隆之助が産まれたとき
明日もわからぬ命だと宣告された
生きても寝たきりだと宣告された
産む迄、何の予兆もかった
お産の事故だった
覚悟はできてなかった
ただただ現実を見るしかなかった
あのときの絶望、苦しみは当に底辺
現実から逃げたいから
死んだように生きた
でも、必死に生きる隆之助がいて
それを、守るという使命感
それこそ私が生かされた意味だった
隆之助の身体は宿命
そんな隆之助を授かった
慈しみ育てるのが私に与えられたカリキュラム

NICUを退院するとき
病院以外と繋がることはなかった
ケアマネ?
事業所?
居宅?
訪問看護?
その人たちが存在することも知らず
その人たちとカンファレンス?
そんなものもなーんにもなくて
ポーンと出された

私が頼ったのは
実家の母と脳性麻痺児の本
本には
平均寿命の恐ろしい数字

平均寿命をむかえるまで
明日かもしれない命に怯え
ただただ抱いて離さなかった

その平均寿命の数字を越えて
実家の母も歳をとり

次へのステージの
課題が見えた

隆之助の親亡き後
子供の死を
先に望むなんて本来ありえない
けど
自分が先に死ぬということは
どういうことなのか
見ないようにして、
今を精一杯生きてきたけど
世の中の動きが変わってきてる
親は安心して先に逝ってください
と言える仕組みが構築されてきている
でも、ここにはまだないの
その仕組み
人任せではだめなのだ
明日かも知れぬというつもりで
今という時を必死に生き抜く
これこらも込めて生きる

今だけを見つめて
から
これからを見据えて

今が私の分岐点

隆之助が大きくなり
母が歳をとり
もう隆之助を抱けなくなった
預けられる場所がないために
きょうだいのひなは
グレる
隆之助ばっかり    と言う

私が行動を起こす
そのときがきたみたい

機は熟した










隆之助さんは
市立小学校の肢体不自由学級に通っています

看護士さんがマンツーマンでケアや介助に当たってくれます

今日は校外学習がありました
市の美術館へ向かいます







暗いの苦手なのに頑張りましまた✨
暗いとパニックになって
驚愕発作を起こしてしまいます
先生やママは
ダメそうなら外で待ってる
ということにして
入り口までソロリソロリ
少しずつ前へ前へ


ダメだと思ったら
そこで諦めたら
終わり
やってみる
それが大事
出きるかもしれないもの
ダメなら引き返したっていい
また前を見て
どうしたら行けるのか
そもそも行きたいのかを
立ち止まり考えればいいんだ
回り道したって
それが僕のやり方

今日の感動をありがとう



最後の更新から1年半も放置して
ごめんなさい

古すぎる携帯を根性で使って
ブログは開けず
最近やっと新しいスマホを買わせてもらいました
ドケチ主婦の隆ママです

この間
色んなことありましたが
子供達は元気にしています




それから
最近
ご縁があって
全国重症児デーネットワークの代表理事
とお会いすることができました

これからの展開は
また皆様に報告させて頂きたいと考えてます