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(最終回)下目黒の元高幢寺の什物

「東川寺と目黒高幢寺」と云うテーマで今回を含め23回に亘りブログを書いてまいりましたが、一応今回でこのテーマの最終回とさせていただきます。

高幢寺の「縁起巻物」の箱と巻物です。

縁起の箱

縁起全体

縁起-1

縁起-2

縁起-3

縁起-4

縁起-5

御神詑略縁起として確かに書かれいますが、こう云う物は一体にその寺社の正式な成り立ちではなく、信者をより多く得る為、後世にそれらしく書かれたものが多いのです。

この高幢寺の縁起も太刀の威力などが書かれた物で、あまり信用出来ません。

しかし鰐口緒(わひぐちのひも)を毎年奉納を約束されている人に「松平左京大夫」と書かれています。

「松平」も「左京大夫」もおいそれと扱う立場の人ではありません。

この「松平左京大夫」を調べてみましたが、この文政八年頃の人は特定できませんでした。

その鰐口の写真です。
鰐口とは多くは神社の正面にあって紐を取ってジャラジャラと鳴らす物です。

鰐口1

鰐口2

この写真から想像するにとても大きな物です。
外の物の写真は残っていませんが、この鰐口の写真だけは残っていました。
と云うよりもとても大切にしていたので、わざわざ明治四十二年八月に写真を撮って残したとしか思はれません。

しかし戦争の折、残念ながら軍事供出してしまい、現在は東川寺には残っていません。
戦争は人々の命を奪うばかりではなく、こういった物も奪っていったのです。

以上、元下目黒にあった高幢寺の什物を中心にブログを書いてまいりました。

高幢寺は元々は「高峰庵」より出発して、大岡越前の守の裁きにあった時の「栖凰林」を経て「高幢寺」になっています。

先日、8月23日のテレビの「開運なんでも鑑定団」を見ていましたら、旧家の蔵から出てきた、大岡越前の守の町奉行時代の本物の裁判記録が出てきました。
これも何かの縁かも知れません。

最後に敬意を表して元高幢寺の歴代住職を紹介いたします。

高幢寺歴代住職
開山     月舟宗胡大和尚 (元禄九年正月十日、遷化)
二世 中興  徳翁良高大和尚 (宝永六年二月七日、遷化)
三世 重開山 高峰源尊大和尚 (寛延三年七月十九日、遷化)
四世     大之雷周大和尚 (宝暦六年二月二十五日、遷化)
五世     大亮先勇大和尚 (天明二年十月十日、遷化)
六世     透海龍鱗大和尚 (天明五年七月十日、遷化)
七世     元寶万岳大和尚 (天明四年十月十五日、遷化)
八世     辨龍本瑞大和尚 (天保四年七月二十四日、遷化)
九世     徳潤一酬大和尚 (文政五年八月十三日、遷化)
十世     大因實乘大和尚 (不明)
十一世    泰容岷嶺大和尚 (不明)
十二世    祖眼提宗大和尚 (嘉永元年七月十八日、遷化)
十三世    渓岳良雄大和尚 (不明)
十四世    實参良悟大和尚 (不明)
十五世    達宗玄道大和尚 (大正二年二月二十八日、遷化)

長い間、お読み下さいまして誠に有難うございます。

しばらくお休みさせて戴き、また、違うブログネタを探して書こうと考えています。




東川寺の高幢寺什物 (5)

高幢寺の祈祷のお札を入れるもので漆塗り、紋入りの立派なものです。

「御祈祷宝牘(ごきとうほうどく)入れ」の表
(とく)とは文字をを書き記す木の札のことです。

宝牌入れ-表

「御祈祷宝牘入れ」の内側

宝牌入れ-裏

下記の掲載の写真は観音経の巻物です。
観音経は正式には妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五と云います。

巻物 

普門品全体 


観音経巻物の上部

普門品1

観音経巻物の中部

普門品2

観音経巻物の下部

普門品3

この観音経を書いた人です。

普門品4

天保10年に宗笄(筭?)と云う人が願いを込めて写経したことが分かります。
美しい書体で丁寧に書かれていいます。



東川寺の高幢寺什物 (4)

引き続き高幢寺の什物です。

焼香箱
これは天狗の団扇の紋入りの焼香箱です。

おみくじ箱
これは金比羅大權現のおみくじ箱です。
箱の上からおみくじの番号の入った棒が出てきます。

三宝施主
これは三宝(お供え物をのせる台)です。
金比羅大權現のお供え用の三宝は沢山ありますが、これは三宝の裏に時代・施主名の入った珍しいものです。
この三宝の上の台には講名(こうめい)が書かれています。

三宝-御膳講

この時代には沢山のお講(こう)が出来たようです。

講とは同じ信仰を持つ人々による結社です。
講は講社ともいいます。講の構成員を講員・講中といい、講の運営にあたっては講元(こうもと)、世話人などの役員を置き、講員の中から選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常であったようです。

観音信仰の観音講、富士山に登るための富士講などが有名です。

この三宝に書かれた御膳講なるものは何なのか正確には分かりませんが、名前の意味する処から推察するに、お膳を囲み美味しい食事を楽しむ仲間達のお講かもしれません。
江戸の庶民は現代の我々が想像するよりはるかに心豊かな生活をエンジョイしていたのは確かです。

御神酒
これは金比羅大權現に捧げるお酒をいれる為の陶器製の御神酒入れです。



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