2016年2月14日(日) 21時00分~21時50分
司馬遼太郎が小説を書き始めたきっかけはこのような感じです。
wikipediaからの引用
卒業後、満州牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌45年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。その時にある若い将校が、アメリカ軍(連合国軍)が東京に攻撃に来た場合に、栃木から東京に移動して攻撃を行うという作戦に「市民と兵士が混乱します。そういった場合どうすればいいのでしょうか。」と、大本営からきた東北人の少佐参謀に聞いたところ、参謀は「轢き殺してゆく」といい[2](ただし、この問答の存在自体に当事者から疑念が呈されている[3])、22歳だった司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」との疑問を持ち、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐している。
というわけで、昭和時代を批判し、明治を賞賛している司馬なのですが、
明治時代の政治家や官僚には汚職がなかった、明治の人は高い倫理性を持っていた、と言いきってしまうのはいくらなんでも事実誤認もいいところでしょう。
現実には、明治時代にはたくさんの汚職事件がありました。
代表的なものとしては、
山県有朋の
山城屋和助事件
三谷三九郎事件
井上馨の
尾去沢銅山事件
司馬の勘違い(もしくは確信犯的な大嘘)、汚職のなかった明治時代のそんな高い倫理性のルーツは、「名こそ惜しけれ」という名誉を重んじる鎌倉時代の坂東武者の精神なんだそうです。
しかし、「名こそ惜しけれ」で善行をする人って、果たして道徳心の高い人なんでしょうかね?
本当に道徳心がある人は、功名心など二の次で、使命感だけで実行すると思うんですが。
「名こそ惜しけれ」で、困っている人を助けると世間が賞賛して自分の名前が栄誉あるものとして後世に残る、という思考の回り道をしてやっと善行をするような人は、人間的にはそれほどたいした人ではないんじゃないでしょうか。
「名こそ惜しけれ」は、共感能力ゼロのサイコパス向けの道徳です。
もっとも、現実にそこそこの割合でサイコパスは存在しますし、社会的に成功している層ほど多いので、人助けをする善玉サイコパスになってもらうためには「名こそ惜しけれ」も有益なんでしょうけどね。