* 自分を振り返る | 日々の戯れ言

日々の戯れ言

アルコール依存症の家族や友人と関わる日々のこと
自分自身のアラノンでの体験や考えを
思うままに綴っていきます。
また、個人を特定される可能性がある記述や
過去記事は限定公開にさせていただいています。

アルコール依存者を家族に持つ方や、

アラノン関係のブログやサイトを巡っていて

ふと気づいたことがある。

これは共依存者の特徴なのだと思うけど、

やはり人の思惑がとても気になるのだと思う。

ブログにつけられるコメントに一喜一憂したり、

つねに言い訳を用意しながら書いている。

厳しいことを言うようだけど、でもそれが気になるのは

私自身にそういう傾向が多分にあるからだ。




共依存者は自分に自信が持てにくいから、

他者の評価をかなり気にする。

他人に何か言われると凹み、共感してもらうとほっとする。

人間誰しも多少はそういうことはあると思うけれど、

共依存者は自分で自分の価値をなかなか決められないから、

他人の評価に依存するしかないのかもしれない。




いくつか回ったブログでは家族や恋人の飲酒に悩みながら、

不幸な気持ちのまま暮らしている方もいる。

もちろんその長い歴史の中には幸せなこともたくさんあるのだろう。

けれど、飲酒の被害による、悲惨な状況が書いてあるのに、

具体的なアドバイスやコメントをもらっても反発してしまうのか、

厳しい意見には「ここには書かないが普段はいいこともたくさんある」

とか「共依存者といわれようと、自分たちにしかわからないこと」となる。

これは一方的に悪口を書いているつもりはない。

私もそういう部分が十分あるから理解できる。

本音を言えば自分の気持ちを吐き出したいがためのブログだし、

共感してもらいたいだけなのかもしれない




私も先日書いたように友人の彼に対する評価が気になる。

わかってもらえなくて当然だが、心の中では

「会ったこともないくせに何がわかるの」

「私たちのことは私たちにしかわからない」

などとプチ切れしたりもするから自分でも始末が悪い。

本当は、第三者だからこそ、わかることもあるのだと思う。

でもなかなか素直に聞くことができないのだ。

できたらこれからは人のアドバイスやコメントもきちんと聞いて、

自分の生き方の参考にしたいと本気で思う。





共依存者は他人に尽くし、一見親切で優しい。

自分を殺して、我を押し通すことが表面的には少ないため、

とても気が弱くて儚い存在だと錯覚する人も多いけれど、

アラノンに通うようになって気づいたことは、

実は「消極的な攻撃性」を兼ね備えている人が少なくないのでは、

ということだ。人をコントロールしたがるところもある。

そしてけっこう頑固だったりするから、

他人の意見を「そうですね、ありがとうございます」と言いながら、

実は聞いてもなかなか素直に受け止められない。

低姿勢でまず謝りながら、自分の意見は最終的に押し通そうとする。

辛口で申し訳ないけど、私もこういう共依存者の一人なのだ。

現実に「共依存アノニマス」のブックレットには

上記のような項目がたくさんあった。

ああ、これってやっぱり私だ、と思った。




それでは依存的な心のない、健康で自由な人はどうか。

これも今読んでいる本の受け売りなのだけれど、

まず自分を大切にする。他者への共感は十分持ち合わせながら、

まず自分を大事にし、その上で他人をも大事にする。

決して自分勝手ということではない。

だから問題行動の多い人とは最初から距離をおいてつき合うのだ。

共依存者は、たとえば恋愛関係に置いても、今回の私のように、

自分を大切にしてくれそうな真面目で優しい人には心を動かされず、

依存に支配され、心に傷の多い、彼のような人に惹かれてしまったりする。

心理的には、そういう人の問題に目を向けているうちは、

自分自身の問題に目を向けなくてすむから、だそうだ。




私も彼とのことをきっかけに、

自分のことときちんと向き合おうと思う。

私の中ではまだ彼とのことに決着がついていない。

きのう電話をもらって「別れたくない」と言われ、

また心がぐらぐらしてしまう情けない自分がいる。

でもとにかく距離は置こうと思っている。

彼がお酒をやめるかやめないかは、彼の選択、

でも私にはお酒を飲まない人とつき合う選択肢がある。

これだけは次に会った時に伝えたいと思っている。

まずはそこからかなあ。