みちのく玉川温泉の旅 (3) | 魚との対話

みちのく玉川温泉の旅 (3)

みちのく玉川温泉の旅最終日の三日目は、田沢湖・角館を観光後、和気あいあいのバス旅に疲れを知らぬ元気な姿で、21時45分館山市旧市民センター駐車場に戻ったのであった。


三日目 5月9日(金) くもり時々雨後晴れ


行程


新玉川温泉(8時発)→田沢湖→角館→大曲IC→秋田自動車道→東北自動車道→道の駅なかせん・

ドンパン節の里→前沢SA(昼食)→首都高速→アクアライン→館山(21時45分着)


田沢湖


田沢湖に到着するまでの話である。宿を出る時は雨が降っていた。

車中では、早速植物に詳しいKATUKOさんより昨日キクザキイチゲを見つけました、とのアナウンス。

しかし、雨の為かそれは見られなかった。KATUKOさんは大発見をしたかのように昨夜から館山に着く

までキクザキイチゲ、キクザキイチゲと言い続けた。しかし、フキノトウに比べて皆の反応がイマイチだったのは、それが食べられるものではないからではあるまいか。


雪景色が途絶えると芽吹きの新緑の輝きである。大声でワカメ、ワカメと言う人あり。

雨は降ったり止んだりしながら田沢湖が近づいて来た。

今度は桜の花の出迎えである。しかも枝垂れ桜までもが咲いている。


田沢湖に到着した時は、雨は止みくもり空となった。そのせいか、噂の瑠璃色の湖面に出合うことはなかった。


田沢湖たつこ像

田沢湖たつこ像と「遊子の会」主宰者YUさん : 集まって~!ここで写真を撮りま~す!


田沢湖たつこ像

田沢湖たつこ像 : 田沢湖は水深日本一 423mとか。


角館


桧木内川堤(ひのきないがわづつみ)そばの駐車場でバスから降り、角館武家屋敷通りを散策する。


みちのくの小京都と呼ばれる角館は、元和6年(1620)芦名義勝によってつくられ、秋田藩の中では

最も大きな城下町として発展してきました。武家町と町人町に分けられた町並みは、390年近く経った

今でもほとんど変わらない、まさに歴史の息づいている町です。~角館観光プレスより


角館武家屋敷通り

角館武家屋敷通り : 新専属モデルトリオの結成


角館青柳家

角館武家屋敷通り : 青柳家前にて


角館武家屋敷通り

角館武家屋敷通り : 直角に曲がる通り。敵の襲撃をかわす為と聞く


角館武家屋敷通り

角館武家屋敷通り : 幹部が行く


角館武家屋敷通りは、枝垂れ桜は葉桜であったが、みちのくの小京都と呼ばれるだけあって中々の風情があった。土産物で目立ったのは生もろこし。試食したら美味しく高齢者に打って付けと思い私も買い求めた。それから、駐車場に戻り、桧木内川堤の2kmにも及ぶという桜のトンネル(葉桜)で記念写真を

撮ってからバスに乗り込んだ。


桧木内川堤

角館桧木内川堤桜のトンネル : フキノトウにこだわった二人


帰路の車中


館山への帰路は長い。YUさんは何かと気を使い工夫するので車中は和気あいあいの雰囲気となる。

そのせいか、カラオケでは普段控え目な人までも歌い出す。

疲れて来れば嫌われるカラオケだが、皆が元気な証拠であろう。


民話のSさんの話は面白かった。Sさんは学制改革で我が母校である安房高校に初めて入学した二人の

女生徒のひとりである。

私のさぞかしもてたでしょう、との問い掛けに、良かった事もつらかった事もあったと言い、その頃のエピソードを絶妙な間合いで語ってくれた。

中でも焼き芋の話には笑った。部室の窓越しに男子生徒が焼き芋を持って来て、早く食え、うめ~ぞ早く

食え、と言う。確かに美味かったのだがどこで焼いて来たのかと思ったら、部室の近くには墓場があるが、そこの塔婆を集めて焼いたのだと分かった。・・・・・・・・・・・・・・・・。


恒例となった旅の感想タイムでは、楽しかった、疲れなかった、との声が多く、YUさんの妻N子さんが、

主人の無謀な計画に心配しましたが、こうして皆さんが楽しく元気に旅を終えられることを嬉しく思います、と結んだ。


確かに高齢者の集団であるから、無謀との心配は解る。

しかし、1,500kmのバス旅を楽しかったと言わせしめ疲れを知らぬ元気な姿で帰って来させたのは、「遊子の会」発足から7年目で今回が42回目のイベントという旅が、気心の知れた仲間だけの集団であったこと、それまでに培ったYUさんの旅のノウハウの集大成の賜物と思えてならない。   おわり