今日は、ズッド――――ンと幼少時の記憶とつながり、あまりの膨大な
負荷にひどい頭痛に見舞われました。
長く長く、手放せずにきた「何かよくわからないもの」が
手放す準備が整ったようです。
------------------
昨日の記事 → こちら
で、うっすら感じ始めていた事が、はっきりと現実となったのですね。
私にとって、かけがえのない人の一人、母。
大好きです。今も。
守ってあげたかったし、守ってあげたいと、ずっと、思ってきていたのですね。
バースデイナンバーが 3-5-7 の母に対して
バースデイナンバーが 3-7-5 の私。
前世療法や退行催眠は体験していないのですが
このナンバーだけでも、母とのつながりを感じるには十分すぎるほどでした。
---------------
「幼い頃の私」から見る母は、いつも、誰かに責められていました。
理由などわからない幼い私は、その場面から逃げることで、身を守っていたようでした。
ですが、幾数回かは、目の前で悲しいシーンをみた記憶も、あります。
年を重ねるごとに、そのシーンが目の前で繰り返され、
私は、いつしか、母の立場に立っていました。
母の、思いを、また、同じように感じているのですね。
それは、辛く、自分の意見など、まったく通らず、言葉にしようものなら
上から遮られ、立場や、状況や、もちろん、感情などは
すべて、すべて、聞き届けてはもらえません。
深い悲しみを、感じる母に、幼い私は「相手を憎む」ことで守ろうとしているのです。
これが、私の中の父性、の始まりでもあるようでした。
私の中の父性は、怒りを感じてきていたのです。
そして、その行動を、同じような状況に出会う度に、繰り返してきたのです。
私の場合、気づいていたので、憎むことは止められるようになりましたが
感情は、解放されずに、そこに残っていたのです。悲しみとして。
それを、癒すかのように、バースデイナンバーに3-7-6 を持って生まれてきた
長女は、音楽を聞かせてくれます。歌を歌ってくれます。
それが、すべて、宇宙からのギフトなのだと、確信しました。
私から、これから先を生きていく子供たちに伝えられることは
「憎まないでいてほしい。体のためにも。
そして、理屈で捻じ曲げる、大人には、できれば、ならないでいてほしい。
心の声を聴ける、大人になってほしい。
それが、これから先の日本を、世界を、きっと変えていく。
悲しみは悲しみとして。 喜びは、喜びは喜びとして。
味わってほしい。
私は、そのためにも、がんばる」
できるかなんて、わからないし、自信なんて、ありません。
でも、そうしていきたい。
回避することでしか、守れなかった、憎むことでしか、守れなかった過去と
つながることで、怒りが治まり、凪が訪れたようです。