2011年6月、沼名前神社・鞆祇園宮特集! | 全国一斉 鞆の浦検定(鞆ペディア)

2011年6月、沼名前神社・鞆祇園宮特集!

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2011年6月は、沼名前神社特集!
灼かな大神さまの由緒を共有しましょう。そして意宣りましょう。

沼名前神社/本殿
沼名前神社/本殿 posted by (C)鳶眼

【沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)/鞆祇園宮

ご祭神:綿津見命(ワダツミノミコト)/海を統治する神で、海上の安全航行、または漁業の守り神。    
相 殿:須佐之男命(スサノオノミコト)/病気防除し、産業を守護される神様であり、又日本で最初に和歌を作られた神として、文芸学問の祖神。
ご神徳:海上安全・漁業繁栄・家内安全・病気平癒・学業成就・安産等。
旧社格:国幣小社、延喜式内社
現社格:別表神社(神社本庁所属)
別 名:鞆祇園宮
神 紋:木瓜紋(本家祇園・八坂神社と同じ)
御旅所:大河島城趾


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沼名前神社(鞆祇園宮)
所在地/広島県福山市鞆町後地1225
営業時間/8:00~16:00
http://tomo-gionsan.com/


「鞆の地は山水秀霊の地・・・備後の東南端、海に突出せる半島形の一隅に位し・・・鞆は景色が美しく霊験があり、地の利もある・・・また、沼名前神社は「ぬなさき」ではなく『奴奈久萬(ぬなくま)』が正式の呼び方/沼名前神社由来記(明治四十五年四月十五日発行)」


<沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)の歴史>
古くから『疫隅の国社』として四海の民に崇められた由緒ある神社で、祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)を祀っていました。いつの頃からか「鞆祇園宮」と称されるようになりましたが、明治維新の神仏分離令により、祇園社が仏教的だとされ、改称を政府から命じられ、明治八(1875)年、延喜式神内社で全国的に格式の高いと再評価された『沼名前神社』という神社名称に変えることになります。その際、海の神である「渡守神社」祭神:大綿津見命(おおわたつみのみこと)を主祭神とし、祇園社の祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)は、相殿に祀られています。鞆の浦の人々は沼名前神社を今でも親しみ深く“祇園さん”と呼んでいます。
『沼名前神社』という社名は、延喜式神名帳に存在するが、中世には所在が不明となっていました。
鞆祇園宮と渡守神社が合祀し、古名の『沼名前神社』に改称した経緯と、海の神「大綿津見命」をご説明する前に、まず延喜式を説明しておかなければならないでしょう。

<延喜式(えんぎしき)>
平安初期に施行された諸制度の編纂書で、弘仁・貞観の二式と共に三大式と云われ、三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、かつ細かな事柄まで規定されていることから、古代史の研究では重要な文献となっている。延喜五(905)年に醍醐天皇の勅令によって、藤原時平(ときひら)が手がけたもので、時平の死後は弟・忠平がその志を継ぎ、紀長谷雄(きのはせお)と三好清行(きよゆき)などの学者とともに撰者となって、二十二年という長い歳月をかけて完成したと云われ、当時の公家社会(三位以上の朝官)では、今日の憲法のように尊重されたという。延喜七(907)年の調査書の中に『沼名前神社』が記載されていました。延長五(927)年に一応完成したが、その後も改訂が加えられ、40年後の康保四(967)年より施行された。

<延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)>
延長五(927)年にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧である。延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で『延喜式内社』、または単に『式内社(しきないしゃ)』、『式社(しきしゃ)』といい、一種の社格となっている。

<渡守神社(わたすじんじゃ)>
第十四代仲哀天皇の二年(193年頃)、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、渡札(わたすふだ)の辻に綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられた。さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦にお寄りになり、綿津見神の大前に『稜威の高鞆(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)』を納め、お礼をされたところから、この地が鞆と呼ばれるようになりました。その際、御妹君・虚空津姫命を此の地に留め、祭主としてお仕えさせられた。そしてこの地に『沼名前神社』が祀られている由来も、神功皇后の熊襲遠征(仲哀天皇二年)にまつわる伝説に起因する。
※虚空津姫命は淀姫命とも言い、鞆港の入口の明神山に淀姫神社として祀られている。


<鞆祇園宮>
もと、関の旗崎(はたのさき)に祀られてあり、「疫隅国社(えすみのくにやしろ)」として、四海の民に崇められており、京都の祇園神社(八坂神社)の本社に当たる。


沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)と延喜式
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10857047691.html

渡守神社
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10191924620.html

渡守神社 御旅所
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10762850397.html

「お弓神事」のすべて
http://ameblo.jp/rediscovery/theme-10032340798.html

神功皇后(じんぐうこうごう)
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10857044808.html

武内宿禰(たけうちのすくね)
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10857045643.html


<沼名前神社の建造物>
能舞台
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10854922806.html

随身門/随神門(ずいしんもん)
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10773804613.html

第一鳥居
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10861000751.html

第二鳥居(肥前鳥居/鳥衾形鳥居)
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10854937132.html

森下博翁像
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10854957973.html

森下家15代・佐野右衛門/森下 博/森下仁丹創業者
http://ameblo.jp/rediscovery/theme-10009604374.html

石燈籠一対(拝殿前)
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10854972597.html

力石
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10861001615.html


<福山市無形文化財>

お弓神事のすべて
http://ameblo.jp/rediscovery/theme-10032340798.html

お手火神事のすべて/その一
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10861005679.html

お手火神事のすべて/その二
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10861005882.html

お手火神事のすべて/その三
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10861006027.html

お手火神事のすべて/番外編
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10861006274.html



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第四回 全国一斉 鞆の浦検定/開催延期のお知らせ
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10843510752.html

第四回 全国一斉 鞆の浦検定
『日東第一形勝』呼称300年の歴史~山紫水明處~
300年前、朝鮮通信使が鞆の浦に訪れた重陽の節句(菊の日)に・・・


第四回 全国一斉 鞆の浦検定POSTER
第四回 全国一斉 鞆の浦検定POSTER posted by (C)鳶眼

◎受検期間:平成23年9月9日(金)9時~10月10日(月・祝)17時まで
◎開催場所:鞆の浦及びインターネット(PDF)で問題用紙配布
※鞆の浦での配布は9月10日(土)予定

http://uratami.web.fc2.com/


全国一斉 鞆の浦検定


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鞆の浦を旅する旅人に贈る、
旅好きな制作者が作る鞆の浦年代記。
鞆の浦二千年の歴史を紐解く・・・・


$鞆街道五十三次-TOP2011

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※注:これから鞆の浦を旅する方々に向けたブログですので、写真は極力少なめに製作しております。
 これは、実際に鞆の浦に旅行していただいてから、五感で感じていただいたほうが良いのではないか?という制作者の配慮です。

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写真書庫は『鞆の浦写真館
http://photozou.jp/community/show/1926