義母さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。 | tiaoroのブログ

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先日、主人の母が亡くなり、先週はお通夜~告別式があり、レッスンを急遽お休みさせていただく等、ご迷惑をお掛けいたしました皆様には、深くお詫び申し上げます。
 
私事なので、あまり書くのもどうかと思いますが、近しい親族の死というのを経験したのが、幼少の頃を除くと初めてでしたので、感じた事を少し書かせていただきます。
 
主人の母は、「そんな、気ぃ遣わんでいい」、「ワシャ、今が一番気楽だで」、というのが口癖の方でした。結婚した当初は、まだ経験の浅い私に対して、逆に気を遣ってそう言っているのかな?と思っていましたが、母はとても正直な方で、心の底からそう思っていたというのが、母の最期を垣間見て、改めてそうだったんだなと気付かされました。
 
「正直に生きる」
 
古代はどうだったのか?分かりませんが、なかなかに難しい事なのではないかと思います。
 
「正直者は馬鹿をみる」だとか、「本音と建前」という言葉があったりだとか、自分の思った事を「正直」に相手に伝えると、存外、相手が不快に思う事の方が多いのではないでしょうか。「そんな、気ぃ遣わんでいい」と言われると「せっかく、お茶入れてあげたのに」とか、「今が一番気楽だで」と言っても「本当は寂しいんじゃないかな…??」と勘ぐってみたりとか。
 
ですが、主人の母は、そんな風に思う必要の無かった、まさに竹を真っ二つに割ったような、サバサバした、後腐れの無い、まるで五月晴れのような方だったのだと思います。そして、母の最期も、まるで眠っているかのような姿で、母の主人に伝えた最後の言葉通り、ご自身が子供のころから育ち、伴侶を得てもなお住んでいた、自分の写し鏡のような主人の実家の畳の上(布団の中)で、息を引き取りました。
 
「ワシャ、人の世話にはならん。病院も、施設も入らん!」という言葉通り、最後まで、誰のお世話になることもなく、ご自身で人生の幕を閉じられた母。私は、とても「子孝行」な親御さんだったと思いますし、こんな言葉を使っては不謹慎かもしれませんが、敢えて言わせていただくのであれば、「あっぱれ!」であったと思います。とても、格好イイ母であったと、私もできれば、かくありたいと思います。
 
83歳というのは、今の世の中で言いますと「まだ若いのに…」だそうですが(恐ろしい…)、母にとっては、もぅそろそろ、お迎えが来ても良いタイミングだったのだと思います。
 
嫁らしいことは、何一つできませんでしたが、私は母から「正直に生きることの清々しさ」を学ばせていただくために、吉川家に嫁いできたように思います。最後の最後まで、学ばせていただくことしかできず恥ずかしいですが、それだけ未熟だということを素直に受け止め、自分の最後も、母のように、清々しい五月晴れのように迎えられる準備を、今からしていきたいと思います。
 
吉川絹子さん、主人のお母様、この世に主人を産み出してくださり、ありがとうございました。そして、最後までご自身らしく、正直に生きてらっしゃった姿を見せてくださり、ありがとうございました。どうか安らかに、お眠りくださりませ。