妻の一周忌を終えたということで、このブログも最後の更新をしようと思います。

本当は、もっといろいろなことをお話ししたかったのですが、思い出す度に辛くなり、やはり、先を見据えて生きていかなければならないということで、今回をもって、最後としようと決めました。


ご覧なってくださった方、今まで本当にありがとうございました。


このブログは、消すことはしません。

何かの参考になる方がいれば、幸いと存じます。


ただ、このブログそのものは、僕自身、閲覧しないかもしれません。

そして、妻とのことは、心の奥底にしまって、新しい出会いにかけていこうと思っています。


もし、皆様からのコメントをいただいたとしても、もしかしたら見ないかもしれませんが、何日後、何か月後、何年後かに、再び訪れるときが来るかもしれません。

その時はよろしくお願いいたします。


最後に、今僕は、すごく元気で、晴れ晴れしています。

その気持ちを止めないよう生きていく所存です。



それでは、皆様、お元気で。


ありがとうございました。

1月に妻の一周忌と、母の三回忌を同時に行い、妻のきょうだい達が来てくれた。

更に先日の2月11日は、僕の誕生日であり、妻の命日を迎えた。


あの日から、もう1年たったのか、早いような感じがする。

一周忌の前は、妻が良く夢に出てきていた。

夢から覚めると、寂しい気持ちにもなってしまうが、すぐに現実と向かい合っていかなくてはならない。

先を見据えて、歩いていかなくてはならないのだ。
正直、妻の所有物等は全く触れず、そろそろ、一周忌も近付いてきた。

ちなみに、僕の母親の三回忌と同時に行う。

三回忌と一周忌を同時に行うのは良くないという話しが、妻の実家から出たが、資金面、時間の都合、何より、住職がそれでも良いと言ったのだから、そのやり方にした。


妻のことは、出来るだけ記憶から、外していきたいが、なかなか無理そうだ。

夢にも出てくるし。

寂しいとは思わないが、一人でいると、妻のことを思い出してしまうことが、ちょくちょくある。


とりあえず、近くに迫った一周忌を、やり過ごすことに専念したい。
先日テレビ番組で、GACKTさんが、こんなことをお話ししていたようです。


女の子と出会った時に、「この子と死んで別れるときに自分が泣けるのか?」ということをすぐ考てしまうと語るGACKTは、惚れる瞬間に相手に対して「『僕が死んで泣く方か、先に自分が死んで泣かれる方か、どっちがいい?』と聞いて、その答えを自分がイメージができるかどうか?結構そこは大切」と、自身の理想とする結婚・恋愛観を明かす。


実際体験してしまった僕は、これから恋愛には臆病になるし、当然、結婚とかしたくはありません。

そんな気持ちです。
僕の母親が亡くなったのは去年。

玄関で倒れていて、救急隊を呼んで、救急車で運ばれた。

妻は、母親を見ることなく、部屋の中に籠(こも)りっきりで、救急隊の声と、救急車のピーポーという音が、病院に向かうため、次第に遠くなっていくのを、ただ、聞いていたのだろうと思う。

そして、母親は生きて二度と戻ってくることはなかった。


妻の父親も、その前の年に亡くなっている。

妻としては、2年連続して、身内が亡くなってしまったのだ。


亡くなるというのは、普段から寂しがりな妻にとって、離れていってしまう辛さというストレスが、かかってしまう。

そして、僕の家の前は、ちょうど、病院につながる広い道路があり、救急車がけたたましい音をたてて、一日に必ず通過する。

その音が、そんなことを思い出させて、もっと辛いと話していた。


日頃のそういった積み重ねが、妻の死を早めたのだろうか。