大黒埠頭
昨日は、野球の試合で埼玉県・三郷まで行きましたが、芳しくない結果だったため、
日記にする気もなく、就寝。(昨日のコースはこちら 。約60km。)
本日は東京も晴天で、GW最終日を満喫されたローディも多いのではないでしょうか。
私も今日は午後遅くからでしたが、外に出ることにしました。
目的地は、横浜の「大黒埠頭」。
なんとなく、夕日を見に行きたくなりました。
これまで車では通ったことはありますが、自転車歴が1年にも満たない私は、
自転車で行くのは初めて。サザンの歌にも出てくるし、海辺?はちょっとお洒落な
ところなんかなぁ~?と想像を膨らませて出発です。
まずは、国道1号(第二京浜)を南下し川崎方面へ。
それから、国道15号(第一京浜)に入り、生麦まで。
遅めの午後ライドで西日が結構きついです。
しかし、都会のこのあたりは、交通量も多く、排気ガスもひどいので、あまり
楽しいポタリングにはなりにくいですね・・・。
生麦の大黒町入り口から、大黒埠頭方面へ。ここからは海に向かってひた走ります。
このあたりには、ローディの姿はほとんどありません。
大黒大橋が見えてくると大黒埠頭はもうすぐです。
大黒大橋からMM21方面を望むと・・・。
もう結構日が傾いてきました。先を急がねば(汗)
余りに人がいないので不安になりましたが、埠頭の突端まで行くと、つりを
する人向けの公園になってるんですね。ここが今日の最終目的地。
ふと振り返ると、ベイブリッジがすでに背後に回っていました。
こんな間近にベイブリッジを見るのは初めてです。
スカイウォークというのがあったので、きっと歩いて渡れるんでしょう。
自転車はどうなんでしょうね。輪行バックがあれば入れてくれるんでしょうか。
↑しっかり駐車場もありました。
最終目的地、「大黒海づり公園」でしばし休憩。いつもどおり、途中で買った缶コーヒーを
プシュっと空けてグビグビと・・・。
毎回思いますが、ポタリングってほんとにお金がかかりません。
自転車買うのにはお金かかりますが、当然ながら車の比ではありません。
ガソリンも食わなきゃ、高速料金も要りません。今日はここまで缶コーヒー代120円。
エコノミカルでエコロジー。東京に住んでいる限り、もう車を買うことはないのでは
ないでしょうか。これまで駐車場代に3万も、4万も払っていたのが、アホらしくなってきます。
ただ、都会ポタでは排気ガスをふんだんに吸わされるため、健康面では一長一短でしょうか・・・。
さて、「大黒海づり公園」で海を眺めているうちに日が暮れてきました。
公園をブラブラしていると、釣り人達はさらに突端の「つり場」?で釣りをしているようです。
覗いてみると、入場料100円。まぁこの位の出費は・・・、とお賽銭感覚でお支払い。
多くの釣り人が釣り糸を垂らしている「つり場」にお邪魔してみました。
ところが・・・この「つり場」に入って大正解!きっとこのあたりで1番いい眺めですね。
ベイブリッジの向こうに、GW最終日の夕焼けが、美しく、そして少し儚げに沈んで
いったわけです。
んー。いいですね、大黒埠頭。
ある太公望は、「今日はイカが釣れてね~。」とご機嫌でした。
東京湾でもイカが釣れるもんなんですね。
GW最終日、サザンでも、お洒落でもなかったわけですが、
なんとなく落ち着いた気分になった、そんな大黒埠頭ポタでした。
走行距離:50kmくらい
今日のコース:こちら
お台場
天気もまずまずの今日は、気分転換も兼ねて、久しぶりにポタに出掛けることに。
石巻でのボランティア後、用事があっての自転車は何度かありましたが、ちゃんと?
乗るのは久しぶり。明日、ちょっと距離を走る予定なので、足慣らしも兼ねて。
まずは、自宅を出発し、鈴が森あたりから、海岸通りへ。
「海岸通り」と言っても海を見ながら走れる訳ではなく、高速道路の下をトラックに
轢かれないように走る・・・( ̄_ ̄ i) 決してお勧めのコースではありません。
途中、東京海洋大学(旧水産大学)などの脇を通り、レインボーブリッジのたもとに。
レインボーブリッジは、自転車通行不可、なんですよね。ほんとにもったいないと思います。
この橋を自転車で駆け抜けたら、どれだけ気持ちいいか・・・
夢は膨らみますが、まず実現しなさそうです・・・。
芝浦埠頭から、対岸のお台場を望むと、結構フジテレビは遠く感じます。
日の出桟橋、竹芝桟橋と続き、築地を抜けて、勝鬨橋まで。
時間もあるので、勝鬨橋の真ん中がどうなってるのか、観察してみました。
ここは、昔は大きい船が通ると橋桁が開いていた、と、昔「こち亀」に書いて
ありました。
んー。今はがっちりと閉まっています。(当たり前か。)
そして、今日のお昼は、豊洲。「太陽のトマト麺」というお店。
チェーンで新宿のルミネ ミロード m(_ _)m にも入ってます。
個人的には、大好きなので、たまーに新宿のお店は行ったりします。
お腹一杯になったのち、有明を通り、今日の目的地、お台場へ。
お台場は、過去何回も来てますが、自転車で来るのは初めて。
初めてついでに、今まで踏み入れたことのない、「台場公園」に
行ってみることにしました。
お台場は、江戸幕府が黒船襲来に備えて「砲台」を設置したことからついた名前
というのは知ってましたが、実際に「砲台」を見たのは初めてです。
実際お台場に行く人のうち、「砲台」に見に行く人って殆ど居ないんじゃないでしょうか・・・。
対岸にフジテレビもばっちり。
これで黒船をやっつけようと思ったんでしょうね。
ここは訪れる人も少なくて、静かで眺めもいいので、ちょっとお気に入りの
スポットを見つけた感じです。
台場公園からお台場をぐるっと周回するような感じで、突端の「暁埠頭公園」へ。
ここが最終目的地。殆ど人はいません。トラックの往来はかなりありますが。
この埠頭からは、地下にトンネルがあって、対岸の埋立地には、
「不燃物処理場」
があります。東京中(かどうかは知りませんが)の不燃物がここに集まって、
埋め立てられてるかと思うと、なんだかどんよりした気分になります。
見たくないものは、視界の外に置いてしまっているんですね、僕ら。
ゴミ処理場と愛車Escape号
写真をパチパチ撮りながらだったんで、結構いい時間になってしまいました。
帰りは、写真も殆ど撮らず、晴海大橋を通り、銀座から第一京浜をすっとばし、
帰宅。第一京浜は、信号もあり交通量も多いけど、道幅が広いので、あまり
後ろを気にせず自転車こぎに集中できました。最後はちょっとトレーニング
できたかなぁ。
銀座もこれからはもうこの程度の明るさでいいと思います。
リフレッシュのつもりでお台場でしたが、やっぱり色々考えてしまうポタリングでした。
走行距離:55.1km
今日のルート:こちら
東日本大震災 石巻でのボランティア
そもそもブログを書こうと思ったのは、自転車で行った色んな場所の記録を残して置きたい、ブログ等を通して出会った「自転車乗り」の方々との交流の場を作りたい、と思ったからです。
チャリンコが盗難の被害にあってから半年ほど自転車に乗ってなかったのに、自転車通学の為に、Giant の Escape3.1を購入してからというものの、すっかり自転車にハマってしまい、すぐロードバイク購入を考えました。
そして、3月。そろそろロードバイク購入へ・・・と思っていた頃に、東日本大震災が起こりました。
TVや新聞で見る光景には、勿論他の人と同じように、動揺し、心が苦しくなり、募金や節電を心がけました。
家を出るときには、電気のブレーカーを落とし、冷蔵庫には生ものを入れなくなりました。
それでも、何もしていない、何の役にもたっていない自分に腹がたちました。
「出来ることをやろう」
TVではそう言ってましたが、何か変じゃないですか?誰かが僕を騙してないですか?
「出来ることはやる」けど、それ以外はやらない、ってこと?
「出来ること」って自分で線引きしていない?
その向こうに、「ほんとにしなきゃいけないこと」があるんじゃない??
何か、色んなことが嘘っぽく感じました。
「自分がやるべきこと」はTVの前で嘆き悲しむことではないはずです。それじゃ1円の価値もありません。
じゃあ、自分は何をする?答えはシンプルに、現地で働くことです。
ネットで現地にボランティアを派遣しているNGOを発見し、説明会に行きました。
目的地は宮城県・石巻市。震災の影響が最も大きい町のひとつです。
出発が決まってからの一週間は、怒涛の日々。
後輩から、バックパック、ガスバーナー、テント、寝袋などを借り、水・食糧を調達し、電池、ライト、防寒具・・・。
必要な道具を何も持っていなかった自分は、色んなものを調達しなくてはならず、またメンバー間の調整も必要
でした。
石巻には、バスで向かいました。1週間の現地での活動。
ボランティアの活動は、報道でも十分伝わっていると思います。自分も心身ともに疲れました。
現地では、ケガ・病気、破傷風、有害物質を含んだ埃・・・色んなものに警戒しながらでしたが、自分なりに復興のお手伝いが出来たと感じました。
問題は帰ってきてからでした。
体力的には大丈夫だったのに、気持ちがすっかり弱ってしまいました。
直接的に被災していない自分がそんな事をいう資格はないですが、何もやる気が無くなってしまいました。
「被災地の現実」と「東京の現実」
余りのギャップに、東京に帰ってきたことを少し後悔しました。
そして、あれほど毎日乗っていた自転車も、何だか情熱が薄れてしまいました。
自転車だけではありません。
日常の色んなことが、「必要のないこと」のように思いました。
被災地では、「生きるために必要なこと」が大事でした。
だから、「生きるために必要の無いこと」の意味が分からなくなりました。
そんな「喪失感」から数日間はボーっと過ごしていましたが、日常は動き出し、自分自身が東京で「やるべきこと」も増え、少しずつ「社会復帰」していきました。やはり時間は大切です・・・。