カタール・ドーハは韓国と日本のサッカー代表の明暗が交錯してきた場所だ。1993年10月、ドーハで行われたワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選。韓国は脱落の寸前まで行ったが、日本がイラク戦で後半終了間際に同点ゴールを許したことから日本を上回り、劇的に本大会出場チケットを手にした。この出来事を韓国では「ドーハの奇跡」、日本では「ドーハの悲劇」と呼んでいる。
またドーハだ。韓国と日本のサッカー五輪代表チームは30日夜11時45分(韓国時間)、カタール・ドーハのアブドラ・ビン・カリファ・スタジアムで2016アジア・サッカー連盟23歳以下選手権(AFC U-23)の決勝戦に臨む。両国とも決勝進出した時点で既にリオデジャネイロ五輪本戦出場を決めているが、韓日戦は負けられない勝負だ。大韓サッカー協会は今回の日本戦での応援スローガンを「日本は韓国の優勝自販(JAPAN)機」に決めた(訳注:韓国語の自販〈=自動販売機、読み方はジャパン〉と英語で日本を意味するJAPANが同じ発音・表記になることをかけたもの)。
(朝鮮日報 1/30)
日本と韓国がリオデジャネイロ五輪本戦出場は既に決めましたが、それ以上にこの日韓戦に韓国マスコミは大騒ぎをして煽っています。
日韓戦になるとどんな種目でも単なるスポーツとしてでなく、歴史問題、政治問題まで絡ませてやたらとマスコミに煽られ、本当に国中がカッカとエキサイトするので試合をする選手や監督に掛かるプレッシャーは半端でありません。
韓国社会が激しい競争社会なので、そこには「勝者と敗者」しか存在せず、勝者は称えられても敗者は「落伍者」として屈辱に耐えねばなりません。
それ故に、勝敗に拘るしかなく、勝たなければ何の意味も持たないんですよね。
今の韓国社会はそれが極限まで行っていますからスポーツマンシップなんて何の価値も無くなってしまいました。
全力を出して戦った相手を称える精神的余裕が無く、勝っても負けても過分な自己顕示か自己嫌悪(または責任転嫁)しかないんですよね。
冷静であるべき大韓サッカー協会までも「日本は韓国の優勝自販(JAPAN)機」なんていう日本をバカにした応援スローガンを発表するぐらいですから、国中が浮かれています。
だから「日韓戦を観るときは疲れます。」
それが嫌だったら観なければいいのですが、何故か気になって 観てしまうんですよね。
日韓戦の数日前からテレビでニュースでも何でもガンガン煽ってきますから我知らず雰囲気に呑まれてしまうのでしょうかね。
今晩も夜遅いですが、多分テレビの前に座っていることでしょう。