姥のブログ

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かはたれ通信

高齢も完熟の域に達すると「あの世からコンニチワ」がよかないかという声も出たのですが、いささかアツカマシ、すこし遠慮して「かはたれ」黄昏の域からの通信ということにしました。
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3日ほど30ミリ服用、20ミリに減らして4,5日、10ミリを10日あまり続けたところで再診。5ミリになって更に1ヶ月、2,5ミリになって一応据え置きの感じである。なお半量になる可能性もあるらしい。

再診のたびに併用する薬も増えた。
コーチゾンを飲んでいる限り不可欠というのだから、余生お付き合い願う諸薬ということだ。

検索してみると、リューマチ症も多発性筋肉痛もそれぞれに厄介な病であるらしい。今のところ完治は難しいというのだから、前途遥かな人々の罹患は気の毒なことである。
ただし、リューマチ性多発筋肉痛なるもの、高齢者に多いのだそうな。なんとなく納得して、嬉しくなる。バッジが増えたような気になって、24時間躁状態にある姥は電話に飛びついて旧友たちに吹聴した。ついでに反省したと一言添えて。

実を言うと姥は老人がアリの行列よろしく医者参りすることに批判的だったのである。なにも暇つぶしを医院でして緊急に医療を必要とするものの邪魔をするこもあるまいに、というのである。

持論を変えたわけではない。暇つぶしも薬のコレクションも感心しない。だが、である。しかし、と反省した。
幸いにして老人介護を真剣に考える余裕が、今のところある国に住んでいる身が、歳だからあちらこちらにがたが来て当たり前、自然現象であると嘯いているのは、横道というものではないか。

死ぬまで生きる自然を尊びたいのなら、修理可能な欠損は早期に手直しして、自身の生活の質を保ち、自立に努めることこそ周囲の、ひいては社会の負担軽減につながる自明を思え。

猛省後1ヶ月、床に置いたものにつまずいて派手に転んだ。
骨折したようでもない、と勝手に判断して、自宅でじっとしていた。幸運にも1ヶ月ほどで状態に復した。

馬鹿は死ななきゃ直らないか。