【白山古墳;あれっ、畑の邪魔な大石退けたら古墳?(群馬県前橋市)】 | 徳川わ廣 のブログ

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【白山古墳(群馬県前橋市)】
日本史跡研究会々長blog紹介

http://blogs.yahoo.co.jp/tsjqu183/14584441.html
2017/1/2
書庫群馬県の古墳

  所在地・ 前橋市苗ヶ島町1659



 昭和13年(1938)発行された『上毛古墳綜覧』にも古墳として記載されてないかった。

 昭和29年(1954)、耕作者が耕作に邪魔な大石を除けようとして、遺物が出土したことから群馬大学が調査することとなった。それまで全く古墳として認識されていなかったことになる。



 群馬大学の調査では、横穴式石室の一部が確認され、石室長4.3m、幅最大3.3mの胴張りを持つ平面形の大きな石室となると推定された。

 墳丘については、20mの円墳と推定されているが、詳細は不明である。埴輪は検出されず、葺石の存在も不明です。

 遺物から8世紀初頭の築造と推定されている。

 因みに古墳名称の由来は、明治42年(1909)までこの地に白山神社が祀られていたことに由来しています。
 遺物であるが、出土例の少ない和同開珎蝦夷有力者層との関わりのあると云われる蕨手刀、方頭太刀、飛燕型鉄鏃など特徴あるもの。

 これら副葬品は、白山古墳が奈良時代初期まで古墳として使用されたことを物語っており、東北支配の拠点として、上野地方を重要視し、新たな有力者層の再編がなされたことをうかがわせるものであり、古墳文化から仏教文化へと移り変わる時代の貴重な遺物であるとして、現在、奈良国立博物館に常設展示されています


 (参考資料)


群馬の古墳をある  前原豊・小島敦子 編           みやま文庫

  現地案内板

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