突然ですが、私のような軽度の精神疾患はどのようにして成り立つのでしょうか。
今回は、『過保護型メンヘラのつくりかた』と称してお話をしたいと思います。
家庭環境の悪さで深刻な精神疾患に陥る方々の問題はたくさんあると思います。
しかし現代、必ずしも家庭環境が悪くて…というわけでは無い人々が居るのではないでしょうか。
もちろん、どちらがより深刻とかいう話ではありません。
どちらも生きづらさを感じている時点で問題なのです。
特に昨今は、軽度のうつ病や双極II型障害で日本は溢れかえっています。
多くの人が生きづらさを感じているのだと思います。
その中には、一般的に「良い家庭」で育ってきた人が居ると思います。
むしろ、一定数を占めているのではないかと私は考えます。
それははたから見たら「甘え」です。
しかし、その人を作り上げていった環境を考えると、
「本人の自覚の問題」で片づけてしまうのも違うのではないかと感じてしまいます。
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まず、待望の子供が生まれます。
両親は我が子が可愛くて可愛くて仕方がなく、
いつも優しく頭をなでてあげます。
危険なことは絶対にさせません。
いつも見守ってあげています。
痛い思いからも、怖い思いからも常に守られています。
教育のために、日々多くの刺激を与えてあげます。
一定の年齢になると、簡単に多くの刺激を得られる機器を持たせます。
受け身でいても、右から左へ受け流すように心地いい刺激が手に入ります。
そうです、すべてが「当たり前」になってしまっているのです。
すると社会に出て突然、いままでの当たり前が急に無くなることへのギャップに、
あるいは枯渇してしまいそうな刺激を求め続ける虚しさに気づくのです。
文字で書くのは簡単ですが、それは大きな不安なのではないでしょうか。
本当は有り難いことを「あたり前化」してしまったのは本人の責任ではありません。
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ごく一般的な家庭環境が、あるいは時代が今の「耐えきれない若者」を作り上げてしまった。
私はそう考えています。
それなのに、訳も分からずつらくて非難まで受けている間は可哀想です。
ただ、この時代の流れに気づいてほしい。
気づいたあとも何もせず時代のせいにし続ける事こそ、「甘え」です。
気づいてしまったからには、努力するしかないのです。
忍耐力を身に付けること。頑張ること。思いやること。許すこと。
ほんとうはもう少し前に身に付けていたかったことを、やり直すのです。
「もう遅い」なんてことは絶対にありません。
方法は、たくさんあります。
「自分次第」です。
to be continued...