昨夜のブログアップ後、


「上京した時のことを書いて欲しい」


というリクエストを頂戴しました^^



おもしろい話かどうかわかんないけど、


そのことを書いてみようと思います。



早い話がね、家出だったんですよ(^_^;


今思うと、親不孝な話です。



まず。


私は長野に住んでいました。


東京といったら、3年に1度くらい観光に行った程度。



そんな私が


「上京してフリーライターになりますんで」


と、言い出したら、ふつー親は反対しますよね。



そう、父親が猛反対したんです……。



フリーライターとは、会社に所属しない


「自由業」


のことです。



ずっと会社人だった父にとってみたら、


そんな先の見えないこと、


賛成するわけにいかなかったのでしょう。




あっ、ちなみに、これからフリーライターになりたいと


思って下さっている方のために加えておきますが


いきなりフリーライターになるっていうのは珍しいこと


らしいんです。



まずは何処かの雑誌編集部で働いて人脈を作ったり


学校や講習できちんと下積みをしてから


デビューなさる方の方が多いと、後から先輩に聞きました。



なおさら、反対ですよねぇ。



そんな時、大人しく「ワカリマシタ」と言える性格ではなかった私。


父親の留守時、母と妹にだけそっと挨拶をして、


カバンひとつで家を出ちゃいました!



今、数年経った自分が書いていて思うんだけど、


そんな度胸いること二度とできねぇ!


誰ですかこのコワイモノ知らずは!


アタシだよっ!



もちろん今では父親にも認めてもらっていますよ。


パチンコ雑誌、毎号買っていたみたい(笑)。




……さて、その後。


先に上京していた友人宅で3泊ほどさせてもらい、


その間に学生用の安アパートを借りました。


部屋を借りる分くらいしかお金を持っていなかったため、


しばらくカーテンのない部屋で、みかん箱をテーブルに


暮らしていたんです(笑)。



みかん箱、リアルに「みかん」って書いてあるホントのみかん箱でした!


どこから拾ってきたのかは忘れたけど、今思い返すと


なかなか味のあるインテリアだった気がする☆



それから、ライター生活をどうにか始めました。


高校の先輩が既にライターとしてデビューしていたため、


その方を頼っていったところ、仕事の世話をして貰えました。


斎藤ゆうすけ先生は命の恩人です!



もちろん、最初からライター仕事だけで食べられるハズもなく、


パチスロでの稼ぎで半分以上をまかなっていました。


マジックモンスター命の恩人です!




その後、作家の水城正太郎先生が統括するクリエイター集団


「A-TEAM」に拾われ、修行させてもらうことができたんです。



パチンコライター方面に行くとき、水城先生に


「師匠が二人いてはいけない。

今後はその編集部でパチンコライターの技術を盗め」


と言われ、A-TEAMを卒業、いろいろあって今に至る。




長々と書いちゃったけど……こんな話、おもしろかった?


いつか機会があれば今度は、食べるものがあまり買えなかったときに


生き延びるために作った「ソーメン料理」のお話をしますね(笑)。




※先生方、無許可でお名前をお借りしてごめんなさいごめんなさい

ごめんなさいごめんないすみません申し訳ございません!