突発性難聴のブログ
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悩みがなくなる日

いつも悩みを抱えている。

大きなものもあれば、小さなものもある。


新聞を開けば悲しいニュースがたくさん載っている。たいていの場合、どれも、ぼくとは直接関係のない人たちのことだけど、その人たちにも家族がいて、知人がいて・・・、と考えると、一体、ぼくの抱えている悩みはどの程度の大きさなのか、と考えてしまう。


もちろん、悩みや悲しみの深さを相対的に測るべきではないけれど、自分が抱えていることが矮小なものに見えてくる。


そんなふうに思うことないですか? 

ヒモ

そういえば、きのう、棚をくくりつけるための"ヒモ"(ビニール)をどこかで見たことがあった記憶をもとにさがしたら、物入れの奥に、トイザらスの袋に入って、ちゃんとありました。


こういう、ちゃんと整理しておいて置く整理整頓能力はスゴイ!って改めて感心した。(しかも、聞くと、ちゃんと覚えている。小物だと、たまに忘れることもあるけど・・・)


そういうところ好きだよ。



そうなんだ

某医師のBBSを読んで、また気づいちゃいました。


ぼくという自分は、とても素敵です。(なに気取ってんだょ、「ばか」って言われても)


少しばかり行き過ぎたことをすることもあるけど、それは「ピタコ゜ラスイッチ」みたいなこと。


間違ったことはしていない。青空の下で、何万人を前にしても胸を張って言える。


ぼくは、ちゃんと「自分」を表現できる。痛かったときは「痛い」と言って、楽しいときは「楽しい」、つらいときは「つらい」とちゃんと言える。間違いだと思うことは「それは違う」といえる。やせ我慢の貯蔵庫なんてつくらない。その場、その場で解決していかなかったら、人間、つぶれてしまう。(批判じゃないよ。社会の中で、いろんな個性や意見がぶつかりあう中で生き抜いていくために必要なことなんだよ・・・)


いつか、わかってもらえると思う。


「愛情」は、もっと別の次元のところにあるんだよ。きっと、それとは「パラレルみたいな・・・。


大切に想っている。きみの笑顔がぼくの活力源。


一緒に歩いていこう。



聞いた話とぼく

もう5、6年くらい前のことだけど、職場の人(Mさん・女性)から聞いた話をふと思い出した。


思春期の子供は、親を親と思わない(信じられないような)酷い言葉や暴力で攻撃してくるんだけど、もし、それが他人の子供だったら、殺したくなるようなことだけど、自分の子供だと、それが耐えられるし、何とか対処しようという気持ちになってくる。きっと、生まれたころのことや子供がまだ小さかったころの、素直で天使みたいだったころの記憶があるからだと思う・・・・、みたいな話をしていた。



とてもうれしかったことや楽しい思い出がたくさんあるから、ぼくも、きっと今みたいな気持ちでいられるのだと思うし、また、全体から受ける印象は異なって見えるのだと思う。 love you..



すごく、よくわかる

心の傷について、ある精神科医のBBSからの無断転載で申し訳ありませんが、すごく、よくわかる話なので、コピペさせていただきました。(先生、すみません。・・・・ありがとうございます)


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そういえば ちょっと 前になりますが
「いやな体験の 記憶は 消せない」というような話が 出てたと 思いますが

それについて ちょっとだけ。

「記憶」は 消せませんが 「いやな感じ」は 消せます。
心は つぎつぎと まわりに 「新しい記憶」というパーツを
描き足してゆく 絵のようなものです。

すでに 描き込まれた パーツは 変えられないのですが
絵全体から 受ける 印象は 変えられます。

だから 心に 傷が ずっと 残るような ものでは ないのです。 

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もう、ぼくは、ずっと歩いて (もしかして疾走して) ここまで来ています。


すべて、覚えているし、嫌な気持ちも覚えています。一つ一つのことを思い出すと、いてもたってもいられなくなります。

  ・・・けど、何か、全体から受ける印象はまったく違ったものに見えてるんです。(わかってもらえるかどうか、わからないけど)


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