かったか。
気を失いそうな苦しみを、孤独で突き抜けたことが、どうしようもなく辛かったと改めて思った。
そんな苦しさを、子供一人ぽっちで味あわせて良いわけがない。

気づいてあげて良かったね。
苦しかったね。
本当に大変だった。
でも、もう大丈夫。
安心して良いんだよ。

そう何度も、何度も言葉をかけては、愛おしい自分をしっかり抱きしめ、受け止めて、 F さんはこれからの人生を更に健全に生きる力を育んでいる。
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すべて順調に快活な生活を、勝ち取っていたかに見えたFさんが、あるときぐったりうなだれて、恵美子先生のもとを訪れ、いつもより時間を延長して話を聞いてほしいと依頼した。

何か一大事が起こったようだ。

恵美子先生が F さんを招き入れると、F さんは、「先生に伝えたいことレポート」を渡し、それを読みながら、ポロポロ涙をこぼした。

生まれて間もなくより、両親からの虐待を受け、生後一歳半に PTSD を発症したと推測される彼女は、これまでの一番身近な人間関係に、ことごとくつまづいてきた。
結婚に失敗したと思えば、熱心に言い寄ってきた男性には騙され、この人こそと思うパートナーとの付き合いは、破局を迎えるのが常だった。



だから、毒親からの呪縛が解け、心が自由に動き始めたときは、人生を一緒に生きるパートナーの存在など、欲しいとも思わなかったのだが、インターネットの書き込みがきっかけで、遠方に住む男性と、お付き合いすることになった。
F さんは、自身に湧いてくる気持ちに戸惑いながらも、初めて抱く新鮮な気持ちに正直に行動した。

声が聞きたいと思えば電話をし、どうしているかと気になれば、LINE を送る。
休暇を利用し、飛行機に乗り、会いにも行った。
F さんのストレートな行動に、恋人は戸惑いながらも、喜んで応対したようだ。

ところが3ヶ月ほど経った頃から、F さんは心配を抱くようになった。
それは、公開されているインターネットの会話の中で、恋人が、自分以外の女性としている会話が気になり始めたのだ。
F さんには、ある女性が自分の恋人に好意を持っているのではと、感じていた。
彼は、全く気にしていない様子だったが、相手の女性の言動には好意が見て取れた。

離れているので、目を見たコミュニケーションはできないため、F さんは気持ちのやりとりに苦心した。
そしてまた、ヤキモチを焼いたり、自分だけを見て欲しいと思ったり、普通の女性が当たり前に抱く感情に遭遇し困惑していた。

彼の一挙手一投足に、気持ちは波のように揺れた。

そんな感情を抱くのは、生まれて初めてだったので、F さ んは、自身の感情に自己嫌悪を抱いた。
しかし、恵美子先生は、そんな自分の気持ちにこそ、たくさん共感するよう、正直に自分の心の声を聞くよう、また、してほしいことなどは、率直に相手に伝えるようアドバイスした。

F さんは下手なりに、努力を重ね人間関係を、少しずつ深めていった。

ところがあるとき、二人は大げんかをした。
彼は F さんの無理解により、ひどく傷ついたと心を閉ざし、F さんは彼の「無神経(そのように受け取れたそうだ)」な行動に、傷ついたと思い、電話越しで、彼に「いやだ!」と絡みついた。
驚いた彼に電話を切られ、F さんは、張り詰めていた神経が切れたように、動けなくなった。

そして、疲弊しきって、恵美子先生のもとを訪れた。
恵美子先生のアドバイスは簡潔だった。

自分にしっかり共感しきれていれば、寂しいとは思わない。
彼を責めることもない、彼の気持ちもわかるようになると。
しかし、そのような感情を抱いた自分こそ肯定し、しっかり共感してあげなくてはいけないと。

F さんは苦しみのたうちまわりながら、大きなクッションを抱え、滂沱の涙を流しながら、たくさん自分に共感した。
せっかく、たくさんの山を乗り越えた人生の後に出会った恋人と、悲しい思いを重ねたくないと心から思った。

あるとき、抱きしめたクッションからはみ出た手のひらが、頭に触れた。
「あ」
その手は、たまたま、頭を抱きかかえるような位置にあった。
F さんはそのまま、手のひらで頭を包んだ。
そして、、そっと自分の頭を撫でてみた。

緊張で頭皮が突っ張っており、こめかみがズキズキ痛んでいた。
包むように、何度も頭を撫でたところ、、、涙がこみ上げてきた。
そして
「私、お母さんに頭を撫でてもらった記憶が全くない!」と。
そっと抱きしめてもらったこともなければ、、触れられたことがほとんどないことに気がついた。

「そうだ、私、圧倒的にスキンシップが欠落していた!
体を触ってもらって、悲しみを癒したことなんて一度もなかった、小さい頃から、ずっと一人で仁王立ちになって生きてきたんだ!」

F さんは、ひどく大声で、触れてもらえなかった自分の体と心を抱きしめて、、泣いた。
そんな不足を、無意識のうちに、恋人に求めていたことも理解できた。
頭を撫でながら泣く日々を繰り返した。

そういえば、10年くらい前、自殺願望のある毒親に育てられた女の子から、友達を助けて欲しいと相談を受けたことがある。
その友達は、寂しくなると体を売るのだそうだ。
目的は SEX ではなく、頭を撫でてもらうことで、体を売るたびに相手の男性に頭を撫でてもらって安心を得ていたのだ。

人は愛おしいものの体や頭を無意識に撫でる。
例えばペットや、小さい子供を撫でたりする。
ある子供に、どんな気持ちか聞いてみたところ、気持ちがとろけそうに嬉しくなって、安心して眠くなると言っていた。

何気ないように思える「撫でてもらう」行為は、愛情を伝え、大きな安心を得る大切な行為なのだ。

F さんが自分の頭を撫で始めてから、、数日経ったころ、彼女はふと自分の心の変化に気がついた。
ずっと連絡が来ない恋人の気持ちが、海を越えて届いているように感じるというのだ。
その感覚は日に日に鮮明になり、
「私は確かに彼に愛されていた」との実感に変わるまでなった。

F さんは、自分に何が起きたのか、考えた。
どうして今頃、それを感じるようになったのだろう?
頭を撫でてあげたから?深く共感することを重ねたから?
頭を撫でるようになって、F さんの心に渦巻いていた悲しみは、消えていた。
そして、恋人を愛する前に、ちゃんと自分を愛していなかったと自覚し、自分の頭を撫でながら、自分に「アイシテル」と何度もしみこませていた。

愛されていることを感じる心の働きは、愛されて初めて動き始めるものとだと、F さんは初めて気がついた。
両親から愛ではなく、暴力を受けていれば、愛を感じる心の働きは、ひどく傷つくので、防衛本能がその動きを止める。
F さんの「愛を感じる心の機能」は、何十年も停止しており、恋人が現れたことにより動き始めたのだ。
その機能は、深い心の傷とともに、うずくように鈍く動き出し、やっと彼の愛情を実感できるまでに動くようになった。

愛された経験を持たない人間が、愛情を感じることは、とても難しいことであるが、愛された経験がない人ほど、強く愛情を欲し、勝ち取る努力ができるものだとも感じた。
赤裸々に愛情と立ち向かっている F さんが、幸せに笑える日を心から願った。
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先日、久しぶりにCちゃんの家にお邪魔した。
最近の様子をいろいろ聞いてみた。
すると、仕事の悩み、不妊の悩み等々幾つかの課題に頭を悩ませていた。

ふむふむ。
しかし、よくよく聞いてみると、まったく違った話題の本質はどれも一緒であることが容易に理解できた。
どの話題も、彼女の存在価値が揺らいでいることへの不安や苛立ちがテーマと思えた。
それは、、かつてCちゃんがお母さんから受けていた虐待の傷と密接に関わっていると確信できた。



ひととおり彼女の話を聞き終え、本質をついてみた。
が、見事にスルーされた。
彼女は、仕事のことと不妊の悩みの根っこが一緒とは絶対に認めない。
そのうちに、私が彼女のお母さんのことを口にした途端、逆上して大粒の涙を流した。
「もうやめてください!あの人は私の中でもう死んでいるんです!あの人のことなんてどうでも良いんです。山田さんは、子供が欲しいのに子供ができない切なさや悲しみを味わったことあるんですか?」

私は C ちゃんと同じ体験はしていない。
しかしながら、あるべきもの、またはあって当たり前のものがない喪失感で、体がえぐられそうな悲しみは、ひどく多く経験している。
そんな話をしてみた。
C ちゃんは、ハッとして落ち着きを取り戻した。
「私、なんでかな、もしかしたらもう子供ができないかもしれないって、思っちゃう。そうしたら、どうしようって、、」
「あ!そうだ!私、いつも失敗した時の母親からの罵倒が嫌だったんだ」
「本当は一番わかって欲しい人に、馬鹿にされるの」
大粒の涙がこぼれた。
私の頬にも涙がこぼれた。
「本当に悲しかった」
「悔しかった。だって、一番わかって欲しいのに。他の人じゃダメなのに」

「他の人じゃダメ」
これ、重要なキーワードだ。
誰でも良いわけではないのだ。

「お母さんは私の失敗を馬鹿にした。そう、私にいつも嫉妬して、成功したら最後、メタメタになるまで叩きのめされた」
そう、Cちゃんがかつて国家試験に合格した時、お母さんは C ちゃんが巣立っていくことに恐怖を感じ、彼女に様々な仕打ちをした。

人には必ず、「あなたじゃなきゃダメな人」がいる。
本来は、お母さんがその代表選手だ。
お母さんに認められ、愛され、そこから得た安心を礎に人の心は成長する。
お母さんに認めて欲しい、愛して欲しい、抱きしめて欲しいのだ。

しかし、C ちゃんのように、本当は一番わかって欲しい人の姿がゆがんでいる場合。
成功体験に乏しく、負と思われる状況から、人生を切り開くことを恐れる傾向がある。

C ちゃんは、気がついた。
そうか、私が前に進めない原因はこれだった。
本当はお母さんじゃなきゃダメだったから、傷ついたんだね。
「そうか、、」そして自分の傷を初めて慈しんで涙を流した。

幸いなことに、彼女には今の彼女の人生に必要な「あなたじゃなきゃダメな人」がいる。
だから、きっと彼女は自分の傷を癒し、幸せを生み出す力を出せると思った。

彼女に伝えた。
「ねえ C ちゃん、お母さんとの関係に深い悲しみを味わってきたからこそ、これから先の人生で、きっと生まれてくるであろうあなたの子と、幸せにならなかったら嘘じゃない?」

C ちゃんは言った。
私絶対に産む!お母さんになる。幸せなお母さんになって、幸せな子供を育てる!

Cちゃんの子は、きっと「あなたじゃなきゃダメ」な素敵なお母さんから溢れる愛情を得て、元気で幸せな人生を送ることだろう。

それから、自分のお母さんが、過去に望ましい姿でなかったとしても、今自分の目の前にある課題の中から、必ず「あなたじゃなきゃダメ」な要素を見つけることができる。
それは、自分をあきらめないことだ。
人は苦しんだ分だけ、幸せになる権利がある。

自分をあきらめない日々の生き方の中に、必ず、チャンスが訪れる。
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M子さんは、小学校低学年の時のお母さんとの会話を、思い出した。
まだヨチヨチだった妹は、お金がないという理由で、お母さんの手作りの洋服をいつも着ていた。
多くは淡いピンク色の、女の子らしい色合いだった。

「うーん、お前は色が白いから本当にピンクが似合って可愛いね」
と妹は抱きしめられていた。
M子さんの心の中では、何か炎のようなものが、メラメラと燃え上がって、こんな言葉が出た。
「私もピンクの洋服が欲しい、どうして A 美ばかり可愛がるの?」

「お前は色が黒いから、ピンクは似合わないの!
可愛がって欲しいだって?あんた、憎たらしいでしょ」



他愛もない会話だが、
「あんたは憎たらしい」
この母親の言葉を、何十年も思い出すことができなかった。

憎たらしいと言われた時、M子さんは心の隅っこにある、薄暗い ”ひとりぼっち池” にボチャンと落ちた。

身も、心も凍るような、冷たい池だった。

多分それからだろう。
自分の存在を、誰からも可愛がられないものという大前提のもとに、人生が始まった。


人としての始まりは、大事に抱きしめられ、頬刷りされ、ぬくもりを与えられ、言葉をかけられること。
これは、普通に欲して良いことだ。
しかし、中には味わうことなく大きくなる子もいる。

植物が花を咲かせるに、必須の条件があるように、人にも人として健全に成長するために必須の条件がある。
ここにいても良いと自覚できる、存在の肯定。
生まれてきてよかったと思える、愛情の実感。

この二つがあれば、人は幸せに生きて行ける。

人は、自身の存在を肯定できない時、”ひとりぼっち池” にボチャンと落ちる。
助けを求めても良いのに、落ちたのは自分が悪いとどこかで思う。
心身冷え切っているのに、温かさを求めるのは贅沢だと、自分にムチを打つ。

そして、少し離れたところから自分の惨めな姿を見て、辟易とする。
そんな姿は 2 度と見たくないと思うけれど、何度も見て不幸を確認してしまう。
そして、やっぱり自分は不幸だと、妙な納得をし、自分を諦める。

これが、心を病むプロセスだ。

人と深いつながりを持った経験のない人は、人とつながることにためらいを感じる。
ためらいながらも、本当は繋がってみたい。
繋がって、仲良くなってみたい。

どうせ大事にされない、などと思う必要はない。
正直に試してみれば良い。

はじめの一歩は、池の中で凍りついている自分を、しっかり抱きしめて、温めてみることだ。
親に愛されなかった自分を、誰よりもしっかり愛することに目覚めることだ。
自分に愛情を注いで良いという、自覚に立ってみることだ。

そんな健気な気持ちを、はねのける人などいない。
きっとうまく、繋がってゆけるようになる。

絶対に、自分を諦めちゃダメだ。
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ヤキモチと聞くと、よろしくない感情というイメージを持つ日本人が多いのではないだろうか。

しかし、ヤキモチこそ自分の存在に確固たる自覚を持つために欠かせない、正しい気持ちだ。

Aちゃんは、お姫様のように育ったが、二歳半の時に妹が生まれた。
目がクリクリとした愛らしい赤ちゃんだった。



助産院で妹が生まれる瞬間に立ち会ったせいか、あまり違和感なく存在を受け入れたはずだったが、お母さんが妹を愛おしそうに抱っこしている姿に、胸が苦しくなった。
すがるような目でお母さんを見つめると、お母さんは赤ちゃんをおろし、Aちゃんをしっかり抱きしめた。
Aちゃんはお母さんに必死でしがみつき、その暖かさを確認した。

助産院から帰ると、赤ちゃんとの新しい生活が始まった。
安定した大人しい赤ちゃんだったが、数時間に一回はふにゃふにゃ泣き出す。
当たり前だ。

するとお母さんは、赤ちゃんを抱き上げることなく、Aちゃんを抱き寄せた。
しっかりAちゃんを抱きしめたお母さんは言った。
「赤ちゃん泣いちゃったね。どうしたんだろうね。まだ赤ちゃんだから、何にもできなくて泣いているのかな?」
じーっと赤ちゃんを見つめたAちゃんの目には、明らかに何もできない赤ちゃんの姿が映っていた。

赤ちゃんの切なさが伝わったのか、Aちゃんの顔も引きつった。
お母さんはその顔を見ると、Aちゃんに言った。
「一緒に抱っこしてあげようか?」
Aちゃんはお母さんと一緒に赤ちゃんを抱っこした。
お腹が空いている様子だった。

お母さんは言った。
「赤ちゃんはまだ動けないから、自分でご飯が食べられないんだね?かわいそうだね」
Aちゃんがうなづくのを見てから、お母さんは続けて言った。
「じゃあ、おっぱいをあげようか」
お母さんのおっぱいに吸い付く赤ちゃんの姿を見て、Aちゃんは反対側のおっぱいに口を寄せた。

お母さんは、反対側のおっぱいをAちゃんにくわえさせた。

その日から A ちゃんは、赤ちゃんが泣くと、まず一番最初にお母さんに抱きしめてもらえた。
A ちゃんは、赤ちゃんにヤキモチを焼いて駄々をこねることは一度もなかった。
なぜなら、いつも最優先に尊重してもらえたからだ。

よくありがちなのが
「お姉ちゃんになったんだから、我慢しなさい」
これは、一方的な押し付けである。
誰も好きこのんでお姉ちゃんになったわけではない。
赤ちゃんにお母さんを取られるくらいなら、お姉ちゃんになんてなりたくなかったというのが子供の本音だ。
それに気づいてあげないと、子供は傷つき歪むのだ。

お母さんは、赤ちゃんが生まれる前に、看護師の先輩お母さんから貴重なアドバイスをもらっていた。
「赤ちゃんが生まれたらね、お姉ちゃんを最優先で可愛がってあげるのよ。お姉ちゃんに絶対寂しい思いをさせたらダメよ。きっと良い子に育つから」

Aちゃんと赤ちゃんは、とても仲の良い姉妹に成長し、二人ともお互いを思うと、愛おしくて涙が出るほど大好きだとお母さんに言ったという。
お母さんの子育ては成功しているといえよう。

存在が肯定され、心にその愛情を感じたら、人はヤキモチなど焼かないのだ。
ヤキモチとは、自身の存在と愛情が脅かされている時に生まれる感情で、幼少期のトラウマが解決されていないと、いろんな場面で顔を出す。
それは人として当たり前の感情で、自分がここにいることを知ってほしい、愛情で満たされて安心したいという素朴な欲求なのである。

嫌悪感など抱く必要はない。
ヤキモチが自分の中で生まれたら、それは大切な相手が目の前にいるということだ。
嫌悪感を抱くことなく、自身の素直な気持ちを尊重することだ。
そして、しっかりと自分の心の切なさに共感しながら、大切な相手と愛情を育み安定を勝ち取ってほしい。
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