気がつけば7年ほど放置している~~~(^^;)

 

ちょこっと、心がマイナスに傾く出来事があった。

っていうか、今もものすごく心情は複雑…

そんな時に飛び込んできた、もう何年も会っていないイトコのブログ。

後光が差してた~~~~~。

一つ年下の美人さん。

今の彼女の生き方を見ていると、10代のころはしんどかったんじゃないかなぁと思う。

でも、今の輝きで、昔の自分も照らしてるかなぁ~。

 

友達といい、親戚といい、私は恵まれてるな、うん。

私の人生、捨てたもんじゃない。

ありがとね、気付かせてくれて

うちには携帯電話が三台ある

うち一台は夫の会社からの支給品だけど、三台ともdocomoだ

携帯電話歴はそこそこ長く、夫も私も15年ほど使っている。


日本全国いつどこへいくか分らない夫なので当時一番全国を網羅していたdocomoにしたのだ。

そのdocomo、エリアメールが入る。

テレビやラジオで地震前に有無をいわさずでる

『強い揺れがくる恐れがあります』っていうのがメールでくるのだ。

その機能を知ったとき、たかが数秒でなにができると思ったのだけど

立て続けに大きい地震をくらっているとこの数秒がかなり心情的に大きい。


スカもあるのだけど(特に今回は回数が多すぎる)

身構えるだけで全然違うのだ


一人留守番しているお嬢もエリアメールがあるとないとでは気持ち的に全然違うという。

たった数秒、されど数秒あなどれない

やっと物流がメドが立ってきたかなぁというところで
水騒動。
あっというまに売り切れ続出になっている。
…そんなに一歳未満の乳児っているのか???

野菜にしても、健康被害が『将来出るかもしれない』ほど
食べているのか?

今回の騒動で激しく思う。
『将来、どんな病気になるか、誰にもわからない』

私が乳児の頃、粉ミルクにはヒ素混入騒ぎがあった(らしい)
私はミルク育ちだ

私が小さかった頃、東京の空はいつもグレイだった。
工場からでる煙や車の排気ガスで。

海や川なんて近づけたものではなかった。
腐敗臭とごみの多さで。

石綿だって、小学校の実験で日常的に使っていた。

今、大丈夫とされているものだって、
十年後二十年後はわからない。

同じ子育て中の母親として、問いたい。
妊娠中から飲酒、喫煙はしていないだろうか?
今、問題とされている微量な放射能より
ずっと日常的に長期間されされてないか?
安心できるからと簡単にCTスキャンやレントゲンを受けさせてなかったか?
突発的におきた今回のことよりも
子供の肥満、生活習慣病のほうが親として罪が重くないか?

あれだけの被害をみて、毎日を生きていられることに感謝の念はないのか?

水が心配だと、少ないガソリンを使って他県へ無料の水を汲みに行くのは
本当に子供のためか?
ここ数日、真冬並みに冷え込んでいるのに、
乳児をつれて水を汲む列に並ぶことが本当に子供のためか?
将来、かかるかどうかわからない病気を心配して
今、風邪をひいたり、おなかを壊すことはどうでもいいのか?
乳幼児ならば、風邪やおなかを壊すことは
命取りになりかねないじゃないか?

自分の根拠ない不安を「子供のため」という大義名分にすりかえてないか?

水道の水だって、どれだけの薬品が投入されていることやら。
知らないだけでね。

福島だ、茨城だとただそれだけで拒否する大人たち、
あの光景をみてなお自分が長生きすることにこだわるのか?
水を目一杯抱える自分の姿を、もっとよこせと怒鳴る姿を
子供のたちに見せて恥ずかしくないのか?

買占めをする大人、水に騒ぐ大人、野菜に騒ぐ大人
私は恥ずかしくてしょうがない。
そんな私の横で、お嬢は憤っている。
「私たちは被災してない。なにもない人たちがまだいるのに」と
家だってある、家族だってそろっている
水や食料も全くない訳じゃない。
なのに、なぜ大人たちが冷静になれないのかと。
国の先頭に立つ人たちは、
こういうときこそ冷静さを呼びかけるべきではないのかと
CMに文句をいってなにがしたいのだと

まっすぐな子供の視線、それがわからない大人ってなんだ?
お嬢の問いに答えられないほど、
私自身も問いかけたいことがたくさんだ

木曜日の夜、『トコ』がご飯を食べなかった。
猫は気まぐれだし、気に入らないと食べないのはいつものことなので
特に気にしていなかった。

金曜日、やっぱり食べない。
土曜日、がくっと全身の肉が落ちる。水ばかり飲む。
無理やり食べさせるものの、嫌がる。
でもトイレには自分で行くが、夜になるにつれ失敗するように。

20歳を越えているから、いよいよ介護かな、
できるだけ今までと変えないように、でも『トコ』が使いやすいように
ご飯やトイレの場所を変えようと思っていた。

日曜日、起きたらトイレ失敗のあと。
お気に入りのクッションの上でぐったりとしている『トコ』は
すでに尋常ではなかった。
毎日「うな~んうな~ん」と大声で鳴くくせに、
力なく「うにゃ」というだけ。
なでてやるとしなやかさは全くなく、骨の一つ一つがわかる。

お気に入りのクッションから、よたよたと降りてきたものの
畳の上でぜいぜいと寝ている姿は、あまりにも痛そうだと
クッションの上にもどしてやるとやっぱり出てくる。
どうやらまぶしいらしい。
よくみると、瞳孔が開いている。

外にでない子だから、毛がつやつやなのはいつもと同じだけど、
やわらかさが全然違う。
『その日』が来ているのが嫌でも分かってしまう。

坂道を転げ落ちる様というけれど、心情的には崖から落ちる感じ。
一日声をかけ、なでて少しでも楽になるようにとそばにいる。
と同時に、なるべく普段と同じように、『特別な日』にしないように。

午後から友達と遊びに行っていたお嬢が帰ってきたときには
もう声もでず、それでも小さく鳴くように口を開けていた。

マメに声をかけていて、あ、と思ったときには
もう旅立ってしまっていた。

小さい時から数々の武勇伝があった『トコ』
ピアノの後ろにはいって出られなくなったり、
アラジンストーブの上に飛び乗って、肉球をやけどしたり、
ミシンの針が動くのがおもしろくて手をだしそうになったり、
私に真っ白なおでこにいたずら書きをされたり、ハンコを押されたり
顔をくしゃ、と掴むと、いや~んとツメで私の手をひっかけてとったり、
洗濯物をたたむ時には、私がやる時には私とかごの間にはいって、
お嬢がたたむ時は、一番邪魔なところに陣取ったり
「邪魔!」「危ない!」「こら!」を一番よく言われた子だった。

『ハナ』や『タク』と同じように火葬にして家に連れて帰ってきた。
同じ火葬場だったのに、二匹の時よりも骨壷が大きくて
それまでもが『トコ』っぽくて
最後の最後まで『トコ』なんだなぁと…

『ハナ』や『タク』を見送った時と違い、
今回はお気に入りのクッションや水入れ、エサいれ、トイレ、箱などなどを片付ける。
何の気なしにめぐらせる視線は、いつも猫たちの居場所を確認していたから
そこにあるべきものがないことに、とてつもなく寂しさを突きつける。
一番いい場所にいた『ハナ』がいなくなった時は『タク』が
『タク』がいなくなってからは、いい場所を独占していた『トコ』
一番のお気に入りは、お嬢の机のそばの窓側、オイルヒーターの前で
お嬢が勉強していると、家庭教師のように後ろから監視していた。
寝るのもお嬢の部屋。
というか、『トコ』にしてみたら、自分の部屋をお嬢に貸している気だったのだろう。

お嬢を叱っていて長引くと、「うにゃ~」と割り込んでくる『トコ』
朝起きないお嬢を起こしに行くのも『トコ』
普通、猫は小さい子が嫌いなのに、
お嬢にひっついていた『トコ』

かこさとしさんの絵本、「とこちゃんはどこ?」から名前をとった『トコ』
家の中ですぐに迷子になって、でられない~~と鳴いていた『トコ』
その度にあわてて探しにいく『ハナ』としょうがないなと私を呼びに来る『タク』
あっちの世界で、また二匹を慌てさせるのかな。

父が亡くなって引っ越してきたうち。
長姉がでていって、次姉が出て行って、母が亡くなっても
猫たちはずっといたうち。
そのうちの中から猫が消えてしまった。
実家はとうにない私だけど、実家とのつながりもなくなってしまった。

今朝、お嬢がポツリと言った
「あっち(仏壇)のほうがにぎやかになっちゃったね」
私の両親と、猫三匹…にぎやかにならなくていいのにね。

こういうのを見ると、情報って操作されているなと思います。

子宮頸がんのワクチンにしても、欧米では死亡例がでている。

国内でも蒟蒻ゼリーは大きく報道されても、

それ以上事故の起きている『子供乗せ自転車』については扱いが小さい。

食の安全は全てを自分でまかなえない分、声をださなくてはと思います。



【転送・転載歓迎!】

■ 農林水産省パブリックコメント「遺伝子組換えダイズの第一種使用等に関する承認に先立っての意見・情報の募集」にあなたのメッセージを!

●世界的反対の声が上がる中でなし崩し的遺伝子組み換え開国?

遺伝子組み換え食品については世界各地で大きな問題が引き起こされ、大きな反対の声があがっています(残念ながらそうした声はなかなか日本では報道されませんが)。

遺伝子組み換え栽培の拒否の姿勢を取るヨーロッパの国々に米国政府が報復して

遺伝子組み換え受け入れに転換するよう圧力をかけようとしていたことが先日、

WikiLeaksが暴露した文書でも明らかになりました。

ドイツの裁判所は遺伝子組み換えに対して厳しい判決を下しています。

世界的に遺伝子組み換え作物への不信が高まる中で

日本の農林水産省は遺伝子組み換えダイズの日本での栽培は

「学識経験者からは、生物多様性への影響がある可能性はないとの意見を得」たとして

遺伝子組み換え大豆の日本での栽培の容認に動いており、

農水省は昨年12月24日からこの件のパブリックコメントを開始しました(農林水産省のパブリックコメント説明ページ)。

遺伝子組み換えがいったん合法化されて栽培が始まると、

非遺伝子組み換え作物にも花粉の受粉を通じて遺伝子組み換えの汚染が広がり、現にそうした汚染で、

遺伝子組み換え作物畑に隣接する有機農業が有機農家としての資格を剥奪されるなどのケースも海外では実際に起こっています。


●強まる米国政府の圧力に日本政府は従うのみなのか?

性急な遺伝子組み換えの導入ではなく、

遺伝子組み換えが引き起こす問題を周知徹底することもまた、日本政府の責務です。

伝わってきません。

1月13日からは日米TPP二国間協議が始まり、

そこでも米国政府は遺伝子組み換えダイズ栽培を初めとする遺伝子組み換えの合法化に向けた圧力をかけてくることが予想されます。

今回のパブリックコメントに対して、しっかりと市民の危惧を 政府に伝えるために、

あなたのコメントを送ってください。

コメントを送るのは簡単です。

1つでも多くのコメントを農水省に送り、市民の意志を示しましょう!


★コメントを送るには・・下記のURLからお願いします。

http://act.parc-jp.org/cyber/gmo_pubcom/index_html#form


PARC事務局:高橋真理


★実施団体:お問い合わせ等 特定非営利活動法人 アジア太平洋資料センター(PARC) 〒

101-0063 東京都千代田区神田淡路町1-7-11 東洋ビル3F

TEL.03-5209-3455 FAX.03-5209-3453

E-mail: office@parc-jp.org

HP:   http://www.parc-jp.org/

Twitter:http://twitter.com/parc_jp


この春、娘は我が母校の中等科に進学した。
娘は幼稚園からずっと同じ学校だけれども、
私は初等部が抜けているので、今回の入学には感慨深いものが…

私が在学の頃とは大きく変わったシステムあり、
変わっていないものありで、なかなかおもしろい。

そんな中、名簿1番の娘は今寮に入っている。
通常は自宅からの通学生なのだが、
学校の特色である「委員」のため、この委員期間の二ヶ月を寮で暮らす。

まぁ、自宅が近いので、本当に地方から寮生活をしている人には
申し訳ないのだが、
やらないよりはマシだろうと、
中等部三年間寮にいた私は思っている。

変わったことに対しては、うなることもあるのだけど、
小さく変わっていないことが懐かしい。

日番の  これはその日の日番が首から下げるものなのだが、
赤いガラスが金属の型に流し込まれている。
きれいにはなっていたけど、まだ使っているのね~~

委員バッチ  これをバッチと言っていいのか??
金属の輪の中に、昔は陶器にガラスを埋めたものだったけれど、
今はガラスがぶら下がっていた。
でも娘が「これはね、今年から復活したんだって!」と言っていたから、
しばらくなかったのかも…

生活ノート  赤い表紙のサイズが実に不思議なノート

生活に密着していたものばかりだけに、懐かしさ倍増。
この先、どんなことがあるのやら…

ちなみに、寮で解散後におやつ音譜がでているそうだ。
激しくうらやましいねべーっだ!

ネコ、大好きである。

でもだからこそ思うことがある。


今朝のニュースで、野良猫にエサをやっていたことが迷惑行為であるという裁判の判決があった。


私はネコがいや、犬も大好きだ。

だけれど、10代の頃、急に動物の毛+土でアレルギーがでるようになってしまった。

私自身はかゆいだけなので、触りたいのだが、

白目の粘膜がゼリー状に盛り上がり、顔中が赤く腫れ、2~3日はそのままのため、

気軽にネコや犬を触れなくなってしまった。

ま、それはともかく…


ネコであれ、なんであれ、エサを与えるという行為が私は好きではない。

エサを与えるのであれば、糞尿のしまつ、これ以上野良を増やさないための避妊、去勢手術、

それよりもなによりも、安直に人からエサをもらうことに慣れない様にしなくてはならないと思う。


エサだけを与えるのは、人間の自己満足でしかない。


以前住んでいたところで、神社にネコがたくさんいた。

ある日、一匹のネコが死んでいた。

汚物にまみれたその様子から、なにか毒物を食べさせられたのだろう。

人からエサをもらうことに慣れたネコは、もらうことに抵抗がない。

もちろん、頭の良い子は同じ人からしかもらわない。

ただ、人と同じように、妙にお人よしというか、頭の悪い子はいるのだ。


エサを与えるのであれば、そのエサを食べるネコに責任をもたねばならないだろう。

実際に、酷いアレルギーを起こす人だっているのだ。

私は触らなければ、もしくは狭い密室に一緒にいなければ、腫れることも呼吸困難になることもない。

だが、ホンの少しの毛で、激しく咳き込む人だっているのだ。


好きな人が嫌いな人のことを思いやることができなければ、それは迷惑でしかないのだ。


ネコが好きだからこそ、責任をもって欲しい。

迷惑をかけていることを前提に物事を考えて欲しい。

そうでなければ、憎悪はネコに向いてしまうのだ。


私とて、犬猫にはそういう思いがあるが、苦手な爬虫類、両生類であったら、絶滅してもかまわないと思っている。

嫌悪どころの騒ぎではない。

要は、自分の嫌いなもの、生理的に受け付けないものと同じように、

自分の好きなもの、愛しいものを受け入れられない人がいるということだ。


この裁判の判決は当たり前の結果だと思う。

エサを与えるだけで、なんの対策も講じなかったのだから。


八つ当たり…他人やモノ、ましてやわが子にあたっちゃいかんと思うが、

自分で自分に八つ当たりする分にはいいんじゃね?と思う。

だって治るし。


春は鬼門だな…毎年のことながら。

いや?もしかしたら年々酷くなってるかも。

ま、それもそのうち落ちつくでしょう。

知らないってこわいなぁと思う。


子宮頸がん予防ワクチンについて


予防接種というのは、「かからない」のではなく、「かかっても軽くすむ」という捕らえ方を私はしている。

娘は学校という団体生活をしているので、毎年のインフルエンザは受けてきたし、

はしかや三種混合など受けてきた。

身体が丈夫なのか、かかってもそれほど酷くはならないのだけど、

普段が丈夫なだけに、打たれ弱いというか、「病気」という状態に弱いので

気休めという部分もある。


こういった法定伝染病の場合は、「ひろげないため」という部分も大きいのだけど、

伝染病でない場合は、その効果がなにのためか首をひねってしまう。


伝染病でないのなら、自分で検診を必ずうけることや、早期発見、早期治療で対応できるのではないかと思うし、

なんでもかんでもワクチンで、という考え方はちょっと怖い。


まずは規則正しい生活と栄養バランスのとれた食事、運動で身体そのものを鍛えるのが先じゃない?

とか思う。

(ワクチン打ってるから大丈夫って、めちゃくちゃな人いるからね)


病気にかかりたくてかかりたい人なんていない。

そこにつけこまれるのはイヤだ

そして、なんでもかんでも「公的資金の援助」ってのもね。

結局は増税への口実に使われてしまうのだから…


みんなのうたに『不適切な映像』


昨年末の「喫煙しながら子供たちに知恵袋的話しをするおじいさんが子供が読むにふさわしくない」と

絵本が店頭から回収され、出版が差し止められてから、

この手のことが目に付く。


潔癖なのはいいけれど、自分が生まれてきた過程、子供が生まれてきた過程まで否定するのかな。


私は1人の娘の親として、

「子供は『愛の結晶』とか『二人の絆』とか、そんな口当たりのいい言葉で語れるものじゃない。

自分のことは後回しにしても、子供を優先させるということは、肉体だけでなく精神的な成熟も必要。

イマドキの流行のように、小学校の基本的な問題が解けずとも、親にはなれる。

でも、自分の親がそういう人だったら、向上心をもったりできるだろうか?

『自分のしたいことができないから』と虐待したり、育児放棄することが『愛の結晶』?

まずは自分自身をきっちりと養って、肉体的にも精神的にも成長してから、

最悪、1人で産んで、稼いで、育てられる覚悟ができてから、子供を持つべきだろう。

出産費用もないのに、産むなんておろか過ぎる。子供はタダでは育たないのだから。

性行為もするなとはいわないけれど、責任をとるというのなら、避妊を『相手任せにせずに』するべき。

とりあえず、親に養われている状態での出産は絶対に認めない」と

常々言っている。

ちなみに娘はこの春から中学生。

彼女らの好む、ヤングアダルトというジャンルの本では、実に口当たりのいい、見目麗しい言葉で性行為を美化している。

娘はまだまだ、肉体的にも子供だが、そういうことはきっちりと教えるのが親の仕事だと思っている。


今、子供と闘わない親が多い。

命が本当に大事ならば、稼ぎもない子供を自分達が保護して出産させるのではなく、

中絶させ、その重みを全身に背負わせればいいのだ。

かわいそう?

無自覚な子供な親に育てられ、言うとおりにならないからと虐待され、自分の親に殺される方が

何百倍もかわいそうなのではないか?

自分がロクに学校に行っていなければ、子供にも学校へ行くように言わないだろう。

そうしてまっとうな道から外れていく子供がかわいそうではないのか?


子供は自分の手元から『自立』させるものだ。

いつまでも手元に保護する存在ではないのだ。

そこを履き違えている親が多すぎて、だんだん自分が異端に思えてくる。

でも私は私の信念を変えない。

私は娘を『自立・自律』させるために育てているのだ。

そして、娘に親として育ててもらっているのだ。

だから、闘うことをやめない。


こんな私は少数派らしい…