家から家へシリーズの最終話「家の教会とは」です。
ものみの塔の新世界訳に「家から家へ」と書いてあることが、嘘八百であることは第4回までに書きました。
では「家で」伝道するとは、どんな意味でしょうか?
ものみの塔協会が言うように、「家から家へ」伝え歩かなければ伝道できなかったのでしょうか?
その点は私も疑問だったので図書館で調べてみました。
聖書中には「家の教会」という言葉が何度も出てきます。
新世界訳では「家の会衆」と表現しています。
遺跡から再現した1~2世紀当時の「家の教会」は、こんなやつです。
(ジョン・ボウカー編著 聖書百科全書 2000 三省堂)
右下のテーブルが四つ並んでいるところが、食堂兼礼拝所だそうです。
説明は小さくて見えないかもしれないので書き出しますね。
「トリクリニウムすなわち食堂は中庭に接続し、キリスト者たちはここで食事をしてから礼拝に移った。部屋の大きさから会衆の規模も推測される」
聖書に出てくる「神殿や家の教会」のうち神殿はユダヤ教のために作られた建物でユダヤ人の集会が行われていました。非ユダヤの人々はそこに参列することは許されなかったわけですから、パウロが非ユダヤの民(異邦人)に伝えるために使われたのが、こういう家の教会だったわけです。
だから、家から家へ伝え歩かなくても、「家で」(もしくは、家々で)伝えればよかったのです。
現役のエホバの証人や研究生のみなさん。
ものみの塔協会が「家から家へ」伝え歩くことが「一世紀のクリスチャン」に倣っているなんていうのは、デタラメです。
念のために付け加えておきますが、
私は「家から家へ」伝道活動をすることがダメだと非難しているわけではありません。
ものみの塔協会が聖書に「家から家へ」という言葉を付け加えて、エホバの証人たちを誤誘導することは、「非聖書的」だと伝えたいだけです。
長老たちから”奉仕頑張れ”の助言があっても、「そんなの非聖書的だもんね」と無視しちゃいましょう。
家から家へ シリーズ これにて完。
(長文をお読みいただきありがとうございます)
