江景邑(カンギョン ウプ)に残る日本統治時代の建物巡り、続きです。(→前の記事)
まず最初に訪れたのが「旧・産業公立産業学校官舎」。
校長先生の私邸として作られた建物。
1931年に建てられた平屋の和洋韓折衷建築。外壁は赤レンガで、一見石造りに見えるけど、説明文を読むと木造建築とあります。
ポーチがあったり、高い優美な屋根があったりと、かなり豪華な作りです。
次は「江景公立普通学校(現・江景中央小学校)」の講堂。
学校創立30周年を記念し体育館として作られ1937年に竣工。
この建物の校庭側からみて右手の壁面には朝鮮戦争時の機銃掃射の跡が残っていました。
空襲というと東京大空襲を連想してしまうのでちょっとショック。。。
次に見学した一角は道路拡張と下水道工事が行われ、街の整備が進行形。
趣のある和中韓折衷な感じもする建物は
「南一堂韓薬房」。昔の薬屋さん。
文化財に指定されていますが、裏手に回ると靴が並んでて現在も現役で使われている建物のよう。
装飾の金具までステキです。
コチュジャンの甕が並んでるけど、使われている木材はまっすぐに切り出されたもので、これも日本家屋の特徴。
南一堂韓薬房の一角は日本家屋がとても多い。
四方八方古いものは全てというくらい切妻屋根です。
日本統治時代には「下市場(アレッ・チャント)」という海産物を扱う巨大な五日市(オイルジャン)が立った場所なんだそうです。今はその片鱗もうかがうことはできないけど。
先を急ぎます。
次に見えて来たのは一目で銀行とわかる立派な建物。
「旧・韓一銀行江景支店」。
「歴史博物館」という看板がかかっていたので、内部公開もされているのかも。このあたり調査不足です。すみません。昔は自由に中に入ることができたようです。(内部の様子は→こちらのブログで)
建物向かって右側に銀行と同じ赤レンガの残骸が見えます。
その時にはなんだかよく判らなかったのですが、どうやらここも朝鮮戦争時空襲に合い、破壊された建物のよう。おそらく銀行の建物の一部だったのでしょう。現存する銀行の建物自体も屋根が完全に破壊され、その後修復されたとの記録がありましたので。
銀行の裏手にも怪しい建物がありました。これはどんな建物だったのかな?
名残惜しい気分で最後にさらっと見たのが1925年の建築。
「旧・江景労働組合」。
錦江の埠頭で働く労働者の組合事務室だった建物。建築当時は2階建てだったのが、現在残っているのは1階部分のみ。
錦江の辺に位置する江景は、群山が貿易の中心になるまでは全羅道・忠清道の交易の中心地でした。ここで荷揚げされ、また積み込まれて行く物資の量はとても多かったのでしょうね。
隆盛を誇った当時の面影、今はありません。
そこがいいんだよね。
このさびれた感が。というときっと地元の人は怒ると思うけど。
今回は時間の関係で、主なスポットだけを回りました。ゆっくり徒歩で時間をかけてくまなく探検すれば、今もお宝風景が満ち溢れる。江景は韓国近代建築文化遺産ファンにはたまらないところ。
ソウル龍山駅からはKTX全羅線「江景駅」下車。ソウルから日帰りも充分な交通の便ですし、見どころもほぼ2キロ四方の範囲に集中してあります。
江景探訪の旅はオススメ!
ありりん、きっともう一度行きます!
江景については→こちらのブログとハンギョレ・サランバンの記事を参考にさせていただきました。どちらも詳しく調べられていて、とても頼りになりました。ありがとうございます。
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