新小岩 ひろ八に飲みに行ったよん
おはようございます。
昨日は久しぶりに奥様と新小岩界隈に飲みに行きました。
新小岩駅の北側には『北口』という車が進入出来ない小さな駅ロータリーがあるのですが、現在平和橋通りという幹線通りをはさんで東側に区画整理を行いバスロータリーを含む大きな『東北口』が建設されています。
もうそろそろ完成も間近と思いますが、その近辺が徐々にお店など商業施設が整備されつつあります。
昨日はそんな中の一つ(建物は以前からあって確か昔はお好み焼き屋さんだったかも) 『板前料理 ひろ八』 に奥しゃんと初めて行って来ました。お相撲好きの板前さんことマスターとママさんのお二人でやってられるカウンター席7席にテーブル席2つ各4席のこじんまりしたお店です。
またママさんがぽっちゃり系で美人、すごく好感度のお方でした。
門構えがかなり高級感を醸し出していてしかも『板前料理』なぞと書かれているから高いのかな~~と思いきやリーズナブルなお値段。
(上記店名にリンク貼っちゃいました)
板前料理 ひろ八
はじめにウイスキーハイボールを一杯いただいてから、
ひろ八さんがメインでお薦めている鹿児島霧島の芋焼酎『天地水楽』を所望しました。
芋のわりにさっぱりして飲みやすかったよん。一合ロックで頂きました。¥580。
基本的な事、お料理の写真を撮りそびれてしまいました(_ _,)/。
板前料理を写真で紹介出来なくて残念!
食い気が先で・・・
お通し 小振りな鰺のにぎり 2貫
おすすめ三店盛り ¥1000
秋鮭 自家製味噌漬け焼き ¥420
自家製つくねだし煮 ¥420
どれもとってもおいしかったよん。刺身も新鮮だし、秋鮭とつくねの味付けも最高でした。
メニュー、どれもリーズナブルなお値段。
店内は黒を基調としたシックな作りのお店で、マスターが大好きな大相撲の番付表が壁に所狭しと飾ってありました。
天井にはなぜかサーフィンボードが二つ横たわってました。
いいお店です。新小岩近辺の方はぜひお薦めのお店です。
すごっく、混むみたいなので 確実に という方は電話予約した方がいいかも。
こちらからいろいろ口コミ検索できますよ ←クリックしてみて下さい
この『薩摩富士』もおいてあったかも。
薩摩富士

帰りに「みのり商店街」のお肉屋さんの直営『直火焼きカルビ牛や』へ行ってカルビ定食を食しました。
しかも生ビール付き
よく食うなあと我ながら・・・メタボもしょうがない
カルビセット(定食) ¥630円なり。
お立ち寄り頂きありがとうございます。ヾ(*^▽^*)v ピース!.:゚+
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昨日は久しぶりに奥様と新小岩界隈に飲みに行きました。

新小岩駅の北側には『北口』という車が進入出来ない小さな駅ロータリーがあるのですが、現在平和橋通りという幹線通りをはさんで東側に区画整理を行いバスロータリーを含む大きな『東北口』が建設されています。

もうそろそろ完成も間近と思いますが、その近辺が徐々にお店など商業施設が整備されつつあります。
昨日はそんな中の一つ(建物は以前からあって確か昔はお好み焼き屋さんだったかも) 『板前料理 ひろ八』 に奥しゃんと初めて行って来ました。お相撲好きの板前さんことマスターとママさんのお二人でやってられるカウンター席7席にテーブル席2つ各4席のこじんまりしたお店です。
またママさんがぽっちゃり系で美人、すごく好感度のお方でした。
門構えがかなり高級感を醸し出していてしかも『板前料理』なぞと書かれているから高いのかな~~と思いきやリーズナブルなお値段。
(上記店名にリンク貼っちゃいました)
板前料理 ひろ八

はじめにウイスキーハイボールを一杯いただいてから、
ひろ八さんがメインでお薦めている鹿児島霧島の芋焼酎『天地水楽』を所望しました。

芋のわりにさっぱりして飲みやすかったよん。一合ロックで頂きました。¥580。

基本的な事、お料理の写真を撮りそびれてしまいました(_ _,)/。
板前料理を写真で紹介出来なくて残念!
食い気が先で・・・
お通し 小振りな鰺のにぎり 2貫
おすすめ三店盛り ¥1000
秋鮭 自家製味噌漬け焼き ¥420
自家製つくねだし煮 ¥420
どれもとってもおいしかったよん。刺身も新鮮だし、秋鮭とつくねの味付けも最高でした。


店内は黒を基調としたシックな作りのお店で、マスターが大好きな大相撲の番付表が壁に所狭しと飾ってありました。
天井にはなぜかサーフィンボードが二つ横たわってました。

いいお店です。新小岩近辺の方はぜひお薦めのお店です。
すごっく、混むみたいなので 確実に という方は電話予約した方がいいかも。
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薩摩富士

帰りに「みのり商店街」のお肉屋さんの直営『直火焼きカルビ牛や』へ行ってカルビ定食を食しました。
しかも生ビール付き

よく食うなあと我ながら・・・メタボもしょうがない

カルビセット(定食) ¥630円なり。

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クイーン 1976再来日 パンフ
クイーン 1976年 再来日パンフレット
おととい、昨日と二日あいてしまいました。
今日は、皆さんも良くご存知だと思いますが『クイーン』の再来日(1975年についで二度目)の時のチケット、パンフをご紹介します。
またもや、昔のロックにご興味の無い方には面白くも何ともない記事になってしまいますが、宜しかったら一瞬でも眺めるだけでけっこうですのでよろしくお願い致します。
オイラはこの『クイーン』は初期の頃の熱狂的なファンでして、「伝説のチャンピオン」 や 「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などが余りにもメジャーヒットしてから好んで聞かなくなってしまいました。(嫌いになったわけではないですが)
オイラの中では『ボヘミアン・ラプソティ』で燃焼しきってしまったんです。
そもそも、1973年、オイラが高校に入った頃かと思いますが、深夜放送かなんかでイギリスの凄いバンドがアルバムを発売するらしいとの事を聞きかじって、新しもの好きのオイラは勇んで買い込んだのが何の変哲も無いピンクジャケットのデビューアルバム『戦慄の王女』だったのです。
ところが、いろいろ情報が入るにつれイギリスで凄いバンドって言うのは、イギリスで売れてる訳じゃなく無名に近いバンドで深夜放送のナレーターの主観だったんす。
ところが聞いてみるとこりゃ凄い感動もののロックじゃないですか。(一部じゃツッペリンの悪い意味で後継者などと酷評されたりしたようですが)
友人も知らないとかレコード買ってないとか、デビュー当時はマイナーバンドだったんですね。
それがあっという間に火がつき評価されるようになって来たんです。それが、日本からです。
オイラは、マイナーな頃から応援初めて一時はファン倶楽部などにも絡み友人にも薦め、日本で火がついたバンドが世界へ羽ばたく姿を眺め、しごく満悦にひたっていた訳です。
オイラが『クイーン』を世界へ羽ばたかせたんだ・・等ととんでもない勘違いの自負をしちゃったんです。(笑)
で『ボエミアン・ラプソティ』の大ヒット以降、皆が・全ての人が、前からファンだった、みたいな顔しているのを見て『ひねくれもん』のオイラはその後好んでクイーンを聞かなくなっちゃたんです。
ということでクイーンのファーストアルバム『戦慄の王女』のレコードジャケット。
(高級品のレコードは当時シングルが370円か400円。アルバムが1700,1800円くらいだったとお思いますが始めはジャケットが汚れないようにビニール袋に入れ、盤はスプレーも定期的にかけ帯も奇麗に保存していたんです。
ところが、高校の中頃から何を思ったか、汚れている方が聞き込んでいる証しなどと勘違いをして、ほとんどのレコードの帯もはずし(捨てちゃった)ビニール袋にも入れずジャケットもボロボロにして.。゚+.σ(・∀・)゚+.゚カコイイ!! なんて思っちゃったんです。バカなオイラです。
写真はクリックして頂くと拡大しますよん。文字が読めるかは保証外です、あらかじめ念の為(笑)
クイーン再来日日時*1976年3月・4月
3月22日(月) 東 京 日本武道館
3月23日(火) 名古屋 愛知県体育館
3月24日(水) 姫 路 姫路市厚生会館
3月26日(金) 福 岡 九電体育館
3月29日(月) 大 阪 大阪厚生年金会館
3月31日(水) 東 京 日本武道館 おいらはこの日のコンサートに行きました。
4月1日(木) 東 京 日本武道館
4月2日(金) 仙 台 宮城県スポーツセンター
追加公演 4月4日(日) 東 京 両国・日大講堂
来日メンバー*
ブライアン・メイ(リードギター)
ロジャー・テイラー(ドラム)
ジョン・ディーコン(ベース)
フレディ・マーキュリー(リード・ヴォーカル) あらためてご冥福をお祈り申し上げます。
武道館コンサートのチケット半券です。
2階席とはいえ¥2500・・・安かった。
続けておもて表紙から裏表紙迄ページ順に掲載します。
おまけの掲載。オイラも記憶が無いのですがパンフに挟まっていたTシャツなどへのプリント素材です。
会場でくれたか、売店で購入したかです。当時は勿体なくてプリントしなかったんだと思います。
ご覧になって頂きありがとうございます。また、折見て色々とアップしますね。
クイーン・ファイル


クイーン・サウンドの虜になった人 これからなりそうな人必携の一冊。クイーン・ファイルただいま参上!フレディの最後のレコーディングの目撃者デヴィッド・リチャーズ(マウンテン・スタジオ、プロデューサー)が初めて明かすクイーン・レコーディング秘話収録。¥3150
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おととい、昨日と二日あいてしまいました。
今日は、皆さんも良くご存知だと思いますが『クイーン』の再来日(1975年についで二度目)の時のチケット、パンフをご紹介します。
またもや、昔のロックにご興味の無い方には面白くも何ともない記事になってしまいますが、宜しかったら一瞬でも眺めるだけでけっこうですのでよろしくお願い致します。
オイラはこの『クイーン』は初期の頃の熱狂的なファンでして、「伝説のチャンピオン」 や 「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などが余りにもメジャーヒットしてから好んで聞かなくなってしまいました。(嫌いになったわけではないですが)
オイラの中では『ボヘミアン・ラプソティ』で燃焼しきってしまったんです。
そもそも、1973年、オイラが高校に入った頃かと思いますが、深夜放送かなんかでイギリスの凄いバンドがアルバムを発売するらしいとの事を聞きかじって、新しもの好きのオイラは勇んで買い込んだのが何の変哲も無いピンクジャケットのデビューアルバム『戦慄の王女』だったのです。
ところが、いろいろ情報が入るにつれイギリスで凄いバンドって言うのは、イギリスで売れてる訳じゃなく無名に近いバンドで深夜放送のナレーターの主観だったんす。
ところが聞いてみるとこりゃ凄い感動もののロックじゃないですか。(一部じゃツッペリンの悪い意味で後継者などと酷評されたりしたようですが)
友人も知らないとかレコード買ってないとか、デビュー当時はマイナーバンドだったんですね。
それがあっという間に火がつき評価されるようになって来たんです。それが、日本からです。
オイラは、マイナーな頃から応援初めて一時はファン倶楽部などにも絡み友人にも薦め、日本で火がついたバンドが世界へ羽ばたく姿を眺め、しごく満悦にひたっていた訳です。
オイラが『クイーン』を世界へ羽ばたかせたんだ・・等ととんでもない勘違いの自負をしちゃったんです。(笑)
で『ボエミアン・ラプソティ』の大ヒット以降、皆が・全ての人が、前からファンだった、みたいな顔しているのを見て『ひねくれもん』のオイラはその後好んでクイーンを聞かなくなっちゃたんです。
ということでクイーンのファーストアルバム『戦慄の王女』のレコードジャケット。
(高級品のレコードは当時シングルが370円か400円。アルバムが1700,1800円くらいだったとお思いますが始めはジャケットが汚れないようにビニール袋に入れ、盤はスプレーも定期的にかけ帯も奇麗に保存していたんです。
ところが、高校の中頃から何を思ったか、汚れている方が聞き込んでいる証しなどと勘違いをして、ほとんどのレコードの帯もはずし(捨てちゃった)ビニール袋にも入れずジャケットもボロボロにして.。゚+.σ(・∀・)゚+.゚カコイイ!! なんて思っちゃったんです。バカなオイラです。
写真はクリックして頂くと拡大しますよん。文字が読めるかは保証外です、あらかじめ念の為(笑)

クイーン再来日日時*1976年3月・4月
3月22日(月) 東 京 日本武道館
3月23日(火) 名古屋 愛知県体育館
3月24日(水) 姫 路 姫路市厚生会館
3月26日(金) 福 岡 九電体育館
3月29日(月) 大 阪 大阪厚生年金会館
3月31日(水) 東 京 日本武道館 おいらはこの日のコンサートに行きました。
4月1日(木) 東 京 日本武道館
4月2日(金) 仙 台 宮城県スポーツセンター
追加公演 4月4日(日) 東 京 両国・日大講堂
来日メンバー*
ブライアン・メイ(リードギター)
ロジャー・テイラー(ドラム)
ジョン・ディーコン(ベース)
フレディ・マーキュリー(リード・ヴォーカル) あらためてご冥福をお祈り申し上げます。
武道館コンサートのチケット半券です。
2階席とはいえ¥2500・・・安かった。

続けておもて表紙から裏表紙迄ページ順に掲載します。














おまけの掲載。オイラも記憶が無いのですがパンフに挟まっていたTシャツなどへのプリント素材です。
会場でくれたか、売店で購入したかです。当時は勿体なくてプリントしなかったんだと思います。

ご覧になって頂きありがとうございます。また、折見て色々とアップしますね。
クイーン・ファイル

クイーン・サウンドの虜になった人 これからなりそうな人必携の一冊。クイーン・ファイルただいま参上!フレディの最後のレコーディングの目撃者デヴィッド・リチャーズ(マウンテン・スタジオ、プロデューサー)が初めて明かすクイーン・レコーディング秘話収録。¥3150

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イアン・ギラン・バンド 1977初来日
イアン・ギラン・バンド 1977年初来日パンフレット
昨日のレインボー初来日のパンフレットのご紹介に続いてイアン・ギラン・バンドの初来日のパンフレットをご紹介します。
宣伝ページを除いて、ページ順に掲載しました。
昔のロックにご興味の無い方には面白くも何ともない記事になってしまいますが、宜しかったら一瞬でも眺めるだけでけっこうですからよろしくお願い致します。
元々1960年代後半から活躍していた『ディープ・パープル』というイギリスのロックバンドにいた『イアン・ギラン』というヴォーカリストが結成したバンドです。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」や「ハイウェイスター」などという『ディープ・パープル』の大ヒット曲の高音/シャウトの声で歌ったヴォーカリストです。
曲名を聞くとご存知の方もいらっしゃるでしょうね。
『ディープ・パープル』
を共に築き上たリッチー・ブラックモアに先立ち1973年に脱退し、1975年頃から活動を始め1976年に「Child in Time」でバンドとしてのデビューを果たす事となります。
イアン・ギラン・バンド(ギランも含めて)としての本来の来日は下記3回です。
第一回 1977年9月(このブログで紹介する初来日)
第二回 1978年10月
第三回 1981年10月(ギランとして)
オイラは3回全てコンサートに行きました。ヾ(*^▽^*)v ピース!.:゚+
初来日メンバー*
ジョン・ガスタフスン(ベース&ヴォーカル)
レイ・フェンウィック(ギター&ヴォーカル)
マーク・ナウセフ(ドラム)
コリン・タウンズ(キーボード)
イアン・ギラン(リード・ヴォーカル)
初来日日時 *1977年 9月
9月12日 大 阪 厚生年金会館大ホール
9月13日 大 阪 厚生年金会館大ホール
9月14日 京 都 京都会館第一ホール
9月16日 広 島 広島郵便貯金ホール
9月17日 福 岡 九電記念体育館
9月22日 東 京 武道館大ホール (オイラはこの最終日、武道館に行きました)
*武道館コンサートが のちに 「Live At The Budokan」としてレコード発売されます。
写真はクリックして頂くと拡大しますよん。記事迄読めるかは保証外です、あらかじめ念の為(笑)
武道館コンサートの半券です。
席は2階席ですがなんと¥3000ですよん。
続けて、パンフレットを掲載致します。
昨日紹介したレインボーと比べて、やや保存状態が良くなくシミがちょっとありますがご愛嬌で。(*´∀`*)
裏表紙のカラーページ迄(宣伝ページを除いて)ページ順に掲載しました。
裏表紙カラー
ご覧になって頂いてありがとうございます。
ご興味の無い方にはつまらない記事になってしまいましたね。
先程も書きましたがオイラは1977年の初来日から1981年迄の連続3回公演に行ってます。
順次ご紹介致しますのでよろしくお願い致します。
当時オイラはロック小僧、エレキ小僧で学業なんぞ脇目もふらず精進したものです(笑)
Ian Gillan/Live At The Rainbow 1977


イアン・ギランの1977年のパフォーマンスを収録したDVD。
エピソード・バンド、イアン・ギラン・バンド、ブラック・サバスなど...長年にわたりロック界を渡り歩いてきたギランのパフォーマンスには年月の積み重ねを感じる。
¥2682送料無料
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昨日のレインボー初来日のパンフレットのご紹介に続いてイアン・ギラン・バンドの初来日のパンフレットをご紹介します。
宣伝ページを除いて、ページ順に掲載しました。
昔のロックにご興味の無い方には面白くも何ともない記事になってしまいますが、宜しかったら一瞬でも眺めるだけでけっこうですからよろしくお願い致します。
元々1960年代後半から活躍していた『ディープ・パープル』というイギリスのロックバンドにいた『イアン・ギラン』というヴォーカリストが結成したバンドです。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」や「ハイウェイスター」などという『ディープ・パープル』の大ヒット曲の高音/シャウトの声で歌ったヴォーカリストです。
曲名を聞くとご存知の方もいらっしゃるでしょうね。
『ディープ・パープル』
を共に築き上たリッチー・ブラックモアに先立ち1973年に脱退し、1975年頃から活動を始め1976年に「Child in Time」でバンドとしてのデビューを果たす事となります。
イアン・ギラン・バンド(ギランも含めて)としての本来の来日は下記3回です。
第一回 1977年9月(このブログで紹介する初来日)
第二回 1978年10月
第三回 1981年10月(ギランとして)
オイラは3回全てコンサートに行きました。ヾ(*^▽^*)v ピース!.:゚+
初来日メンバー*
ジョン・ガスタフスン(ベース&ヴォーカル)
レイ・フェンウィック(ギター&ヴォーカル)
マーク・ナウセフ(ドラム)
コリン・タウンズ(キーボード)
イアン・ギラン(リード・ヴォーカル)
初来日日時 *1977年 9月
9月12日 大 阪 厚生年金会館大ホール
9月13日 大 阪 厚生年金会館大ホール
9月14日 京 都 京都会館第一ホール
9月16日 広 島 広島郵便貯金ホール
9月17日 福 岡 九電記念体育館
9月22日 東 京 武道館大ホール (オイラはこの最終日、武道館に行きました)
*武道館コンサートが のちに 「Live At The Budokan」としてレコード発売されます。
写真はクリックして頂くと拡大しますよん。記事迄読めるかは保証外です、あらかじめ念の為(笑)
武道館コンサートの半券です。
席は2階席ですがなんと¥3000ですよん。

続けて、パンフレットを掲載致します。
昨日紹介したレインボーと比べて、やや保存状態が良くなくシミがちょっとありますがご愛嬌で。(*´∀`*)
裏表紙のカラーページ迄(宣伝ページを除いて)ページ順に掲載しました。












裏表紙カラー

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ご興味の無い方にはつまらない記事になってしまいましたね。
先程も書きましたがオイラは1977年の初来日から1981年迄の連続3回公演に行ってます。
順次ご紹介致しますのでよろしくお願い致します。
当時オイラはロック小僧、エレキ小僧で学業なんぞ脇目もふらず精進したものです(笑)
Ian Gillan/Live At The Rainbow 1977

イアン・ギランの1977年のパフォーマンスを収録したDVD。
エピソード・バンド、イアン・ギラン・バンド、ブラック・サバスなど...長年にわたりロック界を渡り歩いてきたギランのパフォーマンスには年月の積み重ねを感じる。
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レインボー 1976初来日
レインボー初来日パンフレット

先日、ひょんな事からしまっておいた青春時代の思い出を引っ張りだして来まして、一部こないだブログにご紹介したところです。
この際だから、徹底的にパンフを見て頂こうと、宣伝ページを除いて掲載致しました。
昔のロックにご興味の無い方には面白くも何ともない記事になってしまいますが、宜しかったら一瞬でも眺めるだけでけっこうですからよろしくお願い致します。
元々1960年代後半から活躍していた『ディープ・パープル』というイギリスのロックバンドにいたギタリストの『リッチー・ブラックモア』という人がおりまして、クラプトンやジミーペイジとはまた違った、異色のギターの神様とあがめられ狂信的なファンが多かったんですね。おいらもそのうちの一人でしたが。
なんといってもステージで暴れまくり、お約束のギター壊し・・・これにゃ~~しびれましたね。
彼がディープ・パープル脱退して1974年から活動を開始してその後『ブラックモアズ レインボー』というグループを結成し、2枚のアルバムを発売してから、初の日本公演を武道館で行ったのは1976年でした。
来日メンバー*
ジミー・ベイン(ベース)
コージー・パウエル(ドラム)
ロニー・ジェームズ・ディオ(ヴォーカル)
トニー・カレイ(キーボード)
リッチー・ブラックモア(ギター)
来日日時 * 1976年12月
12月 2日 東 京 東京体育館
12月 5日 大 阪 厚生年金会館大ホール
12月 7日 名古屋 名古屋市公会堂
12月 8日 大 阪 厚生年金会館大ホール
12月 9日 大 阪 厚生年金会館大ホール
12月10日 京 都 京都会館第一ホール
12月13日 福 岡 九電記念体育館
12月14日 広 島 広島市公会堂
12月16日 東 京 武道館大ホール (オイラはこの最終日に行きました。)
写真はクリックして頂くと拡大しますよん。記事迄読めるかは保証外です、あらかじめ念の為(笑)
武道館コンサートチケットの半券です。
なんと、アリーナ席で¥3000。安すぎでしょ?それに席番号が「66」って手書き(笑えるでしょ)
続けて、パンフレットのおもて表紙から裏表紙まで(宣伝ページを除いて)ページ順に掲載しました。
ファーストアルバム銀嶺の覇 者
取り寄せ価格 ¥1743
虹を翔る覇者


取り寄せ価格 ¥2000


ライブ・イン・ジャーマニー1976‐ツアー30周年記念ボックス‐

取り寄せ価格 ¥6460 ディスク6枚組
ご覧になって頂いてありがとうございます。
ご興味の無い方にはつまらない記事になってしまいましたね。
オイラは1976年の初来日から1981年迄の連続4回公演に行ってます。順次2回目、3回目、4回目も紹介致します。
よろしくお願い致します。
他にイアン・ギラン・バンドやバッド・カンパニーなどもコンサートに行ってますので、折にふれてご紹介致します。
当時オイラはロック小僧、エレキ小僧で学業なんぞ脇目もふらず精進したものです(笑)
様々なロックバンドのコンサートに出向き、ことにレインボーは4回の来日コンサートに行き、ある時には「リッチー・ブラックモア」が来日時に行くという六本木のバーに繰り出し、サインをもらったりと楽しい日々を過ごしておりました。(そのサインは現存してます)
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先日、ひょんな事からしまっておいた青春時代の思い出を引っ張りだして来まして、一部こないだブログにご紹介したところです。
この際だから、徹底的にパンフを見て頂こうと、宣伝ページを除いて掲載致しました。
昔のロックにご興味の無い方には面白くも何ともない記事になってしまいますが、宜しかったら一瞬でも眺めるだけでけっこうですからよろしくお願い致します。
元々1960年代後半から活躍していた『ディープ・パープル』というイギリスのロックバンドにいたギタリストの『リッチー・ブラックモア』という人がおりまして、クラプトンやジミーペイジとはまた違った、異色のギターの神様とあがめられ狂信的なファンが多かったんですね。おいらもそのうちの一人でしたが。

なんといってもステージで暴れまくり、お約束のギター壊し・・・これにゃ~~しびれましたね。
彼がディープ・パープル脱退して1974年から活動を開始してその後『ブラックモアズ レインボー』というグループを結成し、2枚のアルバムを発売してから、初の日本公演を武道館で行ったのは1976年でした。
来日メンバー*
ジミー・ベイン(ベース)
コージー・パウエル(ドラム)
ロニー・ジェームズ・ディオ(ヴォーカル)
トニー・カレイ(キーボード)
リッチー・ブラックモア(ギター)
来日日時 * 1976年12月
12月 2日 東 京 東京体育館
12月 5日 大 阪 厚生年金会館大ホール
12月 7日 名古屋 名古屋市公会堂
12月 8日 大 阪 厚生年金会館大ホール
12月 9日 大 阪 厚生年金会館大ホール
12月10日 京 都 京都会館第一ホール
12月13日 福 岡 九電記念体育館
12月14日 広 島 広島市公会堂
12月16日 東 京 武道館大ホール (オイラはこの最終日に行きました。)
写真はクリックして頂くと拡大しますよん。記事迄読めるかは保証外です、あらかじめ念の為(笑)
武道館コンサートチケットの半券です。
なんと、アリーナ席で¥3000。安すぎでしょ?それに席番号が「66」って手書き(笑えるでしょ)

続けて、パンフレットのおもて表紙から裏表紙まで(宣伝ページを除いて)ページ順に掲載しました。















ファーストアルバム銀嶺の覇 者
取り寄せ価格 ¥1743
虹を翔る覇者
取り寄せ価格 ¥2000
ライブ・イン・ジャーマニー1976‐ツアー30周年記念ボックス‐
取り寄せ価格 ¥6460 ディスク6枚組
ご覧になって頂いてありがとうございます。
ご興味の無い方にはつまらない記事になってしまいましたね。
オイラは1976年の初来日から1981年迄の連続4回公演に行ってます。順次2回目、3回目、4回目も紹介致します。
よろしくお願い致します。
他にイアン・ギラン・バンドやバッド・カンパニーなどもコンサートに行ってますので、折にふれてご紹介致します。
当時オイラはロック小僧、エレキ小僧で学業なんぞ脇目もふらず精進したものです(笑)
様々なロックバンドのコンサートに出向き、ことにレインボーは4回の来日コンサートに行き、ある時には「リッチー・ブラックモア」が来日時に行くという六本木のバーに繰り出し、サインをもらったりと楽しい日々を過ごしておりました。(そのサインは現存してます)

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東京富士美術館に行って来ました。
東京の西の中核都市、八王子の東京富士美術館
へ奥さんと二人で行って来ました。
八王子は学園都市としても有名ですよね。
創価大学 や帝京大学、杏林大学などたくさんのキャンパスがあって町は若い人が多いように感じました。
東京富士美術館へ何を見に行ったかというと、これ。
『ポーランドの至宝展』です。絵画が主体の展示でしたが凄いのもいっぱいありましたよ。
ナポレオンが着けてたブローチだとか、○○王様の髪飾りだとか(ダイヤがいっぱい)。
で、初めて知ったんですけどポーランドって戦火に巻き込まれた歴史のなかで素晴らしい文化が花開いているんですね。
皆さんも良くご存知の「ノーベル物理学賞受賞のキューリー夫人」「天才音楽家ショパン」「地動説のコペルニクス」などの巨匠を輩出した国なんですね。
あとはオイラがあれこれ言うより直接サイトをご覧になった方が良いと思いますのでリンクを貼りました。
クリックして頂くと『東京富士美術館』のホームページへ飛びます。
東京富士美術館
美術館見学よりもオイラが楽しみにしてたのはこれ
『お座敷山梨ぶどう狩り号』で~す。
9月の土日祭日限定の総武線(千葉から東京方面に来る路線)から山梨甲府迄の日に1本のみの限定臨時直通列車です。全席グリーン車座席指定、しかも総武線内は快速運転なので最寄りの新小岩駅に停車するし、特急券なしで秋葉原からは特急運行です。
何が楽しみかって?・・・いわずと知れた事(*´∀`*)
クリックして頂けると切符が拡大しますよん。
新小岩駅に滑り込んで来る『お座敷山梨ぶどう狩り号』(*бωб*)♪
さっそく、オイラの奥さん、お小言。
『おりゃ、写真なんか撮ってないで早く乗れ。乗り遅れたらどうすんだ』
で、乗り込んでデッキから車両内を見ると、まさしく『お座敷』。
前駅迄に乗り込んでいるお客さんたちが車両の前方に食い物やら、飲み物を拡げて楽しげに・・。
で、早速扉を開けて楽しげなお客さんにカメラを向けたとたん、後ろから頭ひっぱたかれた。⌒ノ(>_<) イタッ
「他のお客さんを写真撮っちゃだめでしょ」・・・ま、当然といや、当然。ちょっと舞い上がったもんで。
で、ついでにそのお客さんに向かって「うちの人、常識が分からなくてごめんなさいね」とまでほざきやがった。
だけど、後頭部が痛かった。
で、気を取り直して指定の座席へ・・。オイラたちの後方は次の駅からのお客さんが乗り込んで来るようで空っぽ。
すごいでしょ。本当に畳で、座布団が座席ごとにおいてあるんですよ。
ところが、実はその直前予想だにもしなかった悲劇がオイラに降り掛かっていたのです。
ホーム売店でビール1本だけ買っておくんなましと、奥さんに所望したところ
『何言ってんの?これから美術館行くんでしょ?朝からふざけんじゃないよ』だって。
(;つД`) トホホ、回りはみんな美味しそうに飲んでるのに・・・・(ノ_・、)シクシク…。
何のためのお座敷列車だったんだよ~~。
やっぱり、隠し酒が必要だった。小さな水のペットボトルに焼酎入れ替えてボトルカバーに入れて・・・。
後悔先に立たず・・だよなぁ。
ようやく、八王子駅到着。
八王子駅北口からバスに揺られて約10分。
駅と「創価大学正門・東京富士美術館前」のバス停をピストン輸送するがごとく臨時直通バスが頻繁に往復してました。
美術館も凄い混雑で大盛況でした。
で、またまたうちの奥さん、入口看板と建物内のポスター前で・・ポーズ。
美術館の脇に小さな中庭があるのですがそこからなにやら荘厳な建物が・・・。
二人して記念撮影です。(久々にオイラがブログに登場しました)
なんか、ビールが飲めなかった悔しさがにじみ出てる表情してまつ。
美術館も2時間半くらいで見学を終え、八王子駅に戻って来たところで遅い昼食です。
徳樹庵 という、凄くおしゃれで、個室ばりの落ち着いたお店に行きました。
おいらはミニ天丼とそばのセットそれにお待ちかねのビアのお許しが出て、中生を2杯いただきましたよん。
さ~~帰るぞ~~とばかりにゴリラみたいに気張った、
( ̄(oo) ̄*) ブーブー!!さんのおいらの奥さんです。
随分と長いブログになってしまい、ご覧になって頂いた方には素直に感謝致します。
またこれに懲りずにおヒマな時にでもぜひお立ち寄り下さいね。
ありがとうございます。m(*>▽<*)m アリガトッ
だけど、奥さんの事をこれだけ書いて写真までブログに掲載した、なんて奥さんにわかったら半殺しなんて程度じゃ済まないだろうな・・・・。
ちょっと、恐ろしげになって来た。|_-))) コソコソ
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八王子は学園都市としても有名ですよね。

創価大学 や帝京大学、杏林大学などたくさんのキャンパスがあって町は若い人が多いように感じました。

東京富士美術館へ何を見に行ったかというと、これ。
『ポーランドの至宝展』です。絵画が主体の展示でしたが凄いのもいっぱいありましたよ。
ナポレオンが着けてたブローチだとか、○○王様の髪飾りだとか(ダイヤがいっぱい)。
で、初めて知ったんですけどポーランドって戦火に巻き込まれた歴史のなかで素晴らしい文化が花開いているんですね。
皆さんも良くご存知の「ノーベル物理学賞受賞のキューリー夫人」「天才音楽家ショパン」「地動説のコペルニクス」などの巨匠を輩出した国なんですね。
あとはオイラがあれこれ言うより直接サイトをご覧になった方が良いと思いますのでリンクを貼りました。

東京富士美術館

美術館見学よりもオイラが楽しみにしてたのはこれ

『お座敷山梨ぶどう狩り号』で~す。
9月の土日祭日限定の総武線(千葉から東京方面に来る路線)から山梨甲府迄の日に1本のみの限定臨時直通列車です。全席グリーン車座席指定、しかも総武線内は快速運転なので最寄りの新小岩駅に停車するし、特急券なしで秋葉原からは特急運行です。
何が楽しみかって?・・・いわずと知れた事(*´∀`*)


クリックして頂けると切符が拡大しますよん。
新小岩駅に滑り込んで来る『お座敷山梨ぶどう狩り号』(*бωб*)♪


さっそく、オイラの奥さん、お小言。
『おりゃ、写真なんか撮ってないで早く乗れ。乗り遅れたらどうすんだ』

で、乗り込んでデッキから車両内を見ると、まさしく『お座敷』。
前駅迄に乗り込んでいるお客さんたちが車両の前方に食い物やら、飲み物を拡げて楽しげに・・。
で、早速扉を開けて楽しげなお客さんにカメラを向けたとたん、後ろから頭ひっぱたかれた。⌒ノ(>_<) イタッ
「他のお客さんを写真撮っちゃだめでしょ」・・・ま、当然といや、当然。ちょっと舞い上がったもんで。
で、ついでにそのお客さんに向かって「うちの人、常識が分からなくてごめんなさいね」とまでほざきやがった。
だけど、後頭部が痛かった。
で、気を取り直して指定の座席へ・・。オイラたちの後方は次の駅からのお客さんが乗り込んで来るようで空っぽ。
すごいでしょ。本当に畳で、座布団が座席ごとにおいてあるんですよ。

ところが、実はその直前予想だにもしなかった悲劇がオイラに降り掛かっていたのです。
ホーム売店でビール1本だけ買っておくんなましと、奥さんに所望したところ
『何言ってんの?これから美術館行くんでしょ?朝からふざけんじゃないよ』だって。
(;つД`) トホホ、回りはみんな美味しそうに飲んでるのに・・・・(ノ_・、)シクシク…。
何のためのお座敷列車だったんだよ~~。
やっぱり、隠し酒が必要だった。小さな水のペットボトルに焼酎入れ替えてボトルカバーに入れて・・・。
後悔先に立たず・・だよなぁ。
ようやく、八王子駅到着。

八王子駅北口からバスに揺られて約10分。
駅と「創価大学正門・東京富士美術館前」のバス停をピストン輸送するがごとく臨時直通バスが頻繁に往復してました。
美術館も凄い混雑で大盛況でした。
で、またまたうちの奥さん、入口看板と建物内のポスター前で・・ポーズ。


美術館の脇に小さな中庭があるのですがそこからなにやら荘厳な建物が・・・。
二人して記念撮影です。(久々にオイラがブログに登場しました)
なんか、ビールが飲めなかった悔しさがにじみ出てる表情してまつ。

美術館も2時間半くらいで見学を終え、八王子駅に戻って来たところで遅い昼食です。
徳樹庵 という、凄くおしゃれで、個室ばりの落ち着いたお店に行きました。

おいらはミニ天丼とそばのセットそれにお待ちかねのビアのお許しが出て、中生を2杯いただきましたよん。





さ~~帰るぞ~~とばかりにゴリラみたいに気張った、


随分と長いブログになってしまい、ご覧になって頂いた方には素直に感謝致します。
またこれに懲りずにおヒマな時にでもぜひお立ち寄り下さいね。
ありがとうございます。m(*>▽<*)m アリガトッ

だけど、奥さんの事をこれだけ書いて写真までブログに掲載した、なんて奥さんにわかったら半殺しなんて程度じゃ済まないだろうな・・・・。
ちょっと、恐ろしげになって来た。|_-))) コソコソ

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武道館コンサートのチケット・パンフ
先日、ひょんな事から若かりし頃の音楽好きだった事を思い出し、大事にしまっておいたパンフやコンサートチケットの半券を引っぱり出して来ました。
三十年以上も前の事ですからご存じない方もおありかと思いますが我慢してご覧になって下さいね。
(おいらもジジィになる訳だ・・・)
元々1960年代後半から活躍していた『ディープ・パープル』というイギリスのロックバンドにいたギタリストの『リッチー・ブラックモア』という人がおりまして、クラプトンやジミーペイジとはまた違った、異色のギターの神様とあがめられ狂信的なファンが多かったんですね。おいらもそのうちの一人でしたが。
なんといってもステージで暴れまくり、お約束のギター壊し・・・これにゃ~~しびれましたね。
彼がディープ・パープル脱退して1974年に『ブラックモアズ レインボー』というグループを結成して2枚のアルバムを発売してから、初の日本公演を武道館で行ったのは1976年でした。
初来日と聞いてディープ・パープル時代から、もう狂信的なオイラは毎晩眠れず、チケット発売の整理券発行の日時を嗅ぎ付け整理券獲得のために徹夜したものです。それでようやくS列ですけどアリーナ席を確保。
クリックして頂けると拡大しますよん。
で、1976年初来日の武道館コンサートチケットの半券です。
なんと、アリーナ席で¥3000。安すぎでしょ?それに席番号が「66」って手書き(笑えるでしょ)
こちらはその初来日の時のパンフレット表紙です。
オイラはこの頃、いっときデザイン学校に通っていてこの絵なぞを模写したものです。
そのパンフの見開き1ページ目。
で、こちらはそれから何度目かの来日時1980年のチケットです。
1回の来日時に2度コンサートに行ったんですけどこちらも苦労して2公演ともアリーナ席。
上の2枚は入場して右側半券が切り取られてますが、下の一枚はなんと未使用(切り取ってない)。
実は当時の彼女とけんかしてしまってチケットを受取ってくれなかったんです。(;つД`) トホホ
これをこないだツイッター仲間に見てもらったら、結構価値有るんじゃないかって事で、お宝鑑定団に出したら?なんておっしゃって頂きました。((^O^)アハハ!!)
ご覧になって頂いてありがとうございます。
ご興味の無い方にはつまらない記事になってしまいましたね。
当時オイラはロック小僧、エレキ小僧で学業なんぞ脇目もふらず精進したものです(笑)
様々なロックバンドのコンサートに出向き、ことにレインボーは5回ほどの来日コンサートに行き、ある時には「リッチー・ブラックモア」が来日時に行くという六本木のバーに繰り出し、サインをもらったりと楽しい日々を過ごしておりました。(そのサインは現存してます)



三十年以上も前の事ですからご存じない方もおありかと思いますが我慢してご覧になって下さいね。
(おいらもジジィになる訳だ・・・)
元々1960年代後半から活躍していた『ディープ・パープル』というイギリスのロックバンドにいたギタリストの『リッチー・ブラックモア』という人がおりまして、クラプトンやジミーペイジとはまた違った、異色のギターの神様とあがめられ狂信的なファンが多かったんですね。おいらもそのうちの一人でしたが。

なんといってもステージで暴れまくり、お約束のギター壊し・・・これにゃ~~しびれましたね。
彼がディープ・パープル脱退して1974年に『ブラックモアズ レインボー』というグループを結成して2枚のアルバムを発売してから、初の日本公演を武道館で行ったのは1976年でした。
初来日と聞いてディープ・パープル時代から、もう狂信的なオイラは毎晩眠れず、チケット発売の整理券発行の日時を嗅ぎ付け整理券獲得のために徹夜したものです。それでようやくS列ですけどアリーナ席を確保。
クリックして頂けると拡大しますよん。

で、1976年初来日の武道館コンサートチケットの半券です。
なんと、アリーナ席で¥3000。安すぎでしょ?それに席番号が「66」って手書き(笑えるでしょ)

こちらはその初来日の時のパンフレット表紙です。
オイラはこの頃、いっときデザイン学校に通っていてこの絵なぞを模写したものです。

そのパンフの見開き1ページ目。

で、こちらはそれから何度目かの来日時1980年のチケットです。
1回の来日時に2度コンサートに行ったんですけどこちらも苦労して2公演ともアリーナ席。
上の2枚は入場して右側半券が切り取られてますが、下の一枚はなんと未使用(切り取ってない)。
実は当時の彼女とけんかしてしまってチケットを受取ってくれなかったんです。(;つД`) トホホ
これをこないだツイッター仲間に見てもらったら、結構価値有るんじゃないかって事で、お宝鑑定団に出したら?なんておっしゃって頂きました。((^O^)アハハ!!)

ご覧になって頂いてありがとうございます。
ご興味の無い方にはつまらない記事になってしまいましたね。
当時オイラはロック小僧、エレキ小僧で学業なんぞ脇目もふらず精進したものです(笑)
様々なロックバンドのコンサートに出向き、ことにレインボーは5回ほどの来日コンサートに行き、ある時には「リッチー・ブラックモア」が来日時に行くという六本木のバーに繰り出し、サインをもらったりと楽しい日々を過ごしておりました。(そのサインは現存してます)






仲良し母娘の沖縄旅行 パート5


今回はパート5です。『海洋博公園』、『ナゴパイナップルパークをご紹介!


母娘を見るというより沖縄の景色をご覧になって頂いて、旅行気分でも味わって頂ければ幸いです。
で、いつもの通り オイラはお留守番 ○| ̄|_ (;つД`) トホホ
写真はクリックして頂ければ拡大します。

めんそーれ海洋博公園の入口で 娘がヾ(*^▽^*)v ピース!.:゚+

この~~木なんのき~~不思議な木~~。
幹のすぐ上から無数に枝分かれするなんとも不思議な木ですね。


うちの奥様カエルみたいなオブジェの口の中で、これまたヾ(*^▽^*)v ピース!.:゚+


娘が巻貝からむにゅ~!!



名護のパイナップルパークへ行きましたとさ

このカート、本当に動くのかは聞きそびれてしまった。

パイナップル畑・・・想像はしてましたけどパインってこんな畑なんですね。

そのパイナップル1本、拡大です。まだまだ若い実です。

で、お約束通り。飲んべえのだんなにゃ~、飲んべえの奥さんがくっつく。
パイナップル・キッスワインの試飲にかぶりつき!!


おまけの写真。
砂浜に一つの可憐な黄色いハイビスカスが落ちていましたとさ。

何を血迷ったか、うちの奥さんwww。 髪飾りに・・・・ 娘がやるならまだ分かる。



『海洋博公園』や『ナゴパイナップルパーク』の写真をざ~~と掲載させて頂きました。








