昨夜の続き
まずは簡単に自己紹介。
そして何故、刀の基本の事を話させていただくか、
の簡単な説明ー のはず
実は頭の中がこんな感じで
何を言ったか、あまり覚えていません
そしてパワーポイント操作の為に、座らせて頂いて
開始です
以下は、私が説明した部分ですので、
ご興味のない方はスルーして下さい
日本刀の名前
一応ね、新選組に関する知識として
勇さんが虎徹を(真偽は別として)持っていたり
歳様は兼定を少なくとも2本以上は持っていたと思われる事や
(勇さんの書状のものと、現存のもの)
総ちゃんの愛刀と言われる「加州清光」は出典元が怪しいとか
(権先生が書かれたと、後から知ってビックリ)
その程度の知識はありましたよ、勿論
けど、兼定っていうのは、刀の名前であり
刀工者の名前なんて思ってなかったもん
下段に書いたように、
刀そのものに名前がついていたりもするじゃないですか。
でも、これって極僅か。
ほとんどが、刀を作った人(または流派の場合も)なんですよね
切り付け銘
次に、講演中によく出てくる「切り付け銘」
中子に刻まれているものですよね。
作った人の名前が入ったもの、つまり「在銘」
そして何も書かれていないものが、「無銘」
理由は様々ですが、身分の高い方に献上する場合は、あえて自分の名前を入れなかったりもするみたい。
今も天皇家へ納めるものは無銘とか
そして後から刻まれたりするものに、由来等がありますね。
歳様の愛刀だった秀國にも、「土方義豊 戦刀」など入っています
そして「裁断銘」
試し斬りの記録です。
やはり歳様が佐藤家にあげたという康継に、入っています。
最後は、「年記」
刀が作られた年月です。
これ、慣例として二月と八月のものが多いのです。
夏至から冬至、冬至から夏至までに作った刀に
まとめて二月、八月の年記を入れるんですって
(例外もあります)
で、このポイントを話忘れたのですが
刀ってこの年記が入れられてすぐに使えないってご存知でした
研いだり拵えを作ったり、様々な工程を経て
だいたい1年近く経ってから、実際に仕えるようですよ
なので、慶応二年八月日のものを九月に使っていたー
なんていう事はないのですね
そしてもう一つ。
歳様の刀といえば、やっぱり「兼定」
まぁ、この兼定の事を電車の中で、権先生に「詰問」したのが
先生とのご縁の始まりだった訳ですが…
皆さまはもうすでにおわかりかと思いますが
初代~三代が、「関兼定」で、二代目が「和泉守」を賜っております。
四代が会津に移り、「会津兼定」の初代となり
ずっと時代が下って、幕末の十一代が「和泉守」を
文久3年12月に賜ります。
なので勇さんのお手紙(同年10月)の中の「和泉守兼定」は
十一代ではなく、二代の「ノサダ」の事、ですよね
という事で、私の説明はここまで。
権先生にバトンタッチです
2017年皐月27日 汐海 珠里