下の子の妊娠四ヶ月ぐらいの時の出来事でしょうか。。。


その当時。。。上の子は8か月と半分を過ぎました



8か月と半分くらいから子どもの様子が急変しました!!!!

まず、つかまり立ちがマイブームに。。。。。。

ハイハイも満足にできなかった数日前を無視して、イキナリつかまり立ち・・・・・?????

それも摑まる相手は・・・・・私の脚なんです

私が椅子に座れば、下肢につかまり・・・・・
横になれば、モモや足につかまり・・・・・爪を立てる


そして、昼寝をほとんどしなくなりました
30分すればイイ方なんだけど。。。。さすがに眠いらしくて、ぐずるんです!!

だから!!!寝なさいって!

と思うんですが、寝ないで泣くんです・・・・・それも3~4時間。




こんな話は聞いてないぞ・・・・・

夜中の授乳苦労話以外は、聞いてないって。。。。。。。

私に言わせりゃ。
3時間おきの授乳なんて、へのカッパ!!!


おそらくは、若い20代のママさんたちには子どもの動き回りに付き合うことなんて何ともないんでしょうね~

家事なんて絶対に無理だよ!!!
第二子も切迫流産なので、安静を言い渡され。買い物も行けないし。。。。。

家にゆっくりいるんだけど、自由な時間はもちろん!眠る時間もありません・・・・・・


記事を書く間も下肢につかまって上の子は泣いてます・・・・・

何で寝ないの????

どうやったら寝るの?



否。寝なくともいいです・・・・・

どうして、ぐずるの??????
どうして、暴れるの?
何で怒るの????



好きなことやらしてるでしょ????

何が不満なの?????

4時間も泣き叫ばれたら、さすがに私がノイローゼになりそうよ・・・・・

どうやったら、ぐずりを止めるの????





そして、今から思えば。。。。育児ノイローゼになったんだと思います。
私が今。主人の要望を無視して断固として第三子を望まない理由はココにあります。
40半ばの体力で、年子の育児は半端ないです

出産自体の体力とは全くの別物の、育児のための体力が必要なんですね~
妊婦で身体も思うように動かないし。。。。
高齢で体力も無いし・・・・

だけど、子どもは変わらず子どもなんです・・・・
成長は早いですよぉぉぉおおおお
力も強いし、動きは機敏だしね・・・喋れないけど立派に一人前のを持っています

知らなかった~~~~





第二子の妊娠は、『計画妊娠』でした。

我が家にもそれなりに込み入った事情がありまして、本来は子どもは一人しか望めない状態でした。
その一人も【女子が望ましい】事情でした。

しかし、これまた不思議なもので“その事情”が勝手に解決されたのです。
そんな矢先に主人が「二人目欲しくない?」と申しまして。。。私は
「男子なら欲しいけど、女子ならいらない。年子なら望むけど時間が空いたら先のことはわからない」と答えました。

だって。。。上の子が可愛くて仕方がないんだもの~~~
この子だけを大事に可愛がりたい!!!っておかしな気持ちになっていたんです。。。。
子どもへの愛情は、子どもの人数が増えたからってどうこうなるものではないし、性別でどうこうなるものでもないし、生まれた順番で変わるものなどないのだと、親は口では言うけれど。。。

その時は感覚的にはわからなかった私です・・・・
我が家の諸事情も絡み他の子を愛するのは、浮気のような二股のような引け目を感じるというか・・・抵抗があったのです。








そんな私のメンドクサイ感情に主人は付き合ってくれました。

『年子で男の子を頂きたい』と神頼みをいたしました。

その祈願の半月後に予定の生理が来なかったので、いつもの近所のDr.の所へ行きました。

「え~~~?(#^.^#)流石にそんなに都合よくは行かないと思うよぉ。
年齢が年齢なんだから、前回の自然妊娠が奇跡でしょ~」
とニコニコ否定されましたが

「う~~~ん・・・居るハズなんですけど」と粘ると・・・

「診るだけみてみる?可愛そうだけど、年齢的に難しいよ
期待しないでよ。
落ち込まない自信があるなら調べるだけ調べてあげるけどぉ?」

「大丈夫ですと自信満々に即答したらDr.も面白がって検査を始めてくれました。

尿検査の結果が出て。。。。。



真顔で・・・・





「嘘でしょ????妊娠反応出てるけど????」

「はい!自信有りましたぁ~」

「知ってたの?内診していい?」

「感です。診察お願いしま~す」

で。。。。。「わかんないな~~~~~。普通はこの時期じゃ、わかんないんだけどね・・・・
袋なのかな?水か?でも、この位置だとまずいよな~~~」
などとブツブツ

「有ることは確か」と先に答えが出ているので、通常は見落とす程度の小さな点(胎嚢)を見つけようと必死に探してくれました。


歳をとると病気(?)不調の名前をどんどん知るようになりますね~~~~~~~








お台場。。。43歳。。。。。経管妊娠の疑いあり妊娠週目でありました~~~~~




マルがつもあるそうです!!!
本当にです。
超音波の画像で見ると黒い丸です。。。。。。
中が、液の場合もあるし、芽(赤ちゃんのモト)の場合もあるそうです
胎芽ならこの先にドンドン細胞分裂をして赤ちゃんになっていくわけです。
お台場の場合は・・・・・・まだ○です

中身は分かりません!!!!(4つの受精卵ってことが無いとも言えないらしいです)
かりたくて。。。ですので、変化に気付いたのが早かったのもありますが、中身が確認できません!!!

尿検査で反応はあるのですが、4個すべてが中身入りなのか?
どれか一つだけが中身入りなのか???
この4つの内の3つは妊娠には位置が悪く、受精卵だった場合は命の危険!
なんだそうです・・・・・・


でも、私には分かりました。
中身入りは一つだけ!
そして、男の子!!

その根拠は、今回は明確な意志をもっての神頼みを使ったからです。
信じるか否かは読まれた方にお任せですが、43歳で自然妊娠ってだけでも十分にオカルトでしょ?








これって私だけかな~~~~
 
女性も30半ばまでずっと未婚でいれば。。。精神的にも経済的にも自立してる人がほとんどでしょ?
将来に不安があれば、結婚はするよね????
これって私だけかな~~~~

結婚していたとしても、40まで“夫婦のみ”でいると互いに老後の覚もでき始めるもの・・・・最期は独りで逝く覚悟
これって私だけかな~~~~

更に自分だけかもを言うと、不妊治療をした人は厳しい訓練受けてるからいろんな意味タフだよね

どんどんくなるというか。。。人頼れなくなるって云うのかな

実はワタクシ・・・笑っちゃいますが。。。。『助けてください』が子ども時から言えないのです
何でも言ってはばからないお台場ですが・・・・これだけはど~あっても言えないのよ~~~

陣痛でお腹が痛い時も母にも言えなかった・・・・(この話は、二回目のお産の時に書かせてください)


でもね。。。それじゃ、この歳での年子は育てられないのです。。。
意地や面子では子どもは育てられないのですね

まだ喋れない上の子がお腹をすかしてぐずるでしょ。
そのタイミングで下の子が授乳中だと30~45分は私の両手がふさがるんです
ご飯か。人工乳の方だけでも、どなたかにお願いしなければ苦しいのは我が子らなんですよね。。。。。

寂しくて泣いているときも・・・・
痛くて叫んでいるときも・・・・・
二人同時を私ひとりでは助けてあげることはできないのです。

素直に人様に甘えること。。。。勇気がいりますが、40半ばで乳飲み子抱えて、自分の体面なんて拘っては育てられないんですよね~~~~
このになって・・・・年子を持ってはじめて、頭を低く生きる大切さを学びました。

弱音や愚痴を吐いたらいけない
助けを求めたら、付け込まれて足元をすくわれる

それが、私の正論でした。
でもね・・・・この精神力では子どもらを育てていけないことが分かったのです。
まぁるく、低く、器用に柔らかくないと年子の母は務まらん!!!

これはね・・・・出産で学んだことの中で1位か2位のきの真実でしたね~
女性に求められる資質のほとんどが、育児には不可欠なんですね。。。
社会で男女の差なく働いてきた我が身には、備わっていない要素です。

不妊のもとをたどってみると、母性に欠けている女性が多い。
女性が社会に出て男性化すると家庭が収まり悪くなる。

こんな話をよく聞きました。
耳障りのい聞きたくない話でしたが、真実なのかもしれません。

40半ばでそれまでに長年かけて築いたものを変えるのって・・・・・

大変苦しいんだよね~




そんなこんなで、ワケのわかんないうちに朝になりました。
本来は、帝王切開でも翌日には母子同室になる病院なのですが、子どもは生まれてすぐに入院になりました。
やっぱり、あれだけのハイリスク妊婦が生んだわけですからね。。。

この話は、退院時のDr.の指導により他言無用なのです。
なぜかというと、そのことを聞いた人は必ず詮索をし、さらに偏見を持つので云う意味がないんだそうです。

なのでその後のどこで聞かれても《正常分娩》の《大病なし》《入院なし》で通しています。
もっとも、母子手帳見ればわかる人には分かるわけで、わかる人は正しい知識が有るから偏見も無いんでいいんですけどね。



さてさて。話は戻って。。。。リハビリです。
お腹を切った翌日に保育なんて出来るのか?って思いませんか?
私もびっくりしたんですけど、できるんですね~~~~~

生まれて直ぐに子どもの体はきれいに看護師さんがしてくれます。
私のお腹を閉じたら私はそのベットに横になったまま子どもが居る部屋に運ばれるんです。
で、私のベットの枕元に子どもを寝かしてくれるの。

おーーー!!そこまでするか?! って感じですが、母乳も初乳ってスペシャルドリンクを私があげるんですよーーー
不思議ですよね。
胎盤が無くならないと、初乳は出ないシステムになってるんだと42歳でめて知りました。
漫画やTVでは、子どもが生まれる前にマッサージとかして準備するとかありますが。。。。じゃん!!!

で、翌日から沐浴です。朝の4時だったかな~
外はまだ暗かったですが、朝の授乳の前に沐浴指導があるんです。
私・・・・歩けないじゃないですか!!!!




なもんで「赤ちゃんがお母さんを待ってるから会いに行きましょう~」にリハビリが始まるんです。

リハビリ1日目(オペ翌日)の目標が800M歩行!!!


でもね。。。。正直いうと、一歩も歩けませんよ

人間の体ってうまく出来ているんだと感心しましたが、腹筋が一部切れただけで、《立つ》という些細な動作ですら、「どうやったら立てるのか?」って考え込むほど難しい動作になるんです。
普通に思っただけでは最初の一歩も、出ませんよ



私。。。その時に考えたんですけど、

私が産んだ子もこうやって座って。立って。歩いてと苦労しながら頑張って出来るようになっていくんだな~~

って思ったら、廊下を歩いていました。
子どもが愛おしくてたまらなくなりました。
【生きる】ってことは苦労ばかりになるんだけれど、素晴らしいこともあるわけで。
死ぬために人間は生きているんだけど、死亡率100%の人間の生ってのは素晴らしいと私は感じるから【産んだ】わけでね。
そんな私の価値観の下で【生きる】事を、私があの子に強要してあの子は生まれてきたわけで。。。。
ここで私が痛いからといって、楽に寝ていては申し訳ないと思いました。

あの子に、生きることを望んだ私には、あの子以上に頑張る義務があるんじゃないかと。。。。
それが、親の責任であり。。。。『できた』子ではなく、できないところを無理に無理を重ねて『授かった』奇跡への感謝なのではないのかと・・・・

看護師さんが驚いて飛んできましたが、そのままお願いして子どもの病室まで行きました。

リハビリはね。。。。気力なのかもしれません。
希望かな?

「子どもに会いに行く」それが無ければ私は立てなかったような気がします。










あ・・・・きれいにまとめてるわけじゃないですよ。

マジ!!!いですから!!!!!

点滴の棒を杖にして歩くんですけど、下にはまだ管も入っているし、下腹部は切ってあるから違和感はあるわけでね。
足はしびれていて、正座のあとのような足裏のボワンとした感覚で歩くって。。。

髪の毛はバサバサで艶なんてどっこにも無いし。
入院でカラーできないから白髪は出てきてて老けちゃってるし。
肌なんてカサっカサのゴワゴワで。。。。

人には見せれないくらいの格好ですよ。
落ち武者が貞子か。。。どっちにしろ、m(-_-m)~ ウラメシヤー

帝王切開でないお母さんもいるわけだしね。
羞恥心はあるわけで・・・・でも、行ったんだよね~~~~
ええかっこシーの私がね



そんなこんながブッ飛ぶくらいに子どもに会いたいと思う理由は情ではないんだと私は思います。
なぜならその時の私とその子はまだ、何も親子の交流がない時期だったわけですから。

だけどただ、会いたかった。。。。それは、何なのかな?



ここが一番、辛かったです

吐き気があるけど吐けないし。。。

痛いけど、どうにもできないのです・・・・ただえるだけ!!!

私は知らなかったのですが、帝王切開でも《後産》の痛みはあるんですね~
こればかりは、麻酔も覚めてきているのでいですよ~
さらにプラスで、さっき切ったばかりの開腹後を押されるわけですから、その痛みは中なのか?外なのか?何がなんだかわかりません!!!

でもね。その悪露がたくさん出したほうが後後の回復が楽だというので「手加減なしでお願いします」って言ったんですが・・・・手加減してもらえば良かったと直ぐに後悔はしました。

そして、麻酔が入った袋を渡されるんです。
笑えますよ~~~~
子どもの頃に扁桃腺が晴れた時に冷やしてもらった、氷のうみたいな。。。。
哺乳瓶のロングの様な。。。。
ちょうど手に持つと抱きしめたくなる大きさで安心感のある丸さなんです

で。オッカナビックリ刺してある背中の麻酔の管につながっているわけです。
痛かったら我慢せずに自分で、ボタンを押すと適量が入るという仕組みだそうです。。。。。
麻酔の使いたい放題?!


ヒャエ~~~~!!!そんなに痛いの?!


この説明を受けたときは、腰が抜けるほどにかったです。
人間って可愛いですよね~
本当に起こった痛みよりも、想像の痛みの方が怖いんですもの~

臆病者のお台場は、ボタンは押しませんでした。
だって、、、麻酔に慣れてしまって本当に限界に来た時に、楽になる薬がないなんて怖すぎでしょ。
(後日知りました。“適量”しか出ないんだそうです。つまりは、連打しても出る量は同じだったんです。。。我慢してもしなくても一緒。お馬鹿です・・・・)

点滴も“ナニカ”があった時のために抜けません!!!
何週間も刺しっぱなしって、痛いんですよ~~~~

背中の麻酔の管も、徐々に痛くなってくるんです。。。
どこもかしこも痛いから、何がどう痛いかなんて把握できないのです。
そして、眠い。。。。でも、子どものことが気になったりで気が張って眠れない。
だからといって、動けるのは手だけなんです。

足はね。。。麻酔が抜けるほどに痛いです。
触ってもわからないけど、触らなくてもしびれていて痛いのです。
どうにもできない不快感は、麻酔をかけていた時に下にした足に強く長く残りました(翌日もです)

そんなこんなで、長い午後となったのです。。。。

麻酔はね。。。かけた後が嫌ですね~
かける前と同じに戻るのに、数ヶ月はかかるのかな?
戻らないのかな?
ってくらい、私にはハッキリした回復がわかりません・・・・