復活☆ 五ヶ月の活動停止の末 アメブロでブログ復活する事にしますた(笑) いやぁ・・・年をとったと申しますか、何日か前の事を必死になって思い出すような始末で 文章に残すのって大事だよねと(笑) 半年前に購読して下さってた方、奇跡的に残ってる方いましたらコメントください まづは挨拶がてらにこのあたりで チャオ
あかーんこんにちわ、たかぞ~ですなんだか、夏バテか精神的なものか・・・ご飯がはいりません(泣)思わぬ形でダイエットが進みはじめました(T_T)そういえば、先日、健康診断で・・・ポリープが見つかった模様詳しい結果はまだですが、おそらく要精密検査で送られてくるでしょうなんか、流れが悪いです
福岡に帰省中です親友が死んだ保育園、小学校、中学校、高校と13年間も同じ時間をすごした唯一の存在がこの世を去った。36歳、早すぎる他界バスケがうまく、小学生の時は同じチームで日々練習に励んだ高校のクラスマッチでも一緒に優勝したそんな彼が他界した高校を卒業してからはお互いに別々の地域に別々のやりたいことを求めて離れてからはそれほど会う機会はなかった朝八時半、仕事中に携帯に着信があった、県外にでている僕には珍しく中学校の同級生からだった『もっくんが亡くなった。今日の午後7時からお通夜みたいよ』意外と冷静に受け止めれたというよりも、実感が全然わいてなかった夕方近くまで仕事をして、喪服とか宿泊の準備を終えて福岡に向かった夕方、五時半、実家に到着親父と母さんが出迎えてくれたくだらない話しで時間をつぶし六時半に喪服に着替えて家をでた途中、同級生のあきちゃんを拾って斎場へ斎場の前につくと看板には『〇〇家』と書いてあるのを見て初めて死んだんだなと思った斎場の中には同級生達がたむろってたみんな、全然変わってなくて笑いながら話していた、僕も笑いながら輪に加わって談笑してたまだ、いまいち実感がわかない通夜が始まった一通りお経がよまれ、親族の焼香が終わり、一般の人達が焼香をし始めた喪主である奥さんが焼香を終えた方々に涙を見せずに深々と頭を下げ気丈に挨拶をしていた 彼女もまだ36歳・・・当たり前だが辛いに決まってる僕が焼香をする番がまわってきた奥さんに頭を下げる気丈に振る舞っていた奥さんは僕の顔をみるなりに『〇〇君、会いたがっていたよ』と僕の名前を呼びボロボロと泣きじゃくれた奥さんも、僕と彼との高校の同級生二人が付き合い始めた頃からずっと応援して、たまには三人で一緒にすごし、結婚式の時は人一倍に喜んだ彼女の泣いている姿を目にしたこの時に、初めて僕もとめどなく哀しみの感情が溢れ出してきたでも、涙はみせれなかった1番つらいはずの彼女が我慢していたのだから焼香を終えて、親族に挨拶をし、もう一度奥さんにも挨拶をするただ『〇〇ちゃん、頑張れよ』としか言葉がでなかったまた涙でグチャグチャになった彼女も『うん』としか返事がなかったお通夜も終わり、みんな会場をあとにし始めた僕も席をたち、亡き親友のいる祭壇に背を向けた時に溢れ出る感情を抑えきれなくなった初めて涙が止まらなくなった倒れるまで働くなんて、どんだけ頑張り屋なんだよ。バカヤロと思った外にでると同級生のみんなは涙を見せることなく談笑していたでも、僕にはできなかったそこにいる誰よりも1番長い時間をすごしたのだから・・・やっぱり涙がとまらなかった10分くらいたつと感情の制御をできるようになったやっと、落ち着いた一人の同級生が『顔はみてきたね?』と声をかけてくれたまだ顔を見てあげてなかった動かない親友の姿を見るのが恐かったでも、一緒に付き添ってもらい顔を見に行くことにしたそこには、とても安らかに眠ったとは言い切れない顔があったきつかったんだね頑張ったね長くは見れなかったまた外にでて同級生の輪に加わった誰かが『居酒屋に行って皆でもっくんを送りだしてやろうぜ』と言った集まったのは中学校の同級生9人それから6時間、飲みながら思い出話を繰り返し、もっくんのためにカラオケで大合唱し、馬鹿騒ぎをした多分、もっくんに仲間たちの想いは届いたいや、必ず届いたと実感できたほどの熱い内容だった哀しみにくれていた僕もすごくスッキリとした気分になった一緒に喜んでくれたんだなと感じたやっと今、実家に戻り布団に入ることができた明日は告別式まだどこかのタイミングで涙があふれるんだと思うでも、哀しみにおしつぶされる事なく最後までしっかりと送り出してきたいとおもいます