【赤坂見附門跡;日本史跡研究会長blog紹介】 | 徳川わ廣 のブログ

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御上 徳川わ廣
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赤坂見附跡(東京都千代田区) 
2016/5/24
書庫東京都の城館跡

【赤坂見附跡】    評価  

    別   名:     (江戸城)

    所 在 地: 千代田区紀尾井町1

   築城年代:寛永13年(1636)

    築 城 者  黒田忠之(※徳川家光)

    区   分       平 城

    現   状:      ―――




 江戸城三十六見附の一つであり、江戸城外郭門の一つとして、寛永13年(1636)、福岡藩主・黒田忠之によって桝形石垣が築かれた。

 寛永16年(1639)、御門普請奉行の加藤正直・小川安則によって赤坂御門が構えられた。

 明治2年(1869)、関所の撤廃によって赤坂御門も撤廃され、石垣の大部分が撤去されました。

 赤坂見附は敵の侵入を発見するために設けられた施設であり、二つの門が直角に配置される「桝形門」の形式を採っていましたが、現在はその一部のみが国指定史跡として保存されています。

 江戸時代の赤坂御門は、神奈川県の大山に参拝するための大山道の重要な地点であることから、江戸城の防御のために見附が築かれました。

 本来であれば、江戸城の遺構の一つでありますが…今なお残される江戸城の貴重な遺構でありますので、一つの記事として致しました。

 (参考資料)


日本城郭体系5埼玉・東京                              新人物往来社

城巡礼 東京48ヶ所めぐり                               東京地図出版

江戸城を歩く                  黒田涼                  祥伝社新書

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(わ廣文)

赤坂プリンスですなぁ

赤坂御門をば通らなければ江戸へ進めない


赤坂見附門写真