さらば「遊子の会」
「遊子の会」の主要なイベントも50回を迎え、主宰者YUさんはけじめとしての謝恩忘年会を開催した。
12月22日(火)、大房岬(南房総市)に建つ富浦ロイヤルホテルに、かつて在籍した人も含めて39名が
参加した。
私は自称専属カメラマンとして最後のご奉仕のつもりで、その模様を撮影した。
以下に式次第にそったスナップ写真を載せよう。
会場~思い出の写真展示
YUさんにより、8年間で100回程のイベントが企画・実施されたが、会場には思い出の写真やアルバムが展示されていた。
思い出の写真展示
開会の辞・花束贈呈・乾杯
13時、100キロマラソンのKUDOUさんの司会で、宴は17時お開きの予定で始まった。
主宰者YUさん 開会の辞
花束贈呈呼び掛け人 KANさん挨拶
遊子の会一同よりYUさん夫妻にコチョウランの花鉢が贈られる。
一同、天津(鴨川市)のHさんの音頭で乾杯。
食事・歓談・プレゼント交換
続々と運ばれて来るフランス料理を食しながら歓談後、恒例のプレゼント交換となる。
私はお正月の雑煮を意識して、宮城(館山市)の吉田商店のかつお節を用意した。
それは釣り好きのキクチの姉御に当り、喜んでもらえた。
プレゼント交換 : ミスターアウトドアKさんと料理教室のMさん
プレゼント交換 : 房州ラーメンのTさんより捕獲したばかりのイセエビをもらったYOUKOさん
記念撮影
イベント50回目の謝恩忘年会記念撮影 : かつて在籍した人も駆け付け39名が参加
会場の外は美しい夕日が : 同じテーブルのSさんとMさんの所望でパチリ
活動所感・思い出発表
YUさんより8年間の活動を振り返って、と題する話があり、終わりに「遊子の会」は中締めとさせて頂きますが、春の桜・秋の紅葉だけは来年もご希望の方々の為に企画致します、との発表がある。
即ち、「遊子の会」はやめるのではなく再出発という訳である。
続いて、六つのテーブルから代表者が思い出を語る。
思い出発表 : 二番テーブルからは格調高い(?)話しぶりのSさんが語る
最後の六番テーブルの代表Aさんは、同じく会員である夫が大きな病を発症したことを声を詰まらせて告げる。Aさん夫妻に再び襲いかかった不運と試練に、私は「負けるな、Aさん!」と叫びたくなる衝動にかられる。
余興
YUさんが歌い、皆が踊る「これから音頭」で始まった。
私も含めて四人が法被を着せられて壇上で、KUDOUさんによる振り付け指導で踊りの練習となるも、 私ごときが手本になる訳がなく、皆の総踊りへとは進まなかった。
しかし、総立ちでの合唱は盛り上がった。
バスツアーの思い出ソング「紅葉」の合唱
これから音頭の合唱 : ♪「遊子の会で健やかに♪・・・・・・アッ、ソレ、ソレ!!
中締め
あっという間に四時間が過ぎ、宴も終わりに近づいた。
中締めを指名された私は、手締めの前に今まで十分に満足したこと、また今が自分の引き際だとして、「遊子の会」を辞することを告げた。
そして、三三三の一の一本締めで謝恩忘年会はお開きとなった。
ありがとう感謝
自宅に戻って、妻は自画自賛していた小金沢昇司の「ありがとう感謝」の一部替え歌の出番がなかった
ことをくやしがった。
というのは、私共は主宰者である湯川夫妻と皆さんへ感謝を伝えようとパソコンの前で(ユーチューブを利用)、カラオケ・アカペラに対応出来るように盛んに練習していたからです。
そういう訳ですので、ここに敢えてその歌詞を載せさせて頂きます。
ありがとう、ありがとう
言い尽くせない、ありがとう
思い起こせば、数えきれない
多くの人に出会いました
迷惑かけたり、心配かけたり
半人前の僕等でした
だけど こうして 歌を唄い
夢をつむいで こられたのは
あなたがいるから あなたがいたから
あなたが いつもいつも 見てくれたから
ありがとう ありがとう
大切な あなたへ ありがとう
ありがとう ありがとう
湯川さん、孝子さん、ありがとう
ありがとう ありがとう
湯川さん、孝子さん、ありがとう
感謝を込めて ありがとう
おわり