夫の代わりに投稿させていただきます。
妻の美幸と申します。

ブログというものを書いたことがないので、読みにくいところも多いと思いますが、お許しいただければと思います。

最後の投稿からかなり間隔も開いてしまいましたし、既にご存知の方もおられるかも知れませんが、ご報告があります。

夫は昨年の7月15日 午前7時29分に永眠いたしました。
彼が大好きだった自宅のベッドで家族で抱きしめて看取ることができました。

FBではご報告させていただいておりましたが、ブログは私自身が読む勇気が持てずにそのままにしてしまいました。
申し訳ありません。

余命の宣告を受けたのは5月末のことでした。
そこからは、少しでも彼が幸せを感じて過ごすことができるよう、たくさんの方々のお力をお借りし、つらく苦しいこともありましたが笑顔いっぱいで毎日を過ごすことができました。

亡くなる2日前、ずっと弱音を吐かなかった彼が、あまりの呼吸苦から「何でこんなに苦しいの?僕は何のために生きてるの?」と言ったときに、彼の頑張りの限界を感じました。
本人と相談し、苦しみを感じずに済むよう眠るための薬を使うことを決めました。
それは、もう誰とも話ができなくなることを意味します。

亡くなる前日の夜、薬で深く眠っていたはずなのに息苦しさで目を覚まし、様々な薬も効かず一時間ほど苦しみました。
家族で手を握り声をかけ続け、ようやく落ち着いて意識が遠退くなかで彼は「ありがとう。ありがとうございました!」とはっきりと大きな声で言いました。
それが最期の言葉となり、眠るように息を引き取りました。
まるで笑っているような穏やかな表情でした。
彼のお母さんは、彼は「ありがとう」を言いたくて目を覚ましたんじゃないかと言っていて、私も今はそう思うようになりました。

自分の人生をありがとうで終える。
彼が支えてくださった皆さんに心から感謝していた証だと思います。
本当にありがとうございました。

彼と関わってくださった方々のそれぞれの中に彼との思い出があると思います。
その全てを覚えていることは難しいと思うのですが、何かひとつでも忘れずに覚えていていただけたら幸いです。

彼のことをたくさんの方が新聞やテレビ、FB等で取り上げて下さいましたが、そのイメージは「前向きで強い人」というものだと思います。
私が彼を思うとき、一番に思うのは「心の温かな優しい人」ということです。
眠る薬を使うことを決めたとき、既に起き上がることも話すことも困難な状況でしたが、彼は私を抱きしめて精一杯の笑顔で、
「(パラリンピック出場という)大きな目標は果たせなかったけど、テレと出会って自分の人生を誇りに思うよ。」と言ってくれました。
テレとは私のことで、照れ屋で名前で呼べないような人でした。
私は、感情を抑えられなくなり泣きながら自分も一緒に連れて行って欲しいと言ってしまったのですが、「それが心残りなんだよな。でも、ぼくの携帯にはテレが笑ってる写真がたくさんあるから、それを見て楽しかったことを思い出して笑っててよ。」と言ってくれました。
彼のこれらの言葉があるからこそ、私は前を向き笑顔で過ごすことができます。
彼の状況から考えて、私が彼を支えてきたように思う方も多いかもしれません。
実際は、支えられてきたのは私の方で、彼との出会いで私の人生は大きく変わり、色鮮やかなものになりました。
彼には感謝の想いしかありません。
私の方こそ彼との出会いを心から誇りに思います。

今回、こうして投稿させていただいたのは、彼のブログを残すか閉鎖するかを迷ったことがきっかけでした。
私はまだ、彼のブログを読むことができていません。
本人が亡くなった今、閉鎖することも考えましたが、彼が綴ってきた内容はきっと誰かの励みになるのではないかと思い、残すことに決めました。

彼は、テレビで取材を受けるにあたり「全力で生きることを伝えたい。」と言っていました。

そして、二人で色々な話をしてきましたが、「生きてさえいれば自分しだいでなんだってできる。」
「僕に比べたらテレは可能性に溢れてるんだから、その事を忘れないで。」
と言ってたことを強く覚えています。

彼が残してくれた言葉の数々は、私に対してだけではなく、たくさんの方々に向けられたものではないかと思います。
彼が精一杯に全力で生きた姿が少しでも多くの方の心に残り、役立つことができたらと願っています。

長くまとまりのない拙い文章を読んでくださってありがとうございました。

そして、長い間ブログを読み応援してくださって、どうもありがとうございました。