震災で家を失って、たくさんの方からお見舞いをいただきました。
ここ何年も連絡をとっていない方からも、安否の確認や救援物資の援助がありました。
みなさんとても親切で、私の気持ちをいたわってくださり、本当にありがたいと思います。
震災の被害は小さいものではありませんが、実は私にとっては震災よりも胞状奇胎の方が何倍も辛い出来事でした。
胞状奇胎になった時の方がいろいろな感覚、特に悲しみに対して反応が鈍くなり、また、理解されない苦しみ、誤解による新たな苦しみが多かったように思います。
私にとって震災の方が心理的被害が少ないのに、周囲の手厚いフォロ-は不思議でした。
震災の被害者に対して適切なフォローがあるのに、胞状奇胎に対しては傷つく対応ばかりだったのが不思議でした。
なぜこんなに対応が違うか考えると、残念なことですが、震災は多くの人が犠牲になったということや、震災の被害が多くマスコミで取り上げられたからではないかと思います。
また多かれ少なかれ多くの人が震災の被害にあい、恐怖感や喪失感をもっているから、共感しやすいのかもしれません。
私も今回の震災では自分が生きていることが不思議だし、親戚や友人で犠牲になった人は多かったです。
でも私は胞状奇胎でもっとも身近で大切な人を亡くしています。
そのことすら理解されず、間違った対応が多かったことが今でもとても残念です。
私と同じ状況でも、震災の方が辛いと感じる方はいらっしゃると思いますし、被災地の現状はまだまだ本当に大変です。
何が辛いかはその人しだいだと思います。
私は胞状奇胎で世を儚んでしまったので、その後の悲しい出来事に感覚が鈍くなっている傾向がありますが、相手の辛い思いを軽視せず、少しでも支えになりたいと思います。