今日は2024年9月20日
いつもの、旦那とのカフェ作業タイムをそろそろ終えて、息子を幼稚園で迎えに行く時間。
金曜日まで頑張って通った息子を幼稚園に迎えに行ったら、その足でスーパーで買い出し。
「お腹がすいた」が口癖の息子にグミを買うか買わないか、の戦いが待っている。
買い出しが終わったら夕飯作ってお風呂に入ってすぐに寝かしつけ。
今日は19時から夫婦でコンサルがあるので、イレギュラーになるけどどうなるかな。
それが終わればもう寝る時間。
一日を終える時間。
きょうも、一日が終わる。
たくさん考えてたくさん喋って、たくさん息子を愛でてとってもとっても幸せなきょうが終わる。
私は一日を終えられる自分に、とても達成感を感じる。
これは、つい半年前に末期がんのお義母さんを介護した経験が大きく影響している。
毎日「死」を待つ日々。
昨日できていたことが、今日出来なくなり、その分自分の負担が増えていく日々。
「死」におびえながら、「こんな苦しい時間、早く終わってくれ」と思う自分。
そんな自分に大きな大きな罪悪感を感じてそれにエネルギーを吸われる日々。
もう経験したくない、と思うくらいしんどかった日々。
でも、その時に同じくらい、いやそれ以上お母さんの死に寄り添っていた旦那と
寝る前に「今日も一日を終えられるね」と握手をしていました。
辛くて、でも二人で頑張るしかない、逃げ場もない。
大変なことたくさんあったけど、今日も一日が終わる。
旦那と握手をするとき、私は希望を感じていました。
「死」という絶望の世界にいるのに。
がんばる、と決めた自分の道を今日も歩き切ったこと。
一人ではなく、旦那も一緒に歩いていること。
息子はこういう時でもマイペースにずっと私を照らしていてくれること。
「今日」を終えるたびに私はそれに感謝し、自分を褒めていました。
今は絶望の世界から抜け出しているけど、
一日を終える、って当たり前のようで全然当たり前ではない、ということを
お義母さんの介護を通して強く実感しています。
何の変哲もない一日を終える時だって、私は達成感に満ちながら眠りにつく。
「今日」という一日を終えられる自分、素晴らしい。
明日も健康な自分、健康な家族に会いたい。
そう思うと、生きているだけで最高ですね。
おしまい。