品のあるうんこの話

品のあるうんこの話

 子どもって「うんこ」の話って大好きです。目を輝かせて話します。

 私の小さい頃のあだ名は、「ためかつぎ」。みんながニコニコしながら言うので、いい気分だったのを覚えています。

 下品な話を品よく楽しく書きたいと思います。

Amebaでブログを始めよう!

 フンコロガシは、牛フンなどが落ちている場所から、餌の糞を競争相手に奪われないように、丸めてすばやく運び出す習性があるのだが、闇夜では、方向が定まらず、運ぶのが大幅に遅れるのだそうである。しかし、月がない夜でも、天の川の明かりを手掛かりに、まっすぐすばやく運ぶことができることをスウェーデン・ルンド大などの研究チームがプラネタリウムを使って実験した成果で、米科学誌カレント・バイオロジーに発表したらしい。
 
糞を奪い合うというのも不思議な話だが、私の家でも、「牛フン」をよく狭山市にある乗馬クラブにもらいに行く。良いたまねぎを作るのに欠かせないからだ。貰いに行く人は多いのだが、取り合いになることはない。生き物生き物で、いろいろな苦労がある。面白いものだ。

 

 昨日、某乳酸菌メーカーの方とお話しする機会がありました。このメーカーは、営業レディーが、一人暮らしのお年寄りの話し相手にもなるなど、社会貢献でも話題になっていますが、家庭教育にも、進出しているということで、驚かされました。

 「早寝 早起き 朝ご飯」というキャッチフレーズは有名ですが、このメーカーは、「早寝 早起き 朝ご飯 朝ウンチ」のキャッチフレーズを前面に押し立て、健康教育に取り組んでいるとのことです。

 私は、担任してた頃、うんちをしてきたかどうかを、毎日朝の会で確かめ、うんちを出してから登校するよう指導していました。それは、うんちが腸の中にたまっていると、腸壁からガスが吸収され、血管のなかに入り、脳まで到達するので、授業に集中できないという理由からでした。

 ところが、今日のこのメーカーのお話の趣旨は、お腹の健康をウンチでチェックということでした。毎日、ウンチを出して、健康をチェックしようということです。うんちの種類は、詳しくは述べませんが、元気な健康なウンチは、「バナナ状」で、かつ「半練状」であるとのこと。

 子どもたちは、ウンチの話はとっても喜びますが、興味本位だけに終わりにせず、健康のため、朝ウンチをし、ウンチで健康をチェックすることが大切ですね。 

この話題は、3回目である。栄和時代のTさんから年賀状が来て、この話題が書いてありましたので、触れたいと思います。

 昔、放課後の職場で「赤ちゃんは、かわいいもので、それは、赤ちゃんのウンチは食べられるくらいだ。」と、よく話しました。そのことを覚えていてくれたTさんは、年賀状に、そのことに触れていました。。Tさんの家では、待望の赤ちゃんが生まれたのですが、「うんちは、食べられません。」と書いてありました。Tさんも、昔の話のことを覚えてくれていたのかとうれしく思いました。「うんちは、食べられません。」という、コメントも、ほのぼのしていて、かわいいんだなということが伝わってきます。確かに「赤ちゃんのウンチは、食べられないと思います。」Tさんは、男ですので、ちょっと女性とは違うかもしれません。女の人は、自分のおなかを痛めた子であり、生まれてきた子がかわいくて、うんちも食べられるくらいと思うのだと思います。

 おととし、同じく栄和時代の同僚の女の先生からの年賀状がきましたが、「あの時、私が話していた気持ちがよくわかります。とってもかわいいです。」と書いてありました。

 我が家では、ここ15年ほど、赤ちゃんの話題がありませんが、やがて、孫の誕生もそう遠くないと思います。おじいちゃんとして、孫は、どんなに映るのでしょうか。そんな日が来るのが楽しみです。

 久々「うんちの」話です。韓国の童話です。前任校のK先生に情報をいただいたので、早速、ネットショッピングで購入しました。超感動です。「ぼくは、なんのやくにも たたないのかなあ。」ひとりぼっちになったこいぬのうんちのつぶやきです。

 失意のうちにいるこいぬのうんちは、ある雨の日、タンポポの芽に出会いました。たんぽぽのめは、「うんちくんが ぜんぶとけて わたしのちからになってくれることなの そうして、わたしは はじめて おほしさまのように きれいなはなを さかせることが できるの」「こいぬのうんちは、うれしくて うれしさのあまり、たんぽぽのめを両手で ぎゅっと だきしめました。」

「こいぬのうんちは からだじゅう あめに うたれて どろどろになりました。どろどろにとけて、つちのなかにしみこんだ こいぬのうんちは たんぽぽのねっこに あつまり、くきをのぼり つぼみをつけました。 」

そして、たんぽぽは こいぬのうんちのあいにかんげきし、「やさしく ほほえむ たんぽぽのはなには、こいぬの うんちの あいが、 いっぱい いっぱい つまっていました。」

 この童話には、歌もあるそうです。A小学校では、音楽会で演奏したそうです。今度、聞きたいなと思います。K先生、大変貴重な情報ありがとうございました。

今日、お口クチュクチュ「モンダミン」を買ってきました。歯垢付着による不快な口臭を速やかに予防しますとある。年をとったせいか、最近、においが気になるんです。

 さて、世間では、「加齢臭」などと言われていますが、年をとると自然に体内から、臭いにおいがするのでしょうか。自分では、このにおいがわからないから、やっかいなんです。私は、この原因が、当初「尿漏れ」「うんこもらし」にあるのではないかと思っていました。年をとり、【もう終わったつもりでも、しまってから、出てしまう。 また、知らないうちに出てしまう。】下着に付いたおしっこやうんこがにおっているものだと思っていました。もちろん、そうした理由で臭い人もいるようです。しかし、そうではないらしいです。

 

 

もう何十年経つだ゜ろうか。

愛犬「ダル」が、死んでから。

「ダル」は、悲しいかな、出っ歯だということで、ヨークシャーテリアでありながら、とても安価で我が家に来た座敷犬である。

座敷犬等というものは、お金持ちが飼うものとしか思っていなかったので、我が家の愛犬になったときは、家族中で喜んだのを覚えている。もうかわいくてかわいくて、「ダル」中心の生活を送っていたように思う。

そんな「ダル」だったが、しつけは、きちんとしようとして、テーブルの上へ乗ったら、鼻の頭をたたくとか、砂を入れた箱の中におしっこやうんちをさせるとか、教え込むのに大変苦労したが、できるようになっていたのである。

 しかし、食べ物について、深く考えることはなく、ほしがる物を、ほしがるだけあげていた。自ずと、味が濃い物をあげるようになっいったのである。

 そんな「ダル」であったので、何年かすると、病気になってしまったのである。物が食べられなくなり、やせ細り、ふらふらしながら歩くようになってしまったのである。

 そんなある日、「ダル」が死ぬ何日か前のことである。よろよろしながら、歩いていて、少し歩くと倒れ、また、やっとの思いで起きあがって、またよろよろ歩くのである。何をしようとしているかというと、うんちやおしっこをする箱の方へ向かって歩こうとしているのである。見守っていた、私たち家族は、「箱の中でしなくて言いよ。」と盛んに言ったが、そんなことわかろうはずはなく、必死に歩いているのである。すぐ、箱を「ダル」の方へ持っていってやったのだが、箱に入るやいなやドドッと倒れ込んだのである。

 その日の夜、「ダル」は。死んだ。おやじもおふくろも、私も、妹たちもみんなで泣いた。 


http://www.geocities.jp/tokky50/index.html

 わたしのあだなは、今は、トッキー

 自分で作って、みんなに呼んでもらって、なんとなく嬉しい気分になっている。

 トキオなので、トッキーなのだが、滝沢君が「タッキー」なのと同じである。

 私の小さいときのあだ名は、なんと「ためかつぎ」 人間の糞尿を桶の中に入れ、天秤棒の両はじにつり下げ、畑まで運んでいって、まくことである。

 なんで、このあだ名が付いたのかは、わからない。とにかくガキ大将のサブちゃんがつけたのだけは、はっきりしている。 サブちゃんは、あだ名を付ける名人だった。そのサブちゃんも、はやく亡くなってしまったので、今更、聞くわけにはいかない。残念である。

 私は、このあだ名が大好トきだった。今の子どもたちが、こんなあだ名を付けられたら、いやがるだろう。言い返したり、先生に言いつけたりするに違いない。

 私は、何で好きだったんだろう。それは、みんなが笑ってくれるからなのである。みんなが、笑いながら私のあだ名を呼ぶのである。もちろん、私は、汚かったわけでもないし、ためかつぎをしていたわけではないから、申告になるものでもなかった。

 私は、言われるたびに嬉しくなり、自分でも笑ってしまったほどであった。でも、女の子は、このあだ名を言わなかった。それは、この言葉を発するのが恥ずかしかったのではないかと思う。

 そして、このあだ名も、いつのころからか、言われなくなってしまった。中学生にもなると、男の子も、こんな下品なことには、興味を示さなくなったのである。

 先日、同窓会があって、みんなと久しぶりに楽しいひとときを過ごしたのであるが、このあだ名のことも、話題に出て、みんなで大笑いし、その場を盛り上げることができた。

 

「今日も、裏門のところにうんちがしてあります。」

毎週月曜日は、調理員さんから、こんな電話が飛び込んできます。

聞くところによると、毎年、秋が深まってくる頃に、我が社の敷地のフェンス近くに、ありがたくない物が置かれているとのです。明らかに、動物ではないのですが、一体どうしてなのでしょう。

とにかく、私は、一輪車にバケツとデッキブラシを持って出かけていきます。

晩秋のさわやかな朝の空気を吸いながら、せっせせっせと働く、私は、清掃マン。

 これは、徳川家康の肖像画だそうである。「狸親父」と言われる家康には似つかわない描写である。見方原の戦いで武田信玄に敗れた家康は、浜松城に逃げ帰るときに、戦いの恐ろしさのあまり馬上で脱糞をしてしまうのである。これは、その時の苦汁に満ちた表情を描いているのである。家康は、自分の戒めのために描かせたのだそうである。それにしても、隠すどころか、描かせるなんて、家康ってどんな人だったんだろうか。
徳川家康

 朝のさわやかな空気の中、校庭の芝生の上を歩いていると、「なんと うんこ」 「なんというこっちゃ」「だれだ。こんなところにうんこをさせる飼い主は。」「さわやかな気分がだいなしや。」

 芝生の校庭は、あたたかみがある。そして、子どもたちは、怪我をおそれず思いっきり動き回る。バランスボールを使った運動や遊びでは、不安定なボールの上に楽々と乗り、バランスをとる。落ちても、へっちゃら。「だっていたくないよ。」「擦り傷できないもん。」

 ところがである。スライディングしたところや落ちたところに、うんこがあったら、「こんなところで、遊ぶのいやだ。」「違うところへ行こう。」 天国から地獄である。

 飼い主のみなさん、どうか、芝生の上には犬に「うんこ」をさせないでください。「肥料は、いりません。10ー10ー10の化成肥料を定期的に与えていますよ。」(^人^)