こんな日常 LV.2


梅にウグイス貼ったと思ったらこれメジロやん・・・。



こんな日常 LV.2

ウグイスはこんなの。



先月は松に鶴、今月は梅に鶯、来月は桜に幕。


「梅に鶯」 ----梅にウグイスが来るという意味ではない----辞書を引きましょう

「梅に鶯(うぐいす)」は間違いだ、あるいは「梅に鶯」は本当は「梅に目白」だと言う人は、

まず第一に「梅に鶯」の意味を誤解しています。


「梅に鶯」というのは梅にウグイスが来ると言う意味ではないのです。

二つのものが調和したり似合ったりすることのたとえなのです。

梅は春を待つ人々に咲きかけ、春告鳥とも言われるウグイスは春の訪れを歌い共に親しまれました。

この二者を取り合わせることはこの上もなく春の訪れを盛り上げてくれます。

和歌や絵画に好んで取り上げたのは梅にウグイスがよく来るからではありません。

日本人の早春のイメージであり理想であり文化なのです。


「梅に鶯」は辞書にも載っている意味の定まった言葉です。

取り合わせが良い二つのもの、美しく調和するもの、と言う例えの成句です。

成句、つまり決まりきった言い回しなので、それが間違いと言っても始まらないのです。

「猫に小判」も成句です。

猫にはやっぱり銀のスプーンだろうと言ってみたところでそれは漫才ネタのレベルになってしまいます。


「梅に鶯」、この例えは、単に併せておくとよいとか並べておくと縁起がいいというより、も

っと憧れに満ちた強い想いが込められているのです。


   <梅とウグイス、早春を代表する二大スター、夢のコラボ>


今風に言えばそのような気持ちを込めて私達の祖先は梅と鶯を取り合わせることはすばらしいと思ったのです。

滅多にない事だからこそ憧れたのです。
一方、「梅に目白」の光景は、メジロがいる地域では梅が咲いている季節の日常的光景です。

その気になれば毎年めぐり合えます。美しい光景ですが憧れの的になるほど大げさなことではありません。
結局、「梅に鶯」は間違いだと言う人はそのたとえの成り立ちを思いやらず、

梅にはどんな鳥が来るか、あるいはウグイスはどんな所を好むかという観点で解釈していたのです。




ことわざなんかい。


藤に不如帰

菖蒲に八橋

牡丹に蝶

萩に猪

芒に雁

菊に盃

紅葉に鹿

柳に小野道風

桐に鳳凰




芒ってなに


芒(のぎ、「ぼう」とも)は、コメ、ムギなどイネ科の植物の小穂を構成する鱗片(穎)の先端にある棘状の突起のこと。

ススキのことを芒とも書くが、これに似たイネ科の植物にオギ(荻)がある。

ススキには芒があるが、オギには芒がない。

二十四節気のうち芒種(ぼうしゅ)は、芒を持つ植物の種を蒔く時期のことである。

また、陶器などの表面に現れる芒状の細長い斑紋を芒になぞらえて芒目(のぎめ)と呼ぶ。



あっ、ススキか。



こんな日常 LV.2


前にBASARAで花札描いたとき梵天丸で描いたな。