夏、真っ盛り。

毎年、同じコトを書いてるけど、暑いです・・・


イヤ、今年は本当に暑い。

何故なら、今夏は東京に居るから。(東京の人、ごめんなさい)

こんなに暑くて、こんなに人が多いトコに、よく皆は住んでるな~

(重ね重ね、東京の人、ごめんなさい)


予備校の夏期講習に通うのに乗る電車が地獄です。

もっと冷房、効かせてよぉ~

この混雑、何とかしてよぉ~

絶~対! 東京には住めません。

(東京に住んてる人、ホントにごめんなさい)


ん~、地元に帰りたい。

でも、戻ったところで、何もない。

それは分かってる。

母親を失った悲しみを、まだ引きずってるのもある。

前向きに生きてるつもりでも、やっぱりそう簡単に忘れられない。

新しい目標を見つけ、それに一生懸命に頑張って、忘れようとしてるだけ。

やっぱり、僕は弱い人間なんだと思う。


毎日、夏期講習に行ってるけど、

基本的な学力があまり備わってないのを実感してる。

通信制高校のレポートはこなしていたけど、

とりあえず「やってる」だけだから、全然身に付いてない。

結果、今やってる授業に付いて行けないのだ。

こりゃ、かなりヤバイんでないの?

ブログ書くの1ヶ月ぶりだ。

書くコトも沢山有り過ぎて、何から書いたらいいのやら・・・

それに、奴隷化とか、書きたくないコトも勿論ある。


このブログを始めた当初は、自分の日記代わりに・・・ って思ってたけど

既にそんな意味は無くなってる。

ま、いいや(笑)


先週はスクーリングで、びっちり授業を受けていた。

レポートもきちんと真面目にやってるので、単位は問題なく取得できそう。

そして当たり前だけど、同時進行で受験勉強もやらなくちゃいけない。

自分の学力の低さに加えて、受験までの時間も半年しか無い。

こんなんで、どうなるんだろう??

焦っても仕方ないんだけど、正直言って「無理かも知れない・・・」って思う。

他人が決めた僕の人生だけど、僕自身が納得してるので

やれるだけのコトは、やってみる。

とりあえず来週からは、びっちり某予備校の夏期講習も受けるコトになってる。

これまでの人生で、最高に勉強してるよ。

夏だけに、燃えてますっ!


そう言えば、夏って最もキライな季節だった。

薄着になるので、この女性体型が目立つから。

なので、いつもダブダブの大き目の服を着て、体型を隠していたもん。


ところが、今後は「女子モード」での生活を義務付けられたので

今までの僕じゃ考えられない位の格好で外出してる。

チュニックやカットソーはまだ良いとして、

下手するとキャミソール1枚に、膝上のミニスカートに着替えさせられる。

肩や脚を露出する服装をしたことがないので、かなり恥ずかしい。

しかも、この格好で電車に乗って通学したのだ。

・・・ありえない。

恥ずかしいから、せめてレギンスとかはきたいのに、

「あんた10代で若いんだから、生脚でいいよ!」と、取り合ってくれない。


ちなみに・・・ 当たり前だけど「スネ毛」なんて一本も生えてません。

完全にツルツル。

そりゃ、こんだけエストロゲンの分泌が多けりゃね。

学校行ってた頃は、脚なんて、絶対にクラスメイトに見せたくなかった。(特に男子)


今まではブラトップ派だったんだけど、

こっち(東京)に来てから普通のブラも付けるようになった。(させられた?)

最初は締め付け感に抵抗あったけど、以外にも、すぐ慣れるもんだ。

Tシャツ1枚で下にブラが透けたり、ブラを付けてるのが分かったとしても、

「女子」として行動してる限り堂々としていられるのはメリットだと思う。

男子がブラ付けてたら変だけど、女子なら普通だもんね。


只・・・、ショーツをはくのは、今でもかなり抵抗がある。

何とかしたいけど・・・ 無理だろうな。

「琴美、女の子でしょ? ショーツ以外、何はくの?」って言われたし。

どこで、どう間違ったのか・・・

それとも、最初からそういう運命だったのか・・・

あれからずっと、綾乃さんの奴隷になってる。

逆らったり、抵抗する気も失せてしまい、この立場を受け入れてる。

そう頭では理解していても、やっぱり調教は辛いし痛いし、屈辱的だ。

マゾになんて、なれっこない。


女性化に至っては、こういう体なので、今更って感じ。

すぐには無理だけど、「髪は伸ばしてみよっか」と言われてる。


震災で避難する際、荷物も何も持ってなく、ここ東京に来るときも手ブラ同然。

当然、着替えも無い。

こっちで着てるのは、綾乃さんの中古服や、与えられた女性用下着。

他に着るモノが無いから仕方ないけど・・・


そして、将来・・・ と言うか進路。

高校卒業資格だけは取りたい。

けれど、その後の道については、全く未定だった。

夢がある訳じゃない。就きたい職業は見当たらない。

こんな自分に出来る仕事なんて、あるんだろうか?

ずっと不安だった。

そこに、綾乃さんの一言。

「琴美。あんた、進路とか何も考えてないんでしょ?

じゃあ、看護師になりなさい。

大学は無理でも、専門学校なら何とかなるしょ。

とりあえず、男でも女でもなれる職業だから、見た目が女でも問題ないよ。

それに資格あれば、普通に就職活動するよりいいんじゃない?」


女性にしたいから、看護師にさせる。

あまりにも単純な理由かも知れないけど、

これに関しては拒否反応を示さなかった。

資格・専門職ってのは、ちょっと考えていたコトだし、

看護師なら僕みたいな容姿でも違和感はない。

学費は、あしなが育英会や奨学金、色んな制度で何とかなる。


問題なのは、人見知りが激しく・内向的な僕が、看護師に向くかどうか。

それと、今から始める受験勉強だ。

入試は来年の1月や2月だから、あと半年しかない(泣)

ん~、やる前から、諦め宣言してる。

生活していくための手続き関係は、少しづつ進んでいる。

だけど、予想以上に、お金は入って来ない。

世の中、そんなに甘いもんじゃないってコトだ。

銀行にも預貯金があったんだけど、それ以上に借入金の金額が多かったので

遺産放棄の手続きはしておいた。

通信制高校の授業料は、その後、免除が認めらた。

テキスト関係も無事に揃ったし、とりあえず、こっちは何とかなりそうだ。


一人暮らしする程の経済力なんてあるはずもなく、

(経済力うんぬんの前に、一人で生活できるかが疑問)

かと言って、施設とかには行きたくない。

親族は無く、友達も皆無。

結局、一番身近で頼れる人・・・ 綾乃さんしか居ないという結論。

ただ、何年もココにずっと居候してる訳にもいかないだろうし・・・

それに、僕自身に自立する想いと力が備わっていない気もする・・・

何か、どうしようもない人間だ。

イヤ、最近は「人間」でもない。ホントに「奴隷」になってる。


GW以来、外出が出来なくなった。

理由は、人間不信。人が怖い。特に男性。

大声で怒鳴られ、叩かれ、言うコトを聞かされる。

出来なければ、酷い目に遭う。

絶対に嫌なのに、無理矢理させられる。

自分は奴隷じゃないって思ってても、こんな目に遭い続ければ

自分は奴隷なんだ・・・って思い込んでしまう。

ある意味、洗脳だ。

もう、正しい判断力すら、無くなってしまった。


更に、男としての精神を奪われる辛さ。

身体的にも精神的にも、女子として扱われる。

そして、「女子になる」という生き方を強制された。

女にさせられ、奴隷にさせられる。

つまり、牝奴隷として躾られ、調教を受ける運命らしい。


そんな運命、絶対にヤダよっ!!



なので只今、引きこもり中なのです。

う~ん、学校でイジメに遭ってた頃と、何にも変わらない気がする。

あ、でも違う。

今は家に居ても、奴隷だから。

首輪付けられてるし。

GW、すごい辛かった・・・

毎日、泣いてた。




出発前に、綾乃さんに言われた言葉。

「琴美。今回は、あんたも奴隷扱いだからね。今から覚悟しといた方がいいよ」


そんな覚悟なんて無理だから、帰る! って言っても、聞き入れてもらえない。



5月3日、綾乃さんに例の場所へ連れてこられた。


そして、綾乃さんは僕の事を

「この子は、私の奴隷の一人で琴美って言うの。

女の子に見えるけど、本当は男なのよ。

この子が中学生のときに睾丸を取って、それからずっと

女性ホルモンを摂取させてきたの。もう、完全に女にしか見えないでしょ。

このまま女にして、奴隷にさせるから宜しくね」

と紹介した。


女性ホルモンを摂取したくらいで、こんな体になる訳ないって!

理由なんて、かなり適当だ・・・

しかも僕、20歳の女子大生ってコトになってるし。


そして、綾乃さんを始め、皆に調教される・・・


今回されたコト、具体的にはブログに書けない。

前回の調教内容ですら、

いつの間にかアメーバ側から記事が削除されてた位なのに。

なので、僕の思ったコトを書くことにする。


調教開始から、すぐに泣き叫ぶコトになった。

痛い。苦しい。辛い。気持ち悪い。

とにかく、もうヤダ! でも、逃げられない。

泣いて抵抗する度に、顔を平手打ちされて、言うコトを聞かされる。

出来ないものは出来ないし、無理なものは絶対に無理。

なのに、無理矢理させられる。

理由は・・・奴隷だから。



その夜は、他の奴隷さん達と一緒に地下牢に入れられた。

調教で受けた体の痛みと、

今現在も付けられてる拘束具や挿入されてるモノで辛くて眠れない。

僕がこんな目に遭ってるのに、綾乃さんはシャワーを浴びて、

今頃は2階のベッドで寝てるんだろうな・・・と思うと、また泣いてしまう。


何で、こんなコトされてるんだろ?

どうして奴隷なんだろ?

本当は男なのに、僕のコト、皆は女子として見てるんだろうか?

ちゃんと家に帰れるのかな?

あのまま津波で流された方が、マシだったかも。

僕が生きてる意味って、奴隷になるコトだったんだろうか?


色んな想いが、頭の中をぐるぐると回った。



これだけ肉体的な調教を受ければ、精神的にも正気でいられるはずがない。

3日間もこんな目に遭えば、あまりの辛さから早く解放されたくて

自らを奴隷と認めてしまった。



そして、とんでもないコトが起こる。

GWは3・4・5日の連休で、ココに来ていた。

綾乃さんは6日に仕事があるため、5日の午後には帰る予定だった。

なのに・・・僕を残して、綾乃さんは一人で帰ってしまう。


綾乃さんの奴隷として連れて来られたのだけど、その本人が帰ってしまったため、

残ったS男性3人に、更なる羞恥と苦痛を受ける。

他にも奴隷の立場となるM女性さんが3人居るのだけど、

泣き喚き、抵抗してしまうので、僕への仕打ちが厳しくなる。

仕舞いには、信じられない台詞まで言って、許しを請う自分が居た。


そこには、人としての僕は存在しなく、奴隷の身分になった僕が土下座をしていた。



8日の夜、一人で綾乃さん家に帰ってきた。

他に行く当てもないし、結局、何をされても、ココが帰る場所なんだ。

本日、綾乃さんは仕事に行った。でも、また明日から3連休らしい。

世間ではGW真っ只中だもんね。


綾乃さんとの共同生活も、もうすぐ1ヶ月になろうとしている。

一緒に生活してるってコトは、色々と家事を分担しなきゃいけない訳だ。

居候の身で、仕事もしてない僕は、掃除・洗濯・買い物・ゴミ出しの担当となった。

(ちなみに、自主的に担当になった訳じゃない・・・)

母親と暮らしてたときは、家の手伝いなんて何もしていなかったので、

生活するって大変なんだぁ・・・と。

それと共に、親の存在のありがたさに実感する。

あと、料理は全くダメなので、とりあえず「ごはんを炊く係」には任命された。

(お米を磨いで、炊飯ジャーのスイッチを入れるだけ)


そして、これからのコト・・・

自分では前向きに行動してるつもりでも、まだ心の整理が付いてないトコもある。

震災で、あれだけのコトがあったのだから、それは仕方ない。

いつまでも、綾乃さんの家に居る訳にもいかないだろうし、

お金の問題もある。先のコトを考えると、不安だらけだ。


携帯を紛失したため、連絡先も分からなかったから、

東京の親戚宅には直接行って、

母や祖父・祖母など身内が全員亡くなったことを話してきた。

当然のように今後の身の振り方も心配されたけど、

今は知り合いの家に身を寄せてると説明し、援助は不要と断ってきた。

今回の震災の報告義務くらいはあるだろうと思い、行ってきたけど、

ここは父方の親戚に当たるので、正直あまり関係を持ちたくないのだ。


次は僕自身の立場。

ココ東京の役所でも色々と相談ができ、職員さんも親切でした。

今回の震災で親が死亡、かつ僕自身が未成年ということで

僕は震災孤児という位置付けになるらしい。

ただ、この言葉、あまり好きになれないのは僕だけ?

国(県?都?)としても、ほっとけないらしく、色々と大変みたい。

(何か、他人事のようですが・・・)

震災孤児のために、里親制度もかなり確立されていると教えてくれたし、

児童養護施設(原則18歳までだけど、場合によっては20歳まで延長可能らしい)

への入所も勧めてくれた。


ただ、僕の場合、この体が問題なので

知らない場所で生活したくないし、他人にも知られたくない。

女子として生活すれば問題ないのかも知れないけど、

万が一、男子とバレたときのコトを考えると、周囲の反応がすごく怖い。

イジメられるコトを考えて暮らすのは、もうイヤだ。


あと、生きていくために必要なもの。

それは・・・お金。

ハッキリ言って、お金がなくちゃ生きていけない。これは現実だと思う。

当然、17歳の僕自身に、生活するだけの資金がある訳もない。

アパートごと津波に流され被災したので、財産など何も残っていない。

子供の僕が知る由も無いが、もしかしたら母が幾らか貯金してるかもと思い、

銀行で調べてもらっていた。

かなり時間はかかったけど、○○万円の残金があることが分かった。

しかし・・・それ以上に、銀行からの借入金も、相当額あることが判明。

勿論、こんな借金は全部、父親のものに違いない。

母はかなり遣り繰りして生活してたけど、家の家計は苦しかった。

高校の入学金まで払ってくれたのに、中退した僕はすっごく親不孝者だったと思う。


国からの援助金とかを、当てにして生きるしか方法はないのだろうか?

銀行からの借入金は、僕にも返済義務があるんだろうか?

何より、これからど~しよう?

将来? 何したらいいんだろう?

色んなコト考えると、頭が痛くなってくる。


明日からの3連休は、例のSMの館へ、綾乃さんに強制連行される。

とにかく、あそこには行きたくない。

何かイヤなコトばっかりだ。


母親との「高校だけは卒業する」という約束を守るため、とりあえず通信制高校に顔を出した。

当然、テキストやレポート関係など全部失ったけど、

学校側の好意で後日一式を揃えてもらえることになった。

あとは学費。

さすがに、学費免除とかは無理のようだ。でも、支払うだけのお金は持ってる訳ない。

ただ、こういう事情なので、数ヶ月は待ってもらえることになった。



あと、色んな手続き関係・・・ 何をやったら良いのか全く分からない。

普通は引越しすると、まずは住民票を移すことから始めると綾乃さんに教えてもらったけど

別に引越し(?)た訳じゃない。

とりあえず、一時避難(?)だもん。

何より、住んでた町の役所が機能してるとも思えないし。

あと、病気になったときの健康保険とか、どうなるんだろう?


家は全然裕福じゃなかったけど、多少の貯金はあるかも知れない。

当然だけど、そういうのって母親が管理してるから、子供の僕に分かるはずもない。

勿論、家ごと流されてるんだから、通帳とか見つけるのは無理。

(何より、今は東京に居るし)

ただ、やっぱり生きていくのには、お金が必要・・・



今回の震災被害者は、国から何か手助けしてもらえるんだろうか?

もう、全然分からないコトだらけだ。

やっぱり役所に行って聞いてくるのが、一番なのかな?

でも、ココ東京の役所で聞いて教えてくれるのだろうか?


綾乃さんは、「気兼ねしないで、ずっと居ていいよ」と言ってくれるけど

何ヶ月もココに居候してる訳にもいかないと思う。

(こんなコト書いても、どうせ後で綾乃さんもこのブログ読むんだけど^^)

う~ん、17歳の僕が独りで生活していくことって、出来るんだろうか?

これが一番の疑問だ。


今までずっと頼って生きてなんだなぁ・・・って思う。

親のありがたさ。

失って、初めて分かる。

学校とかで、何があっても僕の見方だった。

親孝行なんて、一つもしなかった。

でも・・・ 17年間育ててくれて、ありがとう。

今回の震災で、本当に何もかも無くした。

生き残ったのに、こんなコト言うと不謹慎と思われるかもしれないけど、生きる希望も無くしてた。


震災当日は、バイト中だった。

大きな揺れの後、津波が来てると知らされ、社員の車に乗って逃げた。

本当に緊急だったので、ロッカーには鞄や携帯も置いたまま。

自分で運転してないから何処に走ってるのか分からないけど、皆が集まってる場所まで逃げた。


町が津波に飲み込まれてる・・・  悪い夢でも見てるかのよう。

実際に目の前で起こってるコトが、現実として受け入れられなかった。



家(賃貸アパート)のあった場所も含め、確認できないけど周囲は壊滅状態。

母親とも連絡が取れないまま。

持ってる物は、今来てる服とポケットに入ってる財布、あと腕時計だけ。

情報も全く入ってこなかったのも、不安だった。

今回、壊滅的被害を受けたのはココだけじゃなく、

岩手・宮城・福島の全域が被害と知ったのは2日後だったし。

原子力発電のコトは、もっと後だ。


あと、母親の安否の確認が全く取れなかったが一番心配だった。。

最悪のコトは考えたくない。

それよりも先に、別の町に住んでる祖父・祖母の死亡が確認された。

交通網が遮断され現地には行けないけど、死亡欄に名前を見つけたときには涙が出た。

それから数日後、母親の死も確認した。


その後どうしたのか、自分でもよく覚えていない・・・

体は生きてるけど、心は死んでた。

避難所で何をしてたのかも分からない。

たぶん、考えるコトすら、したくなかったんだと思う。


「立ち上がる」

簡単そうに思えるこの行動が、どれほど大変か身に染みて理解できた。

ハッキリ言う。今の僕には無理!と断言できたもん。


でも、同じ町内とはいえ、全く見知らぬ避難所の人達や

自衛隊、ボランティアの方々が懸命に動いてくれる。

そんな自分に出来るコト。

・生きる

・立ち上がる

・前向きに進む

この3つを、自分に言い聞かせた。



母親の埋葬も見届けたし、この町に留まる必要は感じない。

中学・高校のイジメで嫌な思い出しかないし、

通信制高校を東京にしたのも都会に行きたい想いからだ。

だけど、行く当てなんて全くない。

更に、お金もない。


ただ、お金は一時金として3万円を手にすることが出来た。

(ホントに一時的なもんだけど、無いよりマシ)

身寄りは全くなくなったけど、東京に遠~い親戚が居るから、とりあえずココを頼ろうと思ってた。

子供の時(今も子供か?^^)に1回会ったのと、

東京でのスクーリングの時に1度泊めてもらったきりだけど。

でも、同じ東京でそこに行くくらいなら、綾乃さん家の方が居心地が良い。

ただ、携帯も無いからメールも電話もできない。勿論、連絡先なんて覚えてる訳ない。

やっぱり直接行くしかないなぁ・・・  

断わられたら、親戚の家を当たろう。(親戚の方もアポなしだけど)


そんな訳で4月6日、行き当たりバッタリの旅に出た。

17歳の春である。


結論から言うと、断わられるコトもなく、綾乃さんは歓迎してくれた。

僕の住所は知ってるから、ずっと心配してくれてたようだ。

電話も通じないからと、何度も携帯やPCにメールしてくれてたとのこと。

(履歴を見せてもらうと、毎日メールしてくれてた)



で、今は東京に避難(居候?)しています。

全部失ったと思ってたけど、このブログだけはちゃんと残ってた。

(自分のPCで管理してる訳じゃないから、当たり前か)

綾乃さんのPCからアメーバ・ブログを開くと、

僕のコトを心配してくれる人から何通かメッセージが入ってた。

ただ、まだ直接のメッセージをやりとりする気持ちじゃないので、ここでの報告に代えさせて下さい。

ごめんなさい。



3月11日午後、僕の住む町は東日本大震災の大津波で一瞬にして壊滅した。



今までの日常が、一瞬にして無くなった。

夢なら覚めて欲しいって、何度も思った。

だけど、毎朝見る風景は変わらない。


帰る場所も失い、何をすべきかも分からない。

自分の中では、何も整理できていない。

独りで生きていく価値も見出せないまま。

「死んじゃいたい」って、ずっと思ってた。

生き残った者には「生きる義務がある」と誰かが言ってたけど

僕はそんな強い人間じゃない。


現実を受け入れるコトができない日々が、何日も続く。

無気力に、ただ惰性で生きてるだけ。

僕の存在価値なんて、実際そんなもんだ。


災害地では、自衛隊の方や役場関係、ボランティア、被災者も含め

本当に多くの方々が精一杯活動している。

どうして、そんな他人のために一生懸命になれるんだろう? と、ずっと思っていた。

でも、「誰かのために何かをする」という、ごく単純なコトに、理由なんて必要なかった。



人には、それぞれ役割があるはずだ。

生きてるからこそ、しなくちゃいけないコトがある。

そんな今の自分にできるコト。


・まずは、立ち上がる

・そして、前向きに進む


簡単そうに思えるけど、僕にとってはとても大切で、大きな意味を持っている。



震災から1ヶ月。

何も無い零からのスタートだけど、小さな一歩は踏み出してます。

3月14日は平日なので、アルバイトは休みにしてます。

勿論、松本さんと一緒に過ごす予定なのだ。


ちなみに、バレンタインデー当日は東京へ行ってたので、

その前にチョコレートを渡してる。

手作りなんて、気の利いたモノじゃないけど。


で・・・ その日に、僕の病気のコトを打ち明けるつもりでいます。

松本さんなら、きっと理解してくれると思うから。(何の確信もないけど・・・)

それでも綾乃さんとの関係や、東京でされた内容とかはやっぱり言えないし、

これからも秘密にすると思う。

黙ってた方がいいコトだって、やっぱりあるから。


とりあえず、少し前向きに一歩前進だーっ!



あと、前回のブログを書いた後に、何人の方からメールを頂いた。

(こんなブログを読んでる人、居るんだ~)

とても励みになったし、応援してくれる人も居た。

僕のコトを心配してくれて、すごく嬉しかった。

こういうの読むと、「あぁ、僕って一人じゃないんだ」って、幸せな感じになりました♪

応援してくれた人、ありがと~