式年鳥居木曳祭 | 魚との対話

式年鳥居木曳祭

式年鳥居木曳祭とは、天津神明宮(鴨川市天津)で二十年に一度行われている鳥居の建て替え神事で

ある。

昨年10月の「遊子の会」秋のバスツアー「秋の上州路、万座温泉旅行」の車中で、天津から参加のHさん

から、この神事についてお話があった。

主宰者YUさんは、この話を受けて、一連の神事において最も規模が大きい鳥居曳神事=鳥居木曳祭

(以下鳥居曳と記す)の見学を企画。

かくして、我等会員は、三日間に渡る神事の最初の日の8月22日(土)に、この珍しい神事を見学できたのである。


台風の影響による高波が押し寄せる海岸線のバス車中で、YUさんは、この日の行程 天津神明宮→

鳥居曳→清澄寺 及びそれらに係る人物として源頼朝や日蓮を分かり易く解説する。

解説は、以下の写真に付属して引用させて頂くことにする。


天津神明宮 (鴨川市天津)


天津神明宮 二の鳥居

二の鳥居 : 鳥居建て替え現場


天津神明宮

天津神明宮 : 主祭神は天照大御神と豊受大神


源頼朝公が戦に敗れて安房の地に逃れて来た時、源家の再興を伊勢の大廟に祈願され見事成就されたことにより、天下平定の後、寿永3年(1184)当地に伊勢より神霊を勧請し以前より鎮座の庤明神と共にお祀りされた。


百年杉切断片

一の鳥居用百年杉の切断片 : 今回の御用木は東京大学千葉演習林より払下げ、提供されたとのこと


皆で御社殿に参拝した後、土産物売場でお守りなどを買い求め、御用木の百年杉の巨木に思いを馳せ、

天津神明宮を辞する。


鳥居曳


鳥居曳の会場、天津小学校校庭に到着。祭りの役員であるHさんが浴衣姿でいつもの笑顔で迎えてくれた。


御用木前で集合写真

御神木(鳥居木)前で集合写真を撮る  :  この日の参加者は25名


御用木

長生きしそうな三人  :  御神木に触れると御加護が得られる?


出発式

出発式  :  Hさんも役員として榊を上げた。


奉曳

奉曳  :  須賀神社の鳥居木から出発。須賀神社は天照大御神の弟、須佐男命を祀る。


須賀神社用の鳥居木に続いて天津神明宮用の1号木、2号木、3号木の順で出発。

いつの間にか、何と皆が1号木の木曳(奉曳)に豆木札を首からぶら下げ参加しているではないか!!

私は、慌ててこの模様を撮ろうと駆け回ったが、何せ人でごった返し、写真は人物のクローズアップばかりで、何をしているのか分からないものとなってしまった。


それから、鳥居木は校庭を出て一般道路を引き回されて天津交差点に向う。


奉曳



奉曳


集合時間が近づいたので安房東中の駐車場に戻ろうと、天津小校庭出口に差し掛かったところ、二号木が通り抜けようとしていた。

出口は傾斜と急角度の難所(?)のため、多くのカメラマンが集まっていた。

急旋回の鳥居木にシャッターを押していると、地元でない人が御神木を押っぺしているのが見えた。

何とそれはYUさんであった。この人も長生きしそうである。

かくして、汗びっしょりの鳥居曳の見学を終え、昼食の待つ清澄寺に向かったのであった。


奉曳

天津小学校校庭を出る2号木 : 急旋回の御神木に助っ人でYUさんが現われた。


清澄寺 (鴨川市清澄)

日蓮宗大本山清澄寺は天台宗から真言宗を経て昭和24年に日蓮宗に改宗したのだと言う。

ここで、清澄寺のホームページから日蓮との係りを記しておこう。

日蓮宗の開祖である日蓮聖人は12歳の時に小湊から当山に入り、道善法師に師事し出家得度しました。勉学修業に励んだ日蓮聖人はさらに各宗の奥義を学び、建長5年(1253)4月28日32歳の時、

旭が森で立教開宗の第一声をあげました。


清澄寺本堂

清澄寺本堂参拝


我々は本堂参拝後、研修会館にて、YUさんが予約した精進弁当を食す。

涼しさと静けさの中で、大変美味しく頂いた。粋な計らいである。


二十年に一度という貴重で珍しい鳥居曳神事の見学は、皆が木曳に参加したりして盛り上がり、予想以上に良かったなぁ~、と思う。

食後の懇談で、今度は式年鳥居木曳祭の一連の神事の完結である鳥居通初上棟祭(とりいとおりぞめじょうとうさい)の見学の話が出た。10月15日(木)とのことだが、私も建立された鳥居を見届けたいと思った。  おわり