毒親育ちの F さんが治療に挑み、生きる活力がみなぎり始めてから、数ヶ月が経過した。
仕事は好調。
恋人もできた。
そんなタイミングで、Fさんは大きなプロジェクトの一員となり、多忙な日々を送る様になった。
昼夜逆転の生活から、体内時計を修正し、朝は 5 時から目覚め、エンジンを温めながら、職場に着く頃にはエンジン全開。
そんなタイミングで、プロジェクトは大きな山を迎え、数日、深夜に及ぶ時間との戦いを強いられる。
ミスは許されない。
万全で山に挑んだ。
結果、彼女は自分の持ち場をしっかり守り、役割を果たすことができた。
しかし、彼女は自分の力以上の仕事をしたかもしれなかった。
久しぶりの休暇に体を休めていると、どんどん体が重くなってゆく。
喉がひどく痛んだので、風邪薬を飲んだ。
Fさんは、電話やメールで温かく支えてくれた恋人のことを思った。
毎日自分のことを気にかけ、温かく見守られたことのなかった F さんは、幸せな気持ちになった。
しかし次の瞬間、大きな苦しい気持ちが押し寄せてきた。
ああ、今回のプロジェクトは大変だったな。
擦り切れそうだったな。
そう小さく呟いたら、胸がひどく痛み、嗚咽がこみあげた。
子供の頃から F さんが弱音を吐くことは、禁じられていた。
痛い時も、苦しい時も、小さい頃から、ずっと一人で我慢してきた。
愛情と、優しさに包まれたくて、両親に駆け寄っても、
「お姉ちゃんは我慢しなさい」
と、厳しく叱られ、時には叩かれた。
いつしか F さんは、苦痛を飲み込むようになり、痛みを感じなくなった。
本音を口にすることもしなくなった。
感じて口にしても、両親からの拒絶という、人生最大の苦痛に深く傷つくからだ。
暑い時には「暑い」、悲しい時には「悲しい」と、子供らしく表現する機会をことごとく喪失した。
だから F さんは、人から好感を持たれるであろう言葉を無意識に発するようになり、良い人と印象付ける可能性のある態度を示した。
「良い」という評価のもとでしか、Fさんの存在は認められる機会がなかったのだ。
F さんが治療の中で学んだのは、人間は本来、存在そのものが愛されるべきであると言うことだ。
良い子でなければ愛されない、そんなものは愛情ではない。
テストの点数が悪くても、学校に行きたくなくても、兄弟にやきもちを焼いて、ふくれていても、行動には理由があり、愛情は人として生き抜く活力になると言うことだ。
存在の肯定の上に育まれた愛情こそ、健全に生き抜く力となるのである。
誰に何を思われようと、正直に生きて良いということだ。
毒親育ちは、生育環境の中で、愛情を受けたり実感する機会がほとんどない。
愛情という養分が欠乏している人には、生きること自体が大きなストレスになる。
愛されなかった自分を蘇生させるには、自分で自分を愛する力をつけることだ。
その作業が、治療となる。
F さんは、その日何度か大泣きをした。
そして、生まれて初めて本心から「大変だった」と口にした。
肩の力が抜け、ホッとした。
そしてさらに三日後。
ひどい風邪をこじらせてしまっていたことにも気がついた。
自身の体の悲鳴にも、やっと気がつくことができた。
「無理はしない」と理解したつもりだったが、体はまだまだ実感を伴っていなかった。
もっと、素直に生きれば良い。
もっと自分に、正直に生きれば良いのだ。
自身を人の評価で測る必要はない。
自分の人生を、遠慮して生きる必要もない。
あなたはあたなのまま、そこにいて良いのだ。
十分に愛される価値のある、大切な存在なのだ。