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一部の方々には大変ご心配をおかけしました今回のガン騒動ですが、手術から約2ヶ月が経過し、今はすっかり元気になり、仕事も普通にこなせるようになったことを遅ればせながらご報告させて頂きます。

 

もちろん、肺の一部を切除したわけですから、激しい運動はまだ無理ですし、以前と比べて息切れしやすくなったのは仕方ありません。でも、これも時が経てばもう少し良くなるだろうと思われます。

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(以下は丁寧語を省略)

さて、手術という第一関門は無事突破したけれど、

抗がん剤治療という第二関門がいよいよこれから始まる・・・

 

かなりの苦痛を伴うらしいけれど、再発のリスクを少しでも軽減させるためには耐え抜くしかないと覚悟を決めていたのだが・・・

 

ところが、先日手術で取り除いた腫瘍の検体の顕微鏡検査の結果が出ているので、今後の治療に投与する薬をどうするか、入院の日取りをいつにするか決めるために病院に行くと、担当医から予想だにしなかった言葉が返って来た。

 

なんと、私の正式な病名は肺がんではなく胸腺腫だったというのだ。

胸腺腫にも癌のステージと似たような段階があり、

私は浸潤性胸腺腫(正岡Ⅲ期)であった。

 

そのときは胸腺腫がどのようなものか全然知らなかったので、手術前に生検までして「肺がんステージ3A」と診断されたのは一体何だったのか、ひょっとして肺を切除する必要はなかったのではないかと一瞬疑念を抱いたが、いずれにしても手術は必要だったことを担当医の詳しい説明で理解した。

 

ここでの詳しい説明は私には無理なので割愛させてもらうが、要するに病気の重さで比較した場合、転移率、再発率や生存率の点で、癌に比べれば胸腺腫の方が少し軽いので、私にとっては喜ぶべきことのようである。

 

そして、胸腺腫は悪性の腫瘍ではあるけれど、真性の癌とは別物であるため、抗がん剤治療をする必要がなくなった点も非常に大きい。

 

これによって予定していた治療期間3ヶ月がまるまる無くなり、

仕事を休まなくてよくなった。

 

ただし、経過観察は10年と癌の経過観察(5年)よりも長い。が、これは病院が10年もの間責任を持って診てくれるわけだから、むしろ心強いし有難いことだ。

 

というわけで、今後は一病息災という言葉もあるように、体に気をつけながら長生きしようと思う。

★22日(水)入院当日

【11:00~入院開始】

妻と二人で病院に来て手続きを済ませる。が、希望していた個室は空きがなく、2人部屋で入院生活をスタートすることになった。ちなみに、本来は手術の前日の23日に入院するのが普通だが、たまたま祝日で病院が休みのため前々日の今日になった。

【12:00~昼食】

がんの場合、食事制限というのは特になく、まだ手術前で元気満々な私は妻と最上階のレストランで食事することも出来たのだが、メタボ気味の私にとって、入院中くらいはきちんとカロリー計算された病院食を食べようと決めていたので病室で昼食をとり、妻には一人で食事に行ってもらった。

【17:00~執刀医と面談】

途中から面会に来た娘も含め、妻と3人で面談室に行き、執刀医から現在の病状、手術方法、リスク、術後のことなど、約1時間の説明を受けた。外来の時から感じていたのだが、この先生の説明はとても分かり易く、かつ頼もしいので、不安な点は何も無かった。

【21:00~TV鑑賞】

夕食を済ませ、面会時間も終わって一人になった私は、入院中唯一の娯楽であるテレビを楽しんだ。今日は「相棒」があるので、消灯時間ではあるけれど、イヤホンをつけて観て、22時過ぎに就寝した。

 

★23日(木)手術前日

【14:00~入浴】

明日はいよいよ手術日で、術後しばらくは風呂にも入れなくなるので、今日はお風呂の予約を取り、1時間たっぷりと体を清めた。

【18:00~夕食】

手術前最後の食事。これ以降の食事は禁止となっている。水分は24:00までOKだった。

【22:30~就寝】

今日の寝る前のひとときは「科捜研の女」と「ドクターX」を観て楽しんだ。看護師さんが、もし不安なら睡眠薬を出しますよ、と言ってくれたが、寝ることには自信があるので、丁重にお断りし、22時半頃就寝した。

 

★24日(金) 手術当日

【8:00~家族集合】

8:40に手術室に向かうため、家族は8:00に来るように言われていた。手術前に家族だんらんの時間を与えようという病院側の配慮だ。

定刻になり、ヘアーキャップをかぶらされ、看護師さんと二人で歩いて手術室に向かう。家族は待合室へ。

【9:00~手術準備開始】

手術室の手前に手術を受ける患者の待合室があり、続々と患者が集まって来た。この病院は手術室が12部屋あり、一斉に9:00から手術が始まるらしい。私は今回人生で初めて入院したのだから、手術室の様子はテレビでしか見たことがないわけで、まさか12部屋もあるなんて想像もしていなかったし、実際の光景に圧倒された。肺がんだけでなく、胃がん、大腸がん、その他いろいろな癌の手術が一斉に行われるわけだ。私は9号室と決まっており、そこで、本人確認をして中に入った。いよいよ手術が始まる。

【9:30~手術開始?】

私が覚えているのは、手術台に横向きに寝かされて海老のように体を丸められて、背中に硬膜外麻酔を入れる準備をして、それが終わると仰向けになって点滴を入れる管を固定し、次に右腕を固定している間に酸素吸入マスクをつけらた所まで。あとは全身麻酔が効いて回復室で目が覚めるまで何もわからなかった。

【13:00~手術終了】

回復室で名前を呼ばれ目が覚めた。手術は上手くいきましたよと看護師さんに言われ、ああ、無事に終わって良かったとホッとしたのもつかの間、自分の予想より呼吸が苦しいことに不安を覚えた。苦しいから息を深く吸い込みたいのだが、胸が痛くて吸い込めない。ひたすら浅い呼吸を繰り返すしかないのだ。順調に回復してますからね、14時になったら病室に行きましょうねと看護師さんは言ってくれるが、回復している実感は全然ない。ちなみに会話はできる。

【14:00~家族面会】

自分としてはまだ回復しているとは思えない状態だったが、時間が来て病室に移動された。部屋は手術前の部屋ではなく個室だった。希望していた個室が空いたようでその点はとてもラッキーだった。ほどなく家族が面会にやって来た。笑顔で家族を迎えたかったが、さすがにそれは無理だった。妻や娘に苦悶の表情を見せるのは何ともないのだが、母と姉に見せるのは辛かった。

17時近くになってやっと少し呼吸が深くできるようになってきた。といっても、健康な時の深呼吸を100としたら、まだ10にも届いてない感じだ。痛みの方は痛み止めの点滴がかなり効いているようで、じっとしていれば傷口の痛みはそれほど気にならないのだが、息を吸う時の胸の痛みは相変わらずで、あと何故か背中の左肩甲骨の下あたりにもかなりの痛みがあった。

床ずれを防ぐために体の向きを少し変えるときはやっぱり痛かった。下半身は何ともないので自由に動かせるのだが、血栓予防のため両足ふくらはぎに血圧測定器のようなエアーマッサージ器が取り付けてあって、これが蒸し暑く足かせのようで邪魔だった。指先につける酸素飽和度測定器ですら邪魔に感じた。

酸素吸入マスクの管、点滴の管、硬膜外カテーテルの管、排液を出す管、尿管、両足のマッサージ器、心電図のコード、酸素飽和度のコード、動脈圧モニターのコード、左手にはナースコールのボタン、右手には硬膜外カテーテルから痛み止めを注入するボタン。

ほとんど身動きできないこの状態の中、痛みや呼吸苦との闘いが明日の朝まで続くのかと思うと心が折れそうになったが、とにかく徐々に回復することを信じ耐え続けた。

 

★25日(土)術後1日目

【8:00~希望の光】

昨日は一日中寝たきりで、1時間おきに看護師さんが検温と血圧測定に来たので、うとうとはしたが熟睡は全くできなかった。長かった夜が終わりに近づき、外が白々と明けてくると、気持ちも自然にポジティブになった。呼吸もまた少しだけ楽になった気がした。

朝8時を過ぎると、今日は昨日と打って変わってアクティブな一日になった。まず心電図、酸素飽和度、動脈圧モニターを外し、酸素マスクを卒業して鼻からの吸入に変わり、水を飲むテストをした。体を起こすときに胸やわき腹の筋肉に激痛が走ったが、寝たきり状態から早く脱したいという強い思いで我慢した。水は普通に飲めたので、飲み薬も飲んでみた。

次は歩行訓練。足のマッサージ器を取り外し、点滴、尿管、排液の管、酸素吸入、背中の痛み止めの管は付けたまま、ナースステーションのまわりを看護師さんに付き添ってもらいながらゆっくりと1周した。

このとき胸の痛みはまだかなりあり、呼吸もまだまだ楽ではなかったが、回復する手ごたえを感じたので希望の光が見えて来た。

【12:00~昼食】

術後初めての食事だ。完食できたので点滴は終了となった。尿管も抜けて、身の回りがだいぶ軽くなった。残る管は酸素吸入と排液を出す管と背中の痛み止めの管の3つだけとなり、ますます気持ちも前向きになって来た。

この日も面会に来た母と姉には今度は元気な姿を見せることができて良かった。もちろん、妻や娘にも元気な姿を見せられて良かったのは言うまでもない。

 

★26日(日)術後2日目

【8:00~酸素吸入卒業】

術後2日目に入り、酸素吸入も卒業することになった。すると、機械に頼れなくなって、自力で一生懸命酸素を取り込もうとするため、急速に深い息ができるようになって来た。

【14:00~完全自立】

午後になり、医師からGOサインが出たので処置室に行き、ついに排液を出す管と硬膜外カテーテルの管も取り外してもらい、管を通していた穴(手術時はこの穴から胸腔鏡を通していた)を3針縫って塞いでもらった。これで、体についていた管はすべて取り除かれ、晴れて自由な体になった。

こうなると、あとはいつ退院できるかということになるが、ほぼ28日で間違いなさそうだ。術後4日で退院は経過が順調という証だ。

それにしても肺がんの手術で、肺をほぼ4分の1切除したにもかかわらず、4日で退院できるなんて、本当に今の医学は凄いと思う。

ただし、当たり前のことだが、今日はまだ術後2日目。咳をするときは死ぬほど痛い。だから、咳が出そうになる時の恐怖はハンパない。この痛みが無くならない限り、退院しても油断はできない。

【21:00~テレビ鑑賞】

体が自由になり、気持ちにも余裕が出て来たので、再びテレビを観た。

今日は日曜日で毎週楽しみにしている「陸王」がある日だ。「陸王」を堪能した後も今日はずっとテレビを観続けてしまい、夜更かしをしてしまった。

 

★27日(月)退院前日

【10:00~シャワー浴び】

昨日排液を出す管を取り除き、縫って塞いだばかりなので、さすがに湯船に浸かることは許可されなかったが、シャワーを浴びることは許された。個室にもシャワーはあるのだが、トイレと一緒で使いにくそうだったので、手術前に使ったお風呂をまた予約して、湯船を使わずシャワーだけでゆっくりと体を洗った。

 

★28日(火)退院

【10:00~退院】

先生方、看護師さんたち、その他スタッフの方々お世話になりました!!m(_ _)m

 

9月の中頃のある日、勢いよく飲み込もうとした飲み物が気管に入ってしまい咳き込んでしまった。

 

こんなことはよくあることだ。

 

ただ、いつもなら二、三回大きな咳をすれば治まるはずが、この日の咳は10分経っても治まらなかった。

 

その後もときどき咳き込むことがあり、その度に10分ほど止まらない状態が続いた。

 

3週間経ってもその状態が続いていたので、見るに見かねた妻が病院で診てもらうことを強く勧めた。

 

大して辛いわけでもないし、放っておけばそのうち治るだろうと高をくくっていた私だが、妻に強行に迫られて仕方なく近所の病院で診てもらうことにした。

 

そこでは、軽い問診の後、聴診器で心音を聴いたが特に異常はなかったのだが、念のため撮ったレントゲンで肺に水が溜まった画像が写し出されていた。

 

すると主治医は、紹介状を書くから一度大きな病院で診てもらいなさいと言った。

 

紹介された病院に行き、生まれて初めてCTを使った検査を受けた。

 

呼吸器内科の担当医から肺に癌があることを告げられた。

そして、再び癌に関して権威のある病院を紹介された。

 

その病院に行くと、気管支鏡検査、PET-MRI検査など、肺がんに関わる様々な検査をした。

 

そこで出た診断結果がタイトルにある『肺がん(ステージ3A)』で、幸い転移はまだ見つからなかった。

 

ステージ3にはAとBがあり、Aは手術可能でBは手術不能らしい。

私はギリギリ手術できるAだったので、躊躇なく手術してもらうことにした。

 

手術は左肺の上葉部摘出。

 

単なる咳で、もしかしたら何かのアレルギーかもしれないくらいに思っていたのが、実は肺がんだったなんて。。。

 

年に2回健康診断を受けていて、胸部レントゲンも毎回撮っているが、癌らしいものが写し出されたことは一度もなかったのにステージ3とは。。。

 

ネットでステージ3を調べると、5年間の生存率が20~35%とある。ということは5年以内に半数以上の人が亡くなってしまうということで、普通なら非常にショッキングな出来事のはずだが、何故か今私はとても落ち着いている。今までと何ら変わることなく穏やかな日常を過ごしている。

 

というか人生で初めて経験する入院と手術を楽しみにしている節もある(;^ω^)

 

これはたぶん家族も私も手術をすれば助かると信じているからなのかもしれない。それと、二人の娘がすでに成人して社会人となり、扶養家族がなくなったことがとても大きい。心配といえば母親を残して先に逝くわけにはいかないということくらいだ。

 

手術の後は抗がん治療になるらしい。

手術よりもむしろこっちの方が少し気が重い(;^ω^A

 

だが、少しでも再発の可能性が低くなるなら避けては通れない。

 

もう少し人生をエンジョイしたいから抗がん治療でもなんでもやれるものはすべてやって、それで駄目なら仕方がないと開き直るしかない。

 

こんなことブログに書くべきかとも思ったが、やっぱりどこかで誰かに励ましてもらいたいのかもしれない(*´ω`*)