いろんな思いがありながら...東京での新生活が始まる。
岩手はもちろんまだまだ震災からの復興に時間がかかる。
がんばっている人たちがたくさんいる。
岩手で仕事をすることも考えたが、東京主体の生活に決断した。
当面はマンスリーでの生活で、岩手とも関わっていくつもり。
がんばんなきゃ。
いろんな思いがありながら...東京での新生活が始まる。
岩手はもちろんまだまだ震災からの復興に時間がかかる。
がんばっている人たちがたくさんいる。
岩手で仕事をすることも考えたが、東京主体の生活に決断した。
当面はマンスリーでの生活で、岩手とも関わっていくつもり。
がんばんなきゃ。
未曾有の大地震、大津波からもうすぐ3週間。
地震のニュースはブダペストの日本人宿で見た。
UstreamでのNHKニュース。
信じられない映像が続き、目が離せなかった。
今の部屋は岩手の盛岡。
その前は宮古にも3年住んでいた。
岩手沿岸には友人知人もたくさんいる。
みんな無事であることを祈る。
仙台には父や兄がいる。
幸運なことに家族はみな無事だった。
地震の3日後から3週間キューバに行くつもりだった。
しかしいざというときのためにはキューバよりヨーロッパのほうがいいと思いキューバ行きはキャンセルした。
日本への帰りのチケットは4月19日パリ発だった。
しかしそれまでどうしたらいいのか何をしていいか分からなかった。
スイスに住んでいる盛岡出身の友人のところに身を寄せた。
引きこもりに近い日々を過ごした。
そんな状態の俺を暖かく見ていてくれた友人にはとっても感謝する。
日本に帰りたい、帰らなきゃいけないという思い。
あと一ヶ月をどうすべきか考えながら様子を見ていた。
というよりは動けなかった。
というより動かなかった。
情けない、、、
もうその時点で、というよりは地震、津波が起きてからは、旅を楽しむことはできなかった。
日々インターネットでニュースを見ていた。
徐々に交通も再開され盛岡にも帰れそうな状況になった。
被災地の状況はいまもきっと大変なはずである。
世界中の人々が日本のために祈り支援をしてくれている。
俺は何をしているんだろう?
今パリにいる。
帰りのチケットの変更をした。
4月2日にパリを出て4月3日に日本に着く。
なぜにもっと早く帰る決断を下さなかったのか、ただ無為な時間を過ごしていた自分が情けない。
帰る日を変更してからは気持ちがすこしすっきりした。
じたばたしても仕方がないのでパリの数日間を楽しむことにした。
数年前に旅仲間が集まったときの友人がパリに住んでいる。
彼女と街を歩いて美味しいご飯を食べた。
サンティアゴ巡礼で出会った素敵なカップルもパリにいる。
彼らとも再会してビールを飲み語った。
そして最後の2日は彼らの家に行く。
宿で会った韓国人たちと遅くまで飲み語り合った。
宿で会った日本人の学生のお父さんはアフリカで医師として働いているが今は仙台に医療支援に言っているということを聞いた。
久々に楽しい日々を過ごすことができている。
しかしもちろん日本のことは頭から離れない。
日本に帰ってからは東京に移住しようと考えていた。
でも今は白紙。
とにかくすべては帰国してから。
今すぐに何をできるのかは分からない。
でも今は日本に帰りたい思いでいっぱい。
だから、大好きな日本に帰る。
セビーリャはめちゃ都会だった。
俺にはあまり魅力的な街ではなかった。
ただ本場のフラメンコは感動した。
古い建物の中庭で約1時間のタブラオを観た。
ギターと歌が始まった瞬間鳥肌がたった。
その日のメインは男性のダンサー。
アントニオバンデラスをすっきりさせた感じ。
めちゃめちゃセクシー。
黒のスーツに真っ赤なエナメルの靴。
ステージに上がる瞬間のしびれるような動きと目線。
激しい情熱的な踊り。
これだけでもセビーリャにきたかいがあった。
翌日はサッカーを観にいった。
セビーリャ対マラガのアンダルシアダービー。
正直つまらない試合だった。
まあスタジアムの雰囲気を楽しめたからよかったとしよう。
セビージャからポルトガルのラゴスという町に移動。
小さな海辺の町。
ローシーズンでちょっとさみしいけどいいところ。
ハイシーズンはすごくにぎわうんだろうな。
シーフードうまいっす!
ここではモロッコからスペインに旅をともにしたKAORIさんと再会。
ユーラシア西南端のセントヴィセント岬に行ってきた。
沢木耕太郎さんも行った場所。
よかったっす!
明日はリスボンに行ってトルコで会ったJINと飲むぜ!
モロッコのエッウィラの後はマラケシュを経て砂漠の町メルズーガへ。
サハラはさすがに雄大!
多くの日本人といい時間を共有できたし、らくだツアーにも行って来た。
メルズーガの後は古都のフェズをとばしてシャウエンという青と白の小さな町へ。
ここでは奇跡的な再会が!
約2年前にインドのジャイサルメール、クーリーで出会い、数日一緒に遊んでいたまこと君けいこちゃん夫妻とホステルでばったり会った!
彼らは一時帰国はしたものの旅を続けていた。
アジアカップサッカーの決勝を一緒に見て、ダブルの喜びをあじわいつつ、夕食をともにした。
短い再会だったがまたきっとどこかで会えるさ!
シャウエンからタンジェへ移動しおいしいシーフードに舌鼓を打つ。
ここまで来るとだいぶヨーロッパの香りがしてくる。
ジブラルタル海峡を船で渡り約半年ぶりにスペインに再上陸。
アルへシラスをスルーしてマラガ、マラガから白い村ミハスプエブロへ。
ミハスプエブロ、、、日本人観光客もたくさん訪れる小さなかわいい村。
ローシーズンの今でもたくさんの観光客が日帰りで来ていた。
俺はこの村の素敵なおばあちゃんの宿にチェックイン。
ベッドルームが2つにキッチン、バスタブ、ランドリーつきのバスルーム、もちろんリビングもある。
ファミリーで住めそうな部屋を使わせてもらった。
たまにこんな贅沢もいいさ。
(とはいってもそれで35€)
とっても優雅で素敵な時間を過ごすことができた。
しかしいくつかの笑えるトラブルが発生。
バルコニーで夜景を眺めているとあけていたドアが風で閉まって、なおかつ鍵もかかってしまった。
そう、バルコニーに締め出されたのだ。
一瞬何が起きたかかわからずボーゼン。
どの窓も鍵がかかっているし、天井が高いので下に降りることもできない。
どーしよう!
ふと隣を見ると明かりが見える。
掃除用のモップで窓をたたき助けを呼ぶことにした。
品のいいおばあさんが不審そうに出てきてくれたが、状況を理解してくれてオーナーのおばあさんを呼んでくれた。
バルコニーを超えて隣の部屋を通らせてもらい、合鍵で無事生還。
隣に人がいなかったらどうなっていたんだろう?
食事は近くのバルでとっていたが、このバルがとってもよかった。
地元の人しかいないバルで、安くてうまい!
タパスつきの小ビールで1.1€
ここでもちょっとしたハプニング?が。
このバルで一人のじいさんに会う。
イギリスからこの村に来て23年という自称絵描きさん。
昼も夜もこのバルであっていろいろ話をしていたが、、、、
酔っ払ったジイサンが俺を誘い出した。
「一緒にベッドに行こう」「お前はセクシーだ」などなど、、、
そう、彼は同性愛者だったのだ!
もちろん丁重にお断りをした。
翌日再会して少しおしゃべりをしてサヨナラ。
この村には2泊した。
日帰りの人が多い村だが絶対泊まるべき村!
また訪れたい村である。
後ろ髪を引かれつつこの村を後にして、ロンダという町へ移動。
ロンダに一泊していよいよセビージャへ!
このあたりも2週間くらい前までは天気が悪かったようだが俺がスペインに入ってからは晴れの日が続いている。
夜は寒いけど日中は半そででもいける。
やっぱりアンダルシアには青い空がいいね!
モロッコはカサブランカの空港に早朝?深夜?に到着。
そのままの足でマラケシュまで移動。
モロッコのガイドブックを持っていなかったこともあり、マラケシュでは日本人宿に滞在。
女性経営でスタッフも女性、とっても清潔でかわいらしくまとまった宿だった。
とっても居心地がよく、安心感もあった。
宿泊者も南米、ヨーロッパとすでに3年以上旅しているチャリダーや、グルジアで働いている料理人や、イギリス在住の日本人カップル、フランスで12年がんばっている建築デザイナー、スイス人と日本人の素敵なカップル、、、などなど素敵で多彩な面々。
こんな日本人宿もいいね。
そしてみんな世界を相手にがんばっていてとっても刺激を受けた。
マラケシュの宿に大きな荷物を預けて大西洋沿いのエッサウィラという小さな町にショートトリップ。
ここはポルトガルの影響が強く残っていて、建物はコロニアル風。
メディナという城塞があるこじんまりした街。
(たしか世界遺産)
そして、、、なんといっても魚介類が豊富!
このあたりの海は水温が低くて身がしまってるとのこと。
着いた夜にさっそくローカルのフィッシュマーケットに行き、アジとイワシを購入して隣接している食堂(レストランとは到底言えないつくり)で焼いてもらう。
美味!
若干ぼられたけど。
二日目、お昼少し前に港まで散歩。
たくさんの漁船と漁師さんと、買いに来た人たちで活気にあふれていた。
アジやイワシ、ツナ、太刀魚、エビ、タコ、イカ、それにシャコまで。ウツボのような魚やアンコウ、エイも食べるみたい。
同じ宿に泊まっている韓国人パッカーのキムと偶然会って、海辺を散歩した後で再度フィッシュマーケットへ。
今度はイワシとエビ。
やはり美味かった!
同じ轍は踏まずに適正価格で食べることもできた。
その次の食事はイギリス人とカナダ人とともに比較的こぎれいなレストランへ。
ここでは魚のタジンを注文。
サバと野菜の蒸し煮といった感じかな。
やはり身が引き締まっていてとっても美味しかった。
マラケシュの宿のオーナーに醤油とご飯があれば言う事ないよって言われてきたけどまさにそのとおり。
あと箸と焼酎でもあれば最高なんだけどね。
ここのあとはマラケシュに戻って、その後はサハラに向かう予定だから、ここでは魚介を食べまくろうと思っている。
エッサウィラ、いいところです。
ところで旅人の間では世界3大うざい国(人)はインド、エジプト、モロッコとの話がまことしやかに流れているが、モロッコは全然そんなことはない。
もちろんときどきは声はかけられるけど。
まあ俺の中ではエジプトがワースト1であることは間違いないね。

meals
jump...but not on the top
sunrise on newyear day
sunrise on newyear day2
peace from HIROSHIMA on the top
top of Africa with my friend
from the top
maybe "inpassion kilimanjerica" .unique flower in Mt.Kili.
unknown flower
a lot of climbers
sunset
sunrise?sunset?
sunset with climbers
あけましておめでとう。
いまさらながら、、、
12月28日にキリマンジャロ登山を開始。
5泊6日のマチャメルートというルートを選択。
テント泊で景観が美しく、上り下りがあるので高山病になりにくいとのこと。
初日と3日目に雨に降られ心が折れそうになりながらも歩き続ける。
実際は3日目までの道はさほどきつくなかったが、、、
4日目は朝から歩き始め午後にベースキャンプに到着。
BCは焼く4600mくらいだったかな?
休憩と夕食と仮眠の後で夜中の11時半に山頂へアタック。
高山病は軽い頭痛くらい。
しかしほとんど仮眠もできず極寒の中を歩き、山頂への道はかなり傾斜が急。
しばらくするとあちこちからHappy New Yearの声が聞こえる。
新年はキリマンジャロ山頂へのアタックの途中に迎えた。
目標地点は5895m。
徐々にフラフラ感がでてきて、しかしなかなかたどりつかず、厳しい道のり。
歩くこと6時間くらい?ようやく山頂近くのステラポイントに到着。
その後初日の出を見ながらてっぺんのウフルピークへ。
やーっとの思いで登頂!
ウフルピーク近くで泣きそうになったが結局到着したときはほっとしたのかなくどころではなかった。
途中もすばらしい景色があったがてっぺんの景色はまた格別だった。
この日はなんと約700人が登ったらしい。
何人が登頂に成功したかは不明だがおつかれさん。
きっと今年はいい年になるさ。
山は登ったら降りなきゃならない。
下りがまた大変。
BCまで寝不足と空腹でフラフラになりながら、ガイドに支えられ(というよりは引きずられるように)たどり着く。
さらに休憩の後3100m地点まで降りる。
この2日間はマジでしんどかった。
最終日は体力も回復し無事に昼前に下山。
登ってるときや下山直後はもう二度と山なんか登るもんかって思ったけど、、、今になればホントにいい経験と思い出で、きっとまたどっかの山に登るんだろうなって思う。
キリマンジャロのあとはタンザニアのザンジバルという島に行き、その後ナイロビ経由でエジプトのアレキサンドリアに戻ってきた。
途中この旅二回目のIpod盗難にあい、凹むというよりあきれてしまい、ナイロビのdutyfreeでラップトップを購入。
またアレキサンドリアからカサブランカ行きの飛行機のスケジュール変更で2日足止めをくらった。
いくつかのトラブルもあるが何とか今晩モロッコに行けそう。