【刀工権田政重屋敷跡】
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評価
別 名: ―――
所 在 地;高崎市倉渕町元村195-1
築城年代: 戦国時代
築 城 者: 権田政重
区 分: 屋 敷
現 状: 宅地・耕地
戦国時代、刀鍛冶である権田政重によって築かれた。
『加沢記』によると、永禄5年(1562)、岩櫃城主・斎藤憲広は鎌原氏の要請によって出陣した武田信玄によって攻められて降伏するが、その後、上杉謙信の援助を受けて鎌原氏を攻めた。
この時、斎藤憲広は権田政重の打った矢の根一千と熊皮二枚を謙信に献上している。
永禄6年(1563)、再び武田信玄は岩櫃城主・斎藤憲広を攻め、斎藤方の大戸城主・大戸真楽斎は武田氏に降っている。
真楽斎は弟である大戸但馬守重勝を武田方の将である矢沢綱隆、真田昌幸両名に権田政重の打った矢の根二百宛を贈呈している。
政重は刀鍛冶としてだけでなく、矢の根のような様々な武器を打っていたことがここから分かります。
政重の系譜は江戸末期まで続き、刀銘は古刀期の『政重』、江戸期の『金重』の銘が伝わる。
蟻川若狭守は政重の系譜を継ぐ人物であり、北毛の鍛冶職人を統括している。沼田藩主の土岐氏や川越藩主の松平氏に仕えて鉄砲鍛冶として活躍しています。
以上のように刀鍛冶として政重は活躍したようなのだが、この地は古くから冷水であり、余りの水の冷たさに刀が打てなかったという伝承も残る。
屋敷跡の遺構は皆無であり、案内板のみが屋敷跡であることを伝えている。
(参考資料)
信濃をめぐる境目の山城と館 上野編 宮坂武男 戎光祥出版
現地案内板
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わ廣文)
草むらから はぁ 射つだんべぇ
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