このところ寒さもあり屋根裏に上がってもコタツに横になり午前中は音楽も聴かず考えもせず冬眠のように眠っています。便秘も薬で辛うじて日に1回通じますが動かないのと野菜を食べないので気分爽快というわけにはいきません。それに1月は幸いというか病院行きがもうないので尚のこと全く外出が無く腸にもよくありません。手紙などもらってもすぐ読む気が起きません。心身ともに回転しないということはこういうことです。初場所も始まりましたがそれほど面白くありません。ニュースみても能登の災害がなかなか場所が場所で入り難くそんな状況を日々みたりガザ地区の惨状をみて世界が如何に困難な状況にあるか気分が潰されるようです。アメリカの大統領選挙も共和党の立候補ではトランプが確実視され万が一彼が当選したらアメリカの分裂がさらに進み世界にも悪影響が出るでしょう。アメリカがこのようになったのは分かりませんがもう30年も前アメリカ人のかなり優秀な友人がアメリカは将来普通の国になるだろう。何故ならばアメリカ人の多くに開拓精神がなくなりスポーツカーなどにしか興味がないからといってました。歴史をみても永遠に繁栄した国はありません。古代エジプト、古代ローマなどみな滅んでいます。あと20年もすると中国が一位に躍り出てどのくらい覇権を握るかそして次はどの国が握るか。世界は混乱し民主主義ではまどろしくてやっていけなくなるのか。そのころはAIが人間並みかそれ以上に進化するでしょう。世界中の言語も容易く翻訳でき世界はますます一つの村に収斂するでしょう。かといって民族間の紛争が無くなるかはわかりません。私には世界の人口をコントロールしなければやはり地球環境は悪化していくでしょう。人類がどういう方向にかじ取りしていくのか。最後まで核戦争はストップできるのか。人間追いつめられると考えられないような行動をします。現代世界は実に混乱を示しています。日本もアメリカの傘の下から独自の路線をしていく覚悟が必要でしょう。人類は長足のテクノロジーの発達で人間の栄光を失ってしまった感があります。ノーベル平和賞やアメリカの大統領みてもどんどん小粒になっています。一人では何もできないようになっているのかも知れません。美術の世界みてもここ何十年新しい潮流は起きていません。学生運動も皆無です。若者にとって社会は自分の手では変えられないと思っているのでしょう。変えられるのは新しいテクノロジーのみと思っているのでしょうか。私には今こそ考えるときと思います。人類が思考停止になった時それは理性がストップするときでしょう。今もフランスに住む友人の話ですと私が居たころにくらべると多くの点で公の業務が時間がかかり過ぎたりずさんになっているようです。社会が逆戻りしている感があります。その点福祉に関しては私はよくやってると思います。若い人は私のような世を終わった者のところへ話になんて来るはずはありませんがいろいろ話してみたいです。対話が無いところに進歩はないでしょう。今松本なんとかいう芸人が強制わいせつで問題になっていますが何であのような人相の人間が30年も夜の番組の主役を務めていたのか不思議です。人間には人相というものがありそれはいつか何かをやらかします。彼は悪顔です。人間権力を握ると自制力が無くなりがちです。古い考えですがもっと小学校から「人の道」を特に人の痛みを教える必要がありそうです。私は人間に興味があり東京から疎開してきた子と一番最初に友達になったものです。今も時々初めて来た人が昼と夜食事をしていくことがあります。コロナさわぎと私の病気で話す機会もほとんど無くなりました。

屋根裏の南側の一畳の窓から燦さんと陽光が差し込んでいます。何か春が遠くないと感じさせます。毎年感ずることです。実にいろんなことが起こりそして辛うじて解決しそしてこの何ともいえない暖かい陽光に身をゆだねると束の間至福にひたれます。今朝は温水器の問題があって3日ばかり風呂に入らなかったので今朝は私だけ普通よりゆっくり入りました。昨夜は家内が買ってきたカジキマグロの刺身のせいか腹が痛くなって正露丸でなんとかしのぎました。本来は家内がやられるのですがこの頃は逆でいつも私がやられます。体力が落ちたのでしょう。家内に参られたらたいへんです。私は家内の記憶係であとはあまり役にたちません。私はたいてい午前中の2時間から3時間屋根裏で過ごし3日に一回は夜9時以降屋根裏で過ごしそのまま着たままでコタツに着どころ寝をします。これが意外と快適です。東日本大震災が起きて屋根裏が一番大変で10年近く利用しませんでしたが最近やっと整理して元に近くなりましたがソニーのダブルカセットコーダーもだめになり200点もNHK「心の時代」をカセットに録音したのも今は聞く気になりません。この頃は森進一、淡谷のり子、美輪明宏、鶴田浩二など聞くだけです。もうすっかり脳は軟化しました。本など全く読む気になりません。年取って再び子供に帰るようです。これも自然なのかも知れません。毎日の生活で一番楽しみはブログを書くことかも知れません。でも去年に比べたら意欲は落ちています。「老人と海」の文豪ヘミングウエイは晩年海沿いのバーで毎日酒を飲んで過ごしましたが最後は銃を口に当て死にました。自らの行動を描いた彼にとって行動ができなくなることはもはや生きるに値しなかったのでしょう。私はたとえ惨めになっても最後までその自分を観察してみましょう。もう1回人間に生まれ変わることはまずないでしょうから最後まで見届けたいと思います。

何とか便通もよくなってほっとしていたら家内がお湯が出ないというのでまた風呂場のお湯の栓の締め忘れかと風呂場にいきましたが問題はありません。赤い印がきっちりあっていました。300リットルの温水器も30年くらいたっているので耐用年数になっているのか考えとりあえず研師の友人にきてもらいました。この温水器はかつて夜の11時から朝の6時まで半分近い深夜料金でしたが2年前からその恩典が無くなって通常料金になりましたが依然夜の11時から朝6時までしか電気が通じないようになっています。昨夜は今冬最低の気温で-7.5℃でそのせいかなど考えて翌朝お湯がでないなら彼の友人の電気屋に頼んでもらおうと就寝しました。気になって朝5時ごろ起きて温水器の一番近くの蛇口をひねったらお湯が出ました。これで一件落着ですがまたこういうことは起こる可能性があるので交換することも考えておかなくてはなりません。我が家の温水器の問題でも風呂に入れなくなります。能登地震の被災者は本当に大変なことが想像されます。便利な生活を送っているとそれが急にできなくなるとそのショックは生命にかかわってもきます。歳をとるということは100パーセント自立した生活ができなくなることでもあります。だから一般人は働いて老後に備え子を育てます。私たちなどそんなことを考える余裕もなく制作を続けてきました。そして病気もいろいろやって80代まで生きられようとは考えていませんでした。それがもうすぐ88歳そして90歳まで生きるかも知れません。何か不思議と恐ろしいようなような気がします。帰国して24年何も目立った慶事はありませんでした。しかし今年は県立美術館開館40周年の記念展に選ばれました。本当に珍しいことです。そして有難いことです。とにかく60年近くあまり世間を意識しないで孤立無援で自分の穴の中から世界と人間を見てきました。それも一番効率の悪いやり方で。その覚悟がないとこのメゾチントという技法を熟成させることはできないと思ったからです。その環境はパリ発祥のマレー地区の17世紀の崩れかかったアパルトマンに入居したことが決定的なことでした。34年一度も引っ越しをしませんでした。家主も寛容で10ケ月家賃を払わずとも御出されませんでした。作品を買ってもらったこともあります。同居者の友人でラオス人の写真家は4年間家賃を払わないで出ていきました。戦前の映画に出てくるようなアパルトマンしかも絶対御出される心配のないところで年4,5点のペースで34年やってこれたから何とか凡才でも作家になれたのはこの家主のお蔭です。高い家賃を転々としていたらメゾチントは続けられなかったでしょう。いわばパリの中心のマレー地区というかつて時間が止まったようなところにいたことが私の性分に合っていたのです。今のパリを考えるともはや別の時代の別の国のようです。今のこの生活も友人との交流はありますが本質的に隠者の生活です。天は私みたいな人間を何とか88歳まで生きさせてくれました。実に有難いことです。誰にとっても人生はそれなりに楽ではありません。しかしその行程も終わりに差しかかっております。感慨無量です。