今ここに綴ることは全て事実です。
わたくしは昔、一人の人間を殺しかけたことがあります。
私のそばに一人、絶望し、疲れ果ていつも「死にたい」とこぼしている人間がいました。
わたくしはいつもその言葉を聞く度に励まし、応援し、背中を押し続け、わたくしなりに支えていたつもりでした。
ところがある日その人間が「もう無理だ。今日死にたい。でも自分で死ぬのは怖い。」と訴えてきました。
わたくしはもう無理なんだな、と判断して睡眠導入剤とお酒を大量に用意して、これからやることをその人間に説明しました。
「これからこの薬を全部お酒で飲んでもらう。
そして君が眠りに堕ちる前に君の首にロープを巻いて、君が眠りに堕ちたと同時に君の首が締まり君が自ら手を下さなくてもいいように、君が死ぬまで俺が見ててやる。」
その人間は喜んでその説明を聞き、喜んで酒と薬を飲みとても嬉しそうに興奮しながら「頼む。」と言いました。
まるで旅行に行く前に荷造りをしている時の高揚感でも感じているように。
彼が薬とお酒を飲み干し、ずっと辞めていたタバコをとても美味しそうに2~3本吸っていたのを今でもよく覚えてます。
「そろそろ眠りそうだ。」
彼が虚ろな表情でこう言いました。
「分かった。」
わたくしもこう返しました。
彼の首をロープでくぐり、彼を見つめて言葉は発しませんが会話を交わしていたような気がします。
「いいんだな?」
「もう後戻りはできないさ。するつもりもない。」
「何でこんな事に手を貸してくれたんだ?」
「解らない。何でだろうな。可哀想になったのかな。こうする事でお前を一人にさせないような気がするんだ。」
「そっか。ありがとうな。そしてごめんな。本当に死ねるかな?」
「大丈夫。俺がお前が死ぬまで見てるから。」
そんな事をお互い目で会話してたのかもしれません。
その人間は眠りにつきました。
その人間が目を覚ましたのは天国でも地獄でもない病院のベッドの上でした。
実に2日間眠りっぱなしでした。
その人間がこれは自分による自殺だと言い張るので今のわたくしには何のお咎めもありません。
いや、お咎めはありました。
言葉を失いただただ心配そうにしている家族。
その人間の数少ない関係者。
その方々達は皆一様に自分を責め、後悔し、うちひしがられていました。
ここに出てくる「その人間」とはわたくしのことです。
自殺は殺人と同義。
自分という人間を自分という人間が殺すことです。
法では裁けないのかもしれませんが、法の裁きより重たい十字架を背負い生きていく。
それが今のわたくしです。
これを読んでいただいていて、もし死にたいと思っている方がいらっしゃいましたら、それを念頭に置いてもう一度考えてみてください。