もうだいぶ前の話しで、忘れそうだから書いておきます。


じいちゃんと最後に会った身内は私でした。

じいちゃんが突然死ぬ4日くらい前かな。


じいちゃんは私が会いに行ったその日、「やる気」がありました。

6月に入ってから、なんでも面倒がる事が多くて気力のなかったじいちゃんなのに、その日は「やる気」があったんだなー。

でも、力が出なくてかしいなっと思いました。

昼ごはんの時間、じいちゃんに「自分で食べる?お椀もてる?」と聞くと、いつも面倒がるじいちゃんが「うん。もつ。」と言ったのです。

だから私はお箸と茶碗をじいちゃんに手に預けようとするのだけど、何度やっても持てないじいちゃん。

今までそんな事は無かったから、何でこんなに力が入らないのかなと不思議でしたが、とりあえず

「おじいちゃん、何だか今日はお疲れみたいよ。今日は特別、私が食べさせてあげましょう!!!じゃじゃーん!にひひ

というと。じいちゃんは「そうかあ?」と微妙に笑いました。

食べさせてみれば、とても良く食べる。

完食でした。デザートも

「ミカンの味のゼリーだって。」というと「本当だ。ミカンだ。おいしい。」と反応も正常。調子が良いくらいでした。


でも、特養に入ってから活力が無くなったのは事実。声に張りもなく、ボンヤリとしていました。

その日も

「私のお腹に赤ちゃんいるよ。おじいちゃんのひ孫。」と言ってみたけど

「へ~・・。」とどうでもよさそうな感じ。数か月前なら手を叩いて喜んだだろうけど。


とにかくご飯も食べ終わって、私が帰る時、いつもと違った反応がありました。

私がエレベーター前で振り返った時、10メートルほど離れた所に座っているじいちゃんが手を振ってたのです!!!

このところずっと2歩離れれば、誰かがそばに居た事すら忘れてたじいちゃん。

私はエレベーターに乗る前に必ず振り返るけど、じいちゃんがこっちを見てたことはなかった。

それなのに、なんとじいちゃん手を振ってるよ!!!ずっと目で追ってたんだ!

すごい!!!!!さっきhが手が持ち上がらないくらい力が入ってなかったのに、一所懸命手まで振ってくれていました。

ビックリして

「見ててくれたの!?バイバーイ!!!ありがとう!!!ニコニコ

と大きな声で言いました。

じいちゃんは真顔でうなずきました。


いつもなら「帰るね、また来るね。」という私に「ありがとう。」というじいちゃんだったけど、最後に会えた日は、私が「ありがとう!」って言えました。

ありがと、じいちゃん。なんかスッキリだよ。

「バイバイ、ありがとう!」ってちゃんと言わせてくれたから。



これが、じいちゃんと私の最後の日。


短い間だったけど、じいちゃんの介護をして、はじめてじいちゃんと密に交流し、生活し、喧嘩し、大笑いした日々。「ありがとう。」って言えて良かった。

最後の数か月、施設に預けたけど、それで良かったと思う。



半月ほど前に、四十九日も終わり、ひと段落つきました。

本当に近い身内だけの、小さな四十九日だったけれど、みんなニコニコと穏やかで、じいちゃんも安心して眠ってくれたんじゃないかしら。

90歳ならば、ニコニコと送り出しても良いよね。


ところでところで、問題発生①

じいちゃんのデッカイ特大骨壺、(なんせ身体が大きくて、自称病弱だったけど健康で骨がしっかりしてました)お墓に入りきらなくて、石の蓋が閉まらなかったの!!!!!!!!!!!

もっと掘ればよいのでしょうが、何となんと、3メートルほど先に生えている大きな木の根っこがお墓の下まで伸びてたらしく、掘る事も出来ず、じいちゃん半分はみ出てた。

お寺と相談して、近いうちにお墓ごと1メートルくらい移動することになりました。

じいちゃん、死んでも忙しいね。さっそく引っ越しだよ!

大きな木の下で木陰があって気に入ってたんだけどね。都内なので、お墓がみんな仲良く隣り合って狭いけど、場所は良いなあなんて思ってましたが、近くのお墓ごと大移動になるかも。

そういえば、あまりに隣のお墓が近いし(仕切りなしで30センチとか)お隣のお墓はもう数十年かお参りが無いみたいだから、いつもついでにお水をかけてお線香をたててたのだけど、今回は

「新入りが隣に来ました。よろしく~。」とお水をかけて挨拶してたら、お坊さんに笑われた。

そして、問題2

墓が古すぎて、もはや名前が掘れない!!!!

名前を彫ったら墓石が崩れそうみたい・・・。

古い感じもまた、気に入ってたんだけど、この先、訳あって、じいちゃんのお姉さんも(健在)、じいちゃんの次女も入る事にしたし、その息子2人も入ると言っているので、じいちゃんの残してくれた少しのお金+ちょっとで新しい墓石もこの際作ろうかみたいな話もでてきました。

非常に良心的なお寺さんなので

「そういう事は焦らずに、じっくり考えてください。紹介は出来ますが無理に作らなくても色んな方法があると思います。」と言って下さったので、いつになるのかは良く分からないけどね。


とにかく、じいちゃんの骨壺をお墓に入れることが最優先だ。

半分出ちゃってるのは、雨風が・・・。まあ、骨は風邪はひかないと思うけど!


じいちゃんったら、自称病弱で、力が無くて、小さな少年だったけど、死んじゃったら背までグングン伸びちゃって(一般的に多少は伸びます。でもじいちゃんは10センチ以上伸びちゃった)葬儀屋さんもビックリで、用意した棺桶にちょっと足曲げて入れなきゃいけなくなっちゃったんです。

身長からみて一般的な棺桶の一番大きいものを頼んでいてけど、必要だったのは特別サイズだったみたい。

その分骨も多くて重くて、特大骨壺にも入りきらなかったし、持ち歩くのも大変だった。

じいちゃん、なかなか立派な体だったじゃないかい。

生前、私に

「オレは弱いんだから、アンタ抱きかかえて運んでよ~!」

とよく言ってましたが、よくまあ、私も抱きかかえてたなあ。

持ち上げてたもんね。すっごい力持ち。そりゃぎっくり腰を繰り返すわ。

じいちゃんが痩せていたので、出来たんだろうね。でも、じいちゃん、骨密度そうとう高かったみたいよ・・・。


人を笑わせたり、自分も大声で笑うのが大好きだったじいちゃん

死んでからも、なかなか面白く

「棺桶窮屈そうじゃん!」

「墓に入りきれてないじゃん!」と突っ込みどころ満載で、みんな何となく笑ってしまった。

不謹慎だけど、じいちゃんがいつも皆を笑わせようとしてくれていたお蔭だと思うよ。

だから、みんなニコニコ送り出せたし、皆を笑わせて、自分も人一倍大きな声で

笑うのが恒例のじいちゃんだったから、四十九日を見てたら

「アンタたち、ひっで~なあ!!!あっはははは!にひひ

って笑っただろうね。


1周忌には、新たに曾孫を連れて行ける予定です。

生きている内に見せてみたかったけど、空から見ててくれ。


書こう書こうと思いつつ、のびのびにしてしまいました。

突然身内が死んでしまった場合、身内、家族がしなければいけない手続き編②です。


じいちゃんが死んで、明け方4時過ぎにやっと警察から自宅に帰宅まで、書いたと思うのでその後です。

9時半までに警察にもう1度行けるようにしておいてくれとの事だったので、朝8時くらいまでウトウトとしました。母はここまで来るのに2時間かかるので、朝には来てもらえるように連絡してから寝ました。

叔母は葬儀屋に連絡し、棺を警察まで持ってきてもらう手配をしました。


警察からの連絡待ち、家で待機。結局11時頃に連絡があり、タクシーで母・叔母と再び警察へ。死亡診断書を書いてくれるお医者さんと話をした後一度お昼休憩。

喫茶店で40分くらい休んでから、20分くらい歩いて死亡診断書を受け取りに病院に行きました。

受け取り、また歩いて警察へ。

また何やら説明等を受けつつ、葬儀屋さんを待つ。

葬儀屋さんと合流してから、じいちゃんの遺体とともにお寺さんに行きました。


お寺では

「さすが泰三さん!本当に丁度ね、昨日部屋を全部きれいに掃除したんですよ。泰三さんには、きれいな部屋で休んでもらえます。それに、ずっと予定が入っていたのに、この5,6(じいちゃんの通夜と葬式は5,6になりました)だけ空いてたの。泰三さんの為だけにゆっくり時間を使えますよ。泰三さんは徳を積んでいますね。」

と言ってもらえました。良かったね、じいちゃん。

挨拶を済ませ、帰宅。

母は、区役所に「死亡届」を出しに行ってから、帰りました。

葬儀屋さんが届けを出すこともしてくれますが、お金がかかります。

ついでに、もし区民葬・市民葬でお葬式を行う場合、火葬許可書」の他に区民・市民葬の許可書ももらうことが大切です。


夕方には再び叔母と共に家で葬儀屋さんとの打ち合わせでした。

もう2人ともヘトヘト。

頭がボーとしますが、だいたい葬儀屋さんが進めてくれるので、こちらは色々選ぶだけです。

私たちが頼んだお寺経由の葬儀屋さんは、非常に良心的でした。必要ではないものは教えてくれましたし、色々なランクも「そこまで上でなくても、充分よいものです。」等教えてくれました。

不謹慎ながらヘラヘラ笑ったり、じいちゃんの思い出話を笑いながら茶化したり、冗談を言ったりしていた私たちに

「よいおじい様だったのですね。こんなに仲良さそうなご家族でうらやましいくらいです。おじいさまは皆様に愛されていたのですね。」

と言ってくれました。愛だどうだってのは良く分かりませんが、本当に良いじいさんだったよ。


翌日も打ち合わせをしますかと聞かれましたが、体力の限界、

「分からない事は電話で相談させていただいてもよろしいですか?」

という事にして、(疲れちゃったんだもん)とにかく1日が終わりました。


う~ん、ハードだったな。


でも、忙しかったのはここまでです。

あとは無事にお通夜・お葬式も済み、おじいちゃんとひとまずお別れをしました。

私のお腹が大きくなっていて、喪服が入らないハプニングもありつつ、他には何の問題もなく、じいちゃんは、素敵な戒名をもらいました。

もう今月には49日です。

遺骨と遺影は我が家にあります。

私は、無宗教なのであまり熱心ではないけど、お線香だけはあげています。

この間、お線香に匂いがしたので、ふと部屋を覗くとプーちゃんが、じいちゃんにお線香をあげて正座して手を合わせていました。何かブツブツ挨拶しているようでした。良い子だなあプーちゃん!!

良い夫を持ちました。


最近の私は、まあ、のんびり過ごしています。

家の周りで工事をしていて、毎日家が揺れてます。

腹の中で赤子が動いて、毎日身体が揺れます。

その度に「地震!?」とかビビるので、気持ちだけ忙しいです。


そろそろこのブログも終わろうかなと考え中です。

じいちゃんの介護ブログなので、これ以上書くことは無いんじゃないかな。

49日の事くらいは書くかもしれませんが、完結しそうです。

ああ、そういえば、じいちゃんに最後に会いに行った日の事は、まだブログに書いてないなあ。書こうかなあ。




じいちゃんが心肺停止状態である&受け入れ先が決まらない、と母が救急隊員からの連絡を受けたのは、6月30日の午後11時過ぎ。

それから、受け入れてくれる病院が決まって私に連絡が来たのが1日午前0時25分でした。

プーちゃんが家にいたので、午前1時頃その病院に車で送ってもらいました。(途中で叔母を拾って行った)

病院では、消防の方から説明を受けたり、(救急隊が施設到着時の様子等)お医者さんから説明を受けたり(受け入れましたがもう亡くなっている状態なので処置はしていませんと言う話)、施設の方から説明を受けたり(朝から発見時までの様子等)、そしてひたすら待ったり待ったり・・・。

午前2時ごろ警察から「これから、警察署で事情聴取をさせてください。」と言われました。

「祖父に会えますか?」とたずねると、警察で色々と調べなくてはならないので、触らずに一目見るだけなら・・という事で、病院から警察署に行く直前に一目会えました。

まあ、祖父の間抜けな顔・・・・・。

大口開けて死んでました!

思わず叔母と

「すごいでかい口開けちゃって・・・。」と呟いたほど。

でもね、いつも大口開けて寝てたから、本当にいつも通りのお顔。安らかって事です。ただ、あんまりにも大口開けているのでちょっと心配になって警察の人に

「固まっているようだけど、この口は閉じれます?お別れにこの大口開けたままの顔はいくらなんでも可哀そうなので・・。」と聞いてしまいました。

「いざとなれば、抑えるヒモがあるし、葬儀屋さんが上手くやってくれると思いますよ!!」と慰められました・・・。

夜中だったけど、緊急事態なので眠気は全く感じませんでした。

午前2時半くらいに警察署へ。プーちゃんはとりあえず帰ってもらいました。

そこで、じいちゃんの歴史やら、(居住歴・家族関係まで)今まで罹った病気やら、認知症の進行の様子、度合、在宅介護の時の様子、施設に入ってからの様子、最後に会った時の様子、等々こまかーく事情聴取されました。

施設等で死亡して、警察から連絡があったりしたら、ビックリして何も用意できないかもしれませんが、できれば、記録を持って家を出た方がよさそうです。

私はじいちゃんの本籍地なんて細かく覚えていなかったし、いつ、どんな病気をしたかとかも思い出すのが大変でした。

叔母と一生懸命記憶を辿るしかなかった。

このブログが見れればっとか、介護ノートもって出れば良かったと思いました。

まあ、本当は警察はほとんど全部知ってるんです。

まず、施設側に今までの事を伝えたカルテ的なものがあり、警察はすでにそれを入手していて、片手に持ちながら私たちに聞くのです。なので、少し間違っても大丈夫。

警察も大変です、特に興味は無い知らないじいさんの家族関係なんてきかなきゃいけないし。

私たちが聴取されている間に、施設のスタッフさんも聴取されていたようです。

事情聴取後、遺体を調べますよとか、

運ばれた病院の医師では死亡診断書が書けないので警察に医者を呼んで今後書いてもらいますよとか、

遺体の衣服を脱がせますよとか、

葬儀屋さんに朝9時半までに悪寒を持ってきてもらえるように手続しておくように、等を教えてもらい、朝5時ちかく、やっとこさ警察の車でお家に帰宅しました。

でも、朝9時半には、また警察署に来られるように準備しておいてくださいと言われたので、8時まで寝ただけで起床となりました。

疲れたけれど、病院や警察で本当にたくさんの人々が夜中にもかかわらず働いていて、普段眠って夜を過ごす私としては、何だか感心してしまいました。



つづく・・・。


実は、じいちゃんが死にました。


6月30日の夜11時過ぎには、もう呼吸も心拍も止まっていたらしいのですが、発見時には、浅く呼吸があったらしく、救急車を呼んだので、(救急車到着時には呼吸も心拍もなし)心臓マッサージを行いながら(一応救急車を呼んだらしなきゃいけないらしい)受け入れてくれる病院探し、やっと病院に到着して医者が

「亡くなっています。」と宣言してくれたのが深夜1時過ぎでした。

なので、死亡診断書には7月1日に死亡となっています。


あまりに突然、そして特養に入ってまだ2か月、早かったなあ!!

でも、じいちゃん、本当に幸せに死ねたのです。

なかなか安らかに死ぬというのは現代難しいと思いますが、じいちゃんは眠りながら死んでしまったようです。


最近のじいちゃんは、むせることが増えていました。30日の朝もパンでむせたので、施設から「今後は、牛乳に浸したパンをお出しして宜しいですか?」という連絡をもらっていました。じいちゃんはもともと柔らかい食べ物が好きなのでもちろんお願いしました。

その後、じいちゃんは大きく咳き込むことは無かったけれど、ゼロゼロ言ってるかあということで何度か本人に

「苦しくないですか?」「変な感じはありませんか?」と確認をして、その都度

「大丈夫、大丈夫!」とじいちゃんは答えていたようです。

でも、施設のスタッフさんは気にして、夜に頻繁にじいちゃんの様子を見に行き、夜11時過ぎ、じいちゃんの呼吸が浅くなっているのを発見という訳でした。


消防の方からも話を聞きましたが、

「もう到着時には、亡くなっていたのですが、マッサージを行わないといけないので、それだけは、行いました。職業柄いろんな場面、ご遺体を確認しますが、おじい様はまったく苦しんだ様子もなく、目も閉じたままだったので、眠ったまま亡くなったように見えました。」との事。


ただ、施設で突然の死だったので、本当に大変でした!!!!!

夜中から徹夜で警察や病院を回り、次の日も警察、病院、葬儀屋、また次の日も葬儀屋と、目が回る忙しさでした。妊娠中の私のお腹はカッチカチ、焦ったのかお腹の中の人がグルグルと大ジャンプを繰り返すという謎の事態になりました。

それはまた詳しく書こうと思います。(急に死ぬと身内はこういう事をしなきゃならないですよって事で)

でも、じいちゃんが苦しまずに、90歳という年齢でこの世を去れたのだから、文句は言えませんね。


結局、死亡診断書を書いてくれたお医者さん(運ばれた病院のお医者さんとは違うという事情もありつつ)によると

「寝ている間に、発作性頻脈というものが起こり、血圧が下がって、呼吸も止まったという事のようです。少し吐しゃ物がありましたが、喉には何も詰まっていなかったです。ようするに自然死です。」

という事でした。

発作性頻脈というのは、我が母も持っていた持病なんだけれど、年を取ったじいちゃんには命に係わりそうな感じです。心臓も年を取っているから。

でも、自然死というのは老衰という事。

それこそ理想的な死です。

さすがじいちゃん。

辛い入院も、治療もなく、この世とオサラバできましたね。

それがじいちゃんの望みでした。


今日はお通夜、明日はお葬式。

じいちゃんと穏やかにお別れしてきます。