今日、母から「あさって一緒にお墓参りに行かない?」と電話がかかってきた。父がなくなってもうすぐ3ヶ月になる。あらためて父が亡くなったことを実感させられrたような気がした。3ヶ月前、父は亡くなったんだけど、さらにその3ヶ月前は全然元気に生きていたわけで… なんだか不思議な感じ。いまだに信じられないような気分。もっとずっと前に亡くなったような気もするし、まだ実家にいるような気もしてしまう。


人が死ぬときってどんなんだろう?父は最期に何を思ったんだろう?最期に聞こえた言葉は誰の何て言葉だったんだろう?いくら考えても答えは出ない。自分が死んだらあの世で父に会えるんだろうか?そもそも、あの世なんてあるのだろうか!?誰にもわからないけど、私はあってほしいと思う。でも、これまで地球上に人間が誕生して以来、何億人の人がなくなったのかわからないが、その人たちすべてがあの世にいるとしたら、あの世は大混雑で、いろんな幽霊たちもそこらじゅうでごった返しているに違いない。そうは言ってもやっぱりあの世でまた父に会いたいと思う。いつか、自分が死ぬときに迎えに来て欲しい。



2011年3月19日土曜日、父の四十九日法要を行った。家族だけで、自宅でお経をあげてもらい、その後納骨した。今回は、涙は出なかった。そんなもんなのかなぁ。亡くなる数日前は「死」というものを身近に感じ、怖くて体が震えていて、亡くなった当日は食欲もなく、それから数日経ってもなかなか心が平常時とは違っていたのに、四十九日も経つとまたいつもとあまり変わらない生活を送っている。もちろん、忘れたわけではない。今でも父のことを考えることがあるし、亡くなる当日の携帯動画を見るとまたいてもたってもいられない心境にもなる。なのに…

地震発生時、私は友人の運転する車の中で、渋滞にはまっていた。こどもも乗っていたので、地震が起きたとき始めはこどもが暴れているのかと思っていたが、気づくとおとなしく座っており、誰も動いている子がいなくて初めてそこで地震だと気づいた。でも、それでも私は大した地震ではないと思っていた。ただ、揺れている時間が長いなぁと思っただけだった。大きくても震度4くらいだと思っていた。全く怖いという気持ちはなかった。

自宅マンションに到着し、外にいた人の話を聞いてそこで始めて大地震だったということがわかった。案の定、エレベーターは止まっていて、高層階に住んでいる私達は階段で上らなければならなかった。やっとのおもいで自宅に到着し、家に入ってみると、さほど被害を受けている様子はないように見えたが、食器棚から食器が落ちていくつか割れていたり、電子ピアノなどの重いものが若干移動したりしていた。


当日は余震が多く、揺れも大きかった。震度3から4くらいの余震と、中で1回だけもっと大きな揺れが起きたときがあり、そのときの方が最初の地震より怖かった。

夜になってしばらくは友人宅で過ごしていたものの、こどもも眠くなってしまい自宅にまた階段で戻った。大急ぎでお風呂に入り、この日はさっさと寝てしまった。明け方4時過ぎに友人からのメールで目が覚め、すごい余震が続いているけど大丈夫?という内容の文を見てはじめて余震があったことを知った。

どうやら、私は地震に対して反応が鈍いらしい↓


相変わらず、今も少し余震が続いているが、初日は船酔いのように気持ち悪かったけど、それも今はもうない。今日になって思ったのが、父は在宅酸素を利用していたから、もし今もまだ生きていたらきっととても困っただろうな。