生きた先にあるもの 2

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突然死した弟 だいすけの大事な奥さんは家に駆けつけた私に会うとすぐに「お姉ちゃん、ごめんなさい。」と号泣しました。

だいすけを幸せにしてくれてありがとう。
逆に寂しい想いをさせてごめんね。
私も号泣しているので上手く言葉で伝える事が出来たかは解らないけれど心の底から腹の底からそう思ってた。

だいすけのエネルギーを探った時に彼がとても幸せだった事が伝わって来たので幸せをくれたその人が自責の念を持つ事を私は寂しく感じたけれど、奥さんの立場で自ら私が幸せを与えたんだ!という気持ちにもなれないでしょう。

それらをお話しする機会はあったから伝えてはおいたけれどね。
強制出来る事でも無い。

数日経つと彼女の方から「だいちゃんとお話ししたい。」とお願いしてくれて流れの中で私が尊敬する龍生先生にそれをしてもらう事になりました。

そのだいちゃんとのお話しは昨日、してもらってきました。
奥さんの最初の言葉は「ごめんね」でした。

通訳?としている龍生先生が、好きな事をさせてもらえて感謝している事、ごめんねと言われるとどうして良いか解らない感じになっていると伝えてくれました。

もじもじしながらも会話は進んで、その中でだいすけが如何に軽やかな状態にあるかを奥さんも解ってくれたようでした。
大好きなコーラを1ダース欲しいとか言っていたりして「そんななの~!?」って。
帰って来てからもスッキリした!とメッセージをくれたりしたし。

先生、ひょうひょうとした感じで「こんなに綺麗に上がって行くの珍しいですよ。」と。

母が見た金色の話もしたら驚いていた。
普通は青く光っているんだって。

うちは父が地元の神社の総代をしたりしている為にお祭りに猛烈に参加型な家なのです。
お祭りは神事だからそれに関わっていた事も大きいのではと言ってくれました。


ここに書いていなくても最後にだいすけと話した時にだいすけスゲーなって思う事があったの。
彼方に行ってからもだいすけスゲーなって思う事も沢山あって「流石私の弟!」と何故か自分も一緒に持上げてます。

そして私の弟を亡くした悲しみをじっと見守ってくれる友達、何か言うでもなくキリスト教の荘厳なステンドグラスの写真を送ってくれた友達、私が如何に幸せ者であるかも強く実感出来ました。

葬儀に来て下さった方々もだいすけの人生を裕福にしてくれてありがとうございました。

あの大きな身体はもう無いけれど付合い方が変わっただけなんです。
思い出したりしただけで時間が共有出来るんだよ。
それを悲しく思う人もいるでしょう。
それもありがとう。
だって、それは愛があればこそだから。



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