どこの分岐点まで戻して選びなおせば、
トゥルーエンドに辿りつけるのか。
違う未来があったのならば…と想像してみるが、
しかしそれは、具体性を欠き、まるで中学生が描いた未来地図のように、あまりに青々としている。
僕はあの頃で成長が止まったのだという、そういう妄想の中に生きているのだ、そう
、その自覚はあるにはある。
先日、中学校の同窓会があった。
行くんじゃなかった…とは言えない。
折角呼んでくれた級友たち。気にかけてくれる人がいると言うことは、素直に有難いことだ。
けれど、行って良かったのか、とは思う。
まるで雰囲気に流されてついてきてしまったカラオケのように、お呼びでないかもしれないという恐怖は常に。
みんな口々に言い合う、
「あんな事あったねー」と笑いあえる過去を、僕は持ち合わせていない。
それどころか、「今はこうしてる」と胸を張れるだけの現在も、存在しない。
「みなさん、立派になって…」と恩師の言葉が右から左へ。
忘れられていることを確認するのが怖くて、声をかけられない。
苦痛ではない。
ただ、懐かしいだけだ。
この何処にも行けない感じ、顔を上げられない感じは、寝たふりをして過ごした休み時間と似ている。
ふいに声をかけられる。
ああ、そうだ、ええと、誰だっけ。
たしか、うんそうだ、でも、
いまさら親しく話すのもおかしな話だ。
15年の月日をかけて出来るようになった愛想笑い。
また一つ、選択肢を間違えたみたいだ。