鋸山ハイキング | 魚との対話

鋸山ハイキング

6月16日(火)、私は「遊子の会」主宰者YUさんの呼びかけで集まった、元気な山ガール等との鋸山ハイキングに、妻と参加した。


行程


保田保健センターすこやか(駐車)→保田駅ー(電車)→浜金谷駅→車力道→車力道終点(石切り場跡)→地球が丸く見える展望台→車力道終点→岩舞台(石切り場跡)→日本寺境内(百尺観音、地獄のぞき、山頂展望台、千五百羅漢、大仏さま)→保田保健センターすこやか


今回の行程は、歴史遺産あり自然観察あり絶景あり巨大な石仏あり、と見所満載で、しばしば大いなる

感動をおぼえた。それでは、写真と共に行程を振り返ってみよう。


車力道~車力道終点(石切り場跡)


11時、車力道コースと関東ふれあいの道コースに分かれる三叉路に到着。我々は車力道コースを進み、少しして道端の洞穴でヒカリモを見る。さらに進むと絶壁の石切り場跡が見えて来た。


車力道コース

車力道コース : この日の参加者は15名、元気な内に記念撮影。


そして、切り出した石を車力と呼ばれる女性たちが荷車で運んだ道、即ち車力道を登る。

刻まれた轍(わだち)に車力の苦労が偲ばれる。


車力道

車力道


12時前、車力道の終点に到着し休憩となる。ここで、絶壁の石切り場跡をまじかにに見上げる。


石切り場

石切り場跡


絶壁の下に降りてみた。すると、そこには池があり、張り出した木の枝に白い花のようなモリアオガエルの卵がぶら下がっていた。また、池のそばに切割りを認める。


切割り

切割り : 後で解ったのであるが、この木組みの階段が、日本寺へ向う道の入口だったのである。


車力道終点~地球が丸く見える展望台


それから、我々は日本寺へ向うべく、鋸山山頂へ向った。


石切り場跡

石切り場跡 : 廃墟と化した洞窟(?)


イワタバコ

イワタバコ : ジメジメした岩肌に咲くイワタバコに驚きの感動。


絶壁階段は、きつかった。上着がびしょびしょになる程の大汗をかいて上り、地球が丸く見える展望台に到着する。そこには、墨絵のような絶景が広がり、苦労した甲斐があったというものである。



地球が丸く見える展望台

地球が丸く見える展望台より、鋸南町方面を望む。


そこで、YUさんの鋸南勝山の醍醐新兵衛による捕鯨の話(江戸時代)を興味深く聞く。

浮島(写真右上)沖には太平洋から鯨道として深い海溝があるのだという。


展望台を下りて、再び鋸山山頂を目指したが、先頭の山ガールの「保田へ抜けられても日本寺へは行けない」との報告により、車力道終点に引き返すことになった。そして、絶壁階段を少し下ったパラつく雨をしのげる山中の広場で昼食タイムとなる。時計を見ると13時を指していた。


車力道終点~岩舞台


昼食で元気を取り戻し、車力道終点の石切り場跡に戻った我々は、以後石切りが生んだ特異な光景を眺めながら、石切り場の絶壁に囲まれた広場・岩舞台に出る。


地獄のぞき

地獄のぞきが見えて来た。


岩舞台はエコーが効くのだと言い、YUさんは先日幸チャリティーカラオケで歌った「夜霧よ今夜もありがとう」を皆に披露する。その後、日本寺境内の入口の一つである北口管理所で、拝観料600円を払い、管理人からレクチャーを受けたのは14時30分であった。


日本寺境内


日本寺は約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けて、行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。鋸山の南斜面10万坪余りを境内としており、豊かな自然の中を散策しながら大仏様(薬師瑠璃光

如来)、百尺観音像、千五百羅漢石像群などをお参りすることができます。

近年では昭和14(1939)年の登山者の過失による山火事により、仏像や本堂を含む建造物など文化財を焼失してしまいました。現在、参拝者の寄付および拝観料から復興を進めております。~鋸南日本寺公式サイトより


山頂エリア


百尺観音

百尺観音


地獄のぞき

地獄のぞきで余裕の山ガール


地獄のぞき

地獄のぞきで笑顔の山ガール


地獄のぞき

地獄のぞきから百尺観音広場を見下ろす。足がすくむ!


山頂展望台

山頂展望台(地獄のぞきそば)より鋸南町方面を望む。 絶景!


富士山を吟ずる

山頂展望台で富士山に向かい、「富士山」を吟ずる詩吟グループ


羅漢エリア


千五百羅漢道

千五百羅漢道の百躰観音


大仏広場


大仏広場

日本一大きな大仏様 : 戦い(?)終わって記念撮影。 疲れを見せぬ山ガール、恐ろしい!


中腹エリア


頼朝蘇鉄

源頼朝が武運を祈願して、自ら手植えした蘇鉄


頼朝蘇鉄そばの鐘楼の鐘は、鋸山の西端明鐘岬の海中から引き揚げられたものと言われているそうな。

少し下ると茎が四角形をした四方竹なる珍しい竹に出くわす。


最後は表参道エリアに入り、心字池から仁王門をくぐり日本寺を辞したのであるが、時計を見たら16時30分を指していた。


おわりに


2万歩を超える階段の多い山登りに、私共夫婦は2~3日びっこを引く暮らしを余儀なくされた。

中でも、車力道終点の石切り場跡に日本寺への方向表示がなく、鋸山山頂(一等三角点の真の頂上)に

向い引き返すことになったのが、私にはこたえた。

しかし、何でもないと言う山ガールの話を聞くと、日頃の運動不足と加齢を思い知らせれるハイキングであった。

でも、車力道の轍や迫力満点の石切り場跡、そして石仏群に遺産とか遺跡の言葉が思い浮かぶハイキングでもあった。

YUさん、ありがとうございました。皆さん、お疲れ様でした。