初めまして。

娘です。

母は、8月20日午前6時21分永眠しました。


実は、痛み止めの麻薬の副作用で1ヶ月ほど便が出ておらず、肛門痛も激しく、8月3日に救急搬送されました。

その時は下半身麻酔を行い、摘便していただき肛門痛は解消。
ただ、骨転移の痛みが激しかったので疼痛コントロール目的で入院継続となりました。

入院日、病室で本人と話すと2~3日で退院したいと言っていました。
ただ、先生からは終末期の対応についての説明があり、本人から聞く病状とあまりにも差がありました。
相当我慢していたんだと思います。

「先生からの話なんだった?」と聞かれても、全て本当のことを話せず、「疼痛コントロールしましょうって言ってた!」としか答えられませんでした。

もしかしたら退院できないことを予感していたのかもしれません。

平日は仕事もあり会いに行けず、次に面会できたのが12日でした。
昼頃病室に向かうと、廊下で看護師さんから「朝から血圧が低くてちょっとポヤッとしてる」という情報をもらいました。
本人と話してても確かに言葉が出づらく、考えながら喋っている様子でした。この日初めて私に手助けを求めてくれたのですが、介助に慣れておらず、本人の自信をなくさせてしまいました。
「こんなに力が無くなってるとは思わなかった」という言葉が頭から離れないです。

このあと父が来て、少しナーバスになっている本人と言い合いになってしまったのですが、「もう生きたくない」と感情的にでたこの言葉こそ本音だったのかもしれません。

そして14日。
朝病院から電話があり、意識レベルが下がっているため来てくださいとのこと。
病院到着すると眠っているような母の姿で呼びかけても全く反応がありませんでした。
腫瘍熱のせいで心拍数がどんどん上がって、身体も熱く、解熱鎮痛剤が効くまで苦しそうに呼吸していました。
なるべくいろいろな人に会わせてあげたいと母の携帯を借りて連絡を取り始めたのもこの日からです。

それが2日ほど続き、人が来ると容態が安定するのがわかり、母らしいなと思いました。

16~18日は朝夜の解熱鎮痛剤が切れるタイミングが不安定なだけで、昼間は血圧が低めですが安定した容態でした。先生からも小康状態と言われていました。
ただ、筋肉が緩んでいるからか便が少しずつ出ており、尿量も少しずつ減っていました。

19日。
深い呼吸と浅めの呼吸を繰り返すようになりました。
深い呼吸のときに心拍数と血圧が上がり、浅めの呼吸で落ち着くという状態でした。
それでもSpO2は100~98%を保っており、血圧も急激に低くなることはほとんどありませんでした。
この日に先生に終末期の症状を聞くと、がん患者さんは少しずつ状態が悪くなっていくことが多いと言っていました。
私もまだまだこのまま生きるのかな?なんて考える余裕がありました。

19日夜~20日朝。
呼吸状態が心配でベッドサイドで見守ったままでいようと思っていたのですが、眠くて眠くてお借りしていた簡易ベッドで眠ってしまいました。寝心地悪くていつも3時間程度で起きるのに、この日は4時間くらい眠ったようです。ハッとして起きたら母が小さい声を出しながら短い呼吸を繰り返しており、SpO2も測れてなく、明らかにおかしい状態でした。
呼びかけてナースコール押したら少しずつ心拍数が下がっていって、血圧も下がっていきました。
そのまま回復することはありませんでした。

最期は寝てた私を起こしてくれて起きるのを待ってくれたのかな。
あの眠気も、その後バタバタするから体力回復させてくれたのかな。
最期の日の夜勤看護師が母のお気に入りの男性看護師さんだったからかな。
見送りに男性看護師さんと主治医の大野先生が出てくれて良かったね。

他の看護師の名前は覚えてなかったのに、その男性看護師さんの名前だけは覚えてたみたいです。
「すごく仲良くて、思い入れのある患者さんでした。僕達の分までお疲れ様って言ってください」って言って下さいました。

そうだよね。
こんなに頑張ってくれたんだもん、お疲れ様って言わないとなんだよね。

まだ素直に言えないなー

もうちょっと待ってね。

頑張ってくれてありがとう。
辛い時でも私のことを気にかけてくれてありがとう。
好き勝手生きさせてくれてありがとう。

これからは自分のことを大事にしてね。


このブログを読んで下さっている皆様にはきっととてもお世話になった方もいると思いますので稚拙な文章ですが経過を報告させていただきました。

母が大変お世話になりました。
知り合えて幸せだったと思います。

母を支えて下さりありがとうございました!

昨日無事にオキサリプラチン点滴してきました。
が、先生に4回も針刺し失敗され、結局ベテランナースさんに変わり1発OKムキー


造影CTの結果も、増悪無く現状維持で良かったニコニコ

オキサリプラチンが合ってるようでがん細胞くんも寝てるようです。このままずっと寝てていいんだよ!爆笑

副作用ですが、相変わらず手足、口の痺れ、冷たい物が飲めない触れないウインク
後は今の所無いみたいですニコニコ



本日29日は結婚記念日おねがい

あれから29年が過ぎました。
なんだかんだ言っても旦那の事嫌では無いんですよね!
耳が聞こえない→会話にならない→結果お互いに別の部屋でテレビ鑑賞とびっくり
目覚まし時計も聞こえないので同じ部屋で寝て、ベッド蹴っ飛ばして起こす口笛
毎朝これですわ爆笑



5月24日辺りから骨転移の腰椎が痛みだし、別の病院で骨シンチからの放射線治療を開始して6回が終了しました。まだ何回か残ってますが腰椎の痛みは本当に劇的に良くなり、先生にも効果が出るの早いね!と言われ爆笑
まだまだ生きられそうです。

今日も東京まで友達とランチしに行きましたが転倒もなく無事に行ってきました照れ

お友達の皆さんありがとうございますラブ